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ノナビアス・サーガ  作者: 谷兼天慈
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プロローグ「地球─テラ─」第5話

 その部屋は一見白く清潔に見えた。窓もなく、細く頼りなさそうな感じのパイプベッドがひとつあるだけで、今は男が一人、頭を垂れて座っていた。

 そう、男はあのダライウスだった。

 つい最近まで、このユーフラテスの参謀次官であった彼は、シグマードの働きで犯罪が露見し、独房に入れられたのだった。彼は、ここで総統の沙汰を待つ身だった。

 切れ長で冷たい目は、じっと白い床を見つめたまま──いったい何を今考えているのだろうか──欲望でギラギラと赤く燃えていたあの目は、今はどんよりとしており、まるで火が消えくすぶっている焚き火の燃えかすのようだ。

 そのとき、その死んだような彼の瞳に、ゆらりと何かが映った。

「………」

 ゆっくりと彼は頭を持ち上げる。

 まったく表情というものが見られなかったその顔に、人間らしいものが戻ってきていた。

 彼は見つめた。

 先程まで何もなかった空間を、目を見開いて食い入るように───

 そこには女が立っていた──いや、立っていたというよりは、漂っていたと表現したほうが適切だろう。

 女は美しかった。

 黄金の髪の毛は、まるで燃えているような輝きを見せ、長く真っ直ぐに床まで垂れていたが、先は溶けてしまったかのように透き通っていた。

 上半身は豊かな胸もあらわな裸で、下半身は髪の毛と同じように腰の辺りから透き通って見えなかった。

 そしてその瞳───

 見つめれば吸い込まれてしまいそうなほどの、妖しい光を放つ青色の双眸。実際、ダライウスはすでに彼女の虜になっていた。

「ダライウスよ」

「は……い」

 女から発せられた声は、とてもこの世のものとは思えないほどの玉音で、答えるダライウスの声はまったく抑揚がなく生気が感じられない。

 それを見て満足そうに頷く女。

「私の名はスメイル。おまえをここから出してやろう」

「………」

 だが、彼は無表情のままだった。

 青い瞳のスメイルは、おもしろくなさそうな表情を見せた。だが、それも一瞬のことですぐにニヤリと笑うと、楽しくてしかたないというような声で言った。

「おまえを邪魔する者は、すべて殺してしまえ」

「私の邪魔をする者は、すべて殺す………」

 ダライウスはおうむ返しに呟いた。

 それから、おもむろに立ち上がると、頑丈そうな扉に向かい歩き始めた。そんな彼を美貌のスメイルは軽蔑するかのような目で眺め、楽しそうに笑い声を上げた。

「ホ───ッホホホ! 再び死ぬがよいぞ。何度生まれ変わろうとも、幾度となく殺してやる。ホ───ッホホホホ!」

 彼女の耳障りな笑い声は、ダライウスの耳には聞こえていないらしい。相変わらず無表情な顔をしている。

 すると、目前の扉が音もなく横へとスライドした。彼はためらいなく足を踏み出した。



「…………」

「どうした、ノン?」

 シグマードは、自分の前に座るノンに声をかけた。

 彼女は両手で自分の肩を抱き、震えている。

「何だか……寒気がしたわ……」

「大丈夫か?」

 彼は急いで立ち上がるとソファを移動し、ノンの横へ座った。

 だが、ここまで来たのはいいが、彼はどうすればよいのかわからなかった。うつむいてしまった彼女の身体を抱くべきかどうか、シグマードの両手はノンの肩の上でとまってしまっている。すると、うつむいたままのノンが囁いた。

「こーゆー時は優しく抱くもんよ」

「ご…ごめん……」

 彼は恥ずかしそうに呟くと、言われた通りにノンの身体を自分の両腕で包み込んだ。まるで壊れ物を扱うように優しく、そして大切そうに───シグマードの腕は微かに震えていた。

「…………」

 シグマードは複雑な気持ちだった。

 彼は兄のダーグリードと些細なことでケンカをし、ノンに愚痴を聞いてもらおうと彼女の部屋を訪れたのだった。これではまったく逆である。

 しかし、それが良かったのだろう。彼は兄のことなどすっかり忘れてしまい、何となく幸せな気分でノンの小さな身体を抱いていた。

(怖い……)

 一方ノンは、シグマードに優しく抱かれて震えはとまったようであった。

 それでも彼女の心は千々に乱れていた。何かしら恐怖とも不安ともつかないものが、自分の心に広がっていくのを感じた。まるで何かに汚染されてしまうかのごとく。

 と、そのノンが身を捩った。

「ノン……?」

 シグマードはびっくりして、思わず手を放してしまった。

 次の瞬間、彼女はシクマードの胸に正面から飛び込んでいた。まるで子供が親に庇護してもらいたがってるように。彼女は自分の顔を彼の胸にうずめた。

「ノン……」

 シグマードは、自分の胸に、何かとても熱くて切ないものがこみあがってくるのを感じた。そして、ユーフラテスを救った救世主であり、ちょっと生意気なこの少女をとても愛しいと思った。

「ノン!」

 彼は激情のまま、彼女を強く抱きしめた。

 それに気付いたノンは、シグマードの力強い腕の中で閉じていた目をうっすらと開けた。それから再びゆっくりと目を閉じ、彼に身を任せた。

 彼の力強さは、不安な心を薄れさせるには十分だった。若さゆえの激しさに、ひとときの忘却を求めるのもまたよいものだ。

 彼女はため息のように囁く。

「ずっと…ずっとこんな風に抱きしめていて……」

 そして、恋人たちの夜が始まる───



 一方、独房を抜け出したダライウスは、自分の意思ではなく操られているかのようにフラフラとおぼつかない感じで歩いていた。

 彼が向かっている方向にはタレス総統の執務室がある。

 途中、彼は誰にも遭遇しなかった。ブラックホールの脅威がなくなり、反タレス派も全員逮捕され、そのため警備が手薄になっていたのだろう。それともこれもスメイルの仕業か。

 とにかくダライウスは、すんなりと目的の場所まで辿りつくことができた。

「…………」

 複雑な模様が彫刻された扉の前に彼は立った。それは近代的な施設に不似合いなノブつきの扉だった。タレスの趣味である。

 しばらく扉を見つめるダライウス。その瞳にはまったく人間らしい表情は見られない。

 そして、おもむろに手を伸ばし、ノブに手をかける。

──カチャ…

 微かに金属の音がした。

 ゆっくりと開かれていく扉。と、同時に、彼は先程までとは打って変わって機敏に動き出した。

 執務室には確かにタレスがいた。しかも、最悪なことにたった一人で。

 この日、エスパーたちへの感謝の晩餐会が開かれた。もちろん、総統であるタレスも出席した。嫌がるシュラインを伴っての出席であった。

 この寡黙な参謀長官は、とにかく社交嫌いの男で、今までにも決してそのような晩餐会などというものには顔を出したことがなかったのだ。

 だが、今回はいつもと違ってタレス総統も強硬だった。

「シュラインよ。今度ばかりはおまえのわがままも聞く耳持たんぞ」

 タレスは笑いながらそう言った。そして、大いに不服そうにむっつりとしているシュラインを見やり続ける。

「おまえが出席せねば、シグマードがかわいそうではないか。彼の功績でダライウスの陰謀が暴けたのだからな」

「…………」

 タレスのその言葉は効き目があったらしい。しぶしぶながら総統に付き従って晩餐会の人となったのである。

 そして今、その晩餐会も終わり、タレスは残っていた書類に目を通そうと思い立ち、執務室に立ち寄ったところだったのだ。運の悪いことに、シュラインは息子たちと久しぶりに自宅へと帰ってしまっていた。そうするように進言したのは当のタレスである。

 そういうことで、執務室にいるのはタレスただ一人だったのだ。

 椅子に座り、扉に向かって背を向け、窓の方に身体を向けた格好で書類に目を通しているタレス。

「…………」

 ふと、彼は首を傾げた。人の気配を感じる。

 彼は訝しそうに眉をひそめ、ゆっくりと後ろを振り返った。

──ビィン……

「グッ…!」

 タレスの瞳に映ったもの───ゾッとするような微笑を浮かべたダライウスの顔が、ほんの一瞬見えたことだろう。

 次の瞬間、彼は絶命していた。だが、自分を殺した犯人が誰であったかを知るには充分過ぎる一瞬だったはずだ。

 ドサリという音と共に、タレスの身体はその場に倒れた。

 その向こう、扉の前に立つダライウスは、レーザー銃を手に持ち笑っていた。そう、笑っていたのだ。

 その笑いは、なぜかあの美しい女スメイルとそっくりだった。まるで、彼女本人が笑っているかのように───



 その頃、タレス総統の右腕であるシュライン参謀長官は、自宅でひとりくつろいでいた。

 品の良い茶系で統一された応接室に置かれたソファに身を沈めている。照明を押さえてあるためにぼんやりとして薄暗い。彼は憮然とした表情を浮かべ、所在なげに座っている。

「…………」

 息子たちと仲良く帰ってきたはずだった。だが───

「慣れないことはするものではないな……」

 ポツリとシュラインは呟いた。

 永い間、親子としてのコミュニケーションを取らなかったため、息子たちにどのように接してよいのかわからないのだ。

 ダーグリードとも、上官と部下として接することの方が多く、なかなか親子としての会話というものがあるわけではなかった。

 兄の方はシュラインに心酔しきっていて、悪く言えばほとんど父親のいいなりのようなところがなきにしもあらずだった。

 反対に弟の方は、コンプレックスから抜けきれないでいたため、兄に対しても父親に対しても常に反抗的で、歩み寄りなどとうていできない状況だった。

「あいつの気持ちもわからんでもない」

 彼が、誰よりも他人に認めてもらいたいと思っていることは父も兄もよくわかっていたのだ。それなのに、彼らは悲しいまでに似た者同士であった。

 素直になれなかったのである───

 シグマードはその容姿から、自分の出生を疑っていた。

 ユーフラテス人は、銀の髪に紅色の瞳がほとんどである。多少なりとも違う者もいることはいた。シュラインのように金色などといったような。だが、シグマのように真っ黒な髪と瞳の人間は皆無だったのだ。

 物心ついた時から、シグマードは己の存在に疑問を抱いてきたことをシュラインも知っていた。なぜ、兄のように銀色の髪と赤い目をしていないのだろう、と。

 母親は彼が生まれると同時に死んだと言ってある。

 彼が母親とはどんな人物だったのか、どんなに聞いてこようとも話すことはしなかった。写真さえも彼には見せてはいない。

「聞かないでくれ……」

 シュラインは苦々しくそう言った。

 そのために、シグマードは自分に心を開いてくれないということを──そして、それは兄に対しても同じであるということを、ひしひしと身にしみてわかってはいたのだが。

「…………」

 シュラインは深くソファに身を沈めた。

 そうして、彼は先程起きた息子達とのやり取りを思い出していた。



「シグマード、地球人にあまり深入りするな」

 シュラインは息子にそう言い放った。親子三人で帰ってきてすぐのことだった。

「何のことだよ」

 シグマードはふくれっ面で自分の父を見つめる。隣ではダーグリードも驚いた表情を見せていた。

「所詮、我々とは違う星の人間。いつかはここからいなくなってしまう…」

 彼は、遠くを見つめているかのように、空間に視線を泳がせた。

 兄弟は顔を見合わせた。彼らは父親のこんな姿を見るのは初めてだったのだ。だが、シグマードは父の前に近づくとかたい表情で切り出した。

「父さん。俺、いつかはきっちりと聞こうと思ってた……」

 シュラインは息子に視線を向けたが、その目からは彼がいったい何を考えているのかはわからなかった。シグマードはゴクリと喉を鳴らした。

「俺は父さんにも兄さんにも似ていない。本当に俺はあんたの息子なのか?」

「シグマ!」

 ダーグリードは慌てて叫んだ。

「何をバカなことを言う!」

「兄さんは黙ってろよっ!」

 彼は噛みつくように怒鳴った。兄は目を見開いて口をつぐむ。それからシグマードは再び父親に向かうと続けた。

「お願いだ、父さん。答えてくれよ。俺はもしかしたら母さん似なのか? そうだとしたら母さんってどんな人だったんだ?」

 彼は真剣な眼差しをシュラインに向けた。シュラインは息子を無表情のまま見つめていた。だが、ゆっくりと口を開くとそっけなく言い捨てた。

「おまえに母親の話をするつもりはない」

「なっ…!」

 シグマードは父親につかみかかろうとした。それをとめるダーグリード。

「やめろ、シグマっ!」

「離せよ、兄さんっ!」

 もみ合う二人。

 それを横目でチラリと一瞥してから、シュラインはその場を離れてしまった。ダーグリードは、弟の身体をしっかりと抱え込みながら、

「シグマ、父さんの気持ちもわかってやれよ」

 優しくそう言う彼だったが、シグマードの心にはくすぶったようにやり切れぬ思いが残っていた。それを兄にぶつける。

「いつだって、父さん、父さん、父さんっ!」

 彼は悲鳴のように叫ぶ。そして、兄の手を乱暴に払いのけた。

「昔っから兄さんは、父さんにばかり味方してた」

「シグマ……」

「俺は、いっつもひとりぼっちだった。誰も味方してくれない。誰も話を聞いてくれない」

「それは……」

「説教はもうたくさんだっ!……でも……」

 兄の言葉を乱暴にさえぎった彼だったが、なぜか突然穏やかな口調になる。

「でも、兄さんも今度ばかりは父さんの味方はできないぜ」

 ダーグリードは訝しげに弟を見つめる。そんな兄に、彼は勝ち誇ったように言い放つ。

「地球人と仲良くするなってことは、兄さんも大好きなトミーと仲良くなるなってことだもんな」

「…!」

 ダーグリードは言葉を失った。顔が真っ青になる。

「ふん。せいぜい悩むがいいさっ!」

「あっ、シグマ、どこへ行く!」

 飛び出して行く弟に慌てて声をかける兄ダーグリード。だが、彼はそれに答えずに出ていってしまった。後には、不安そうな表情をしたダーグリードひとりが残されるのみだった。



 シュラインはため息をつくと、ゆっくりと目を開いた。瞳には深い悲しみの色が滲み出ている。

 かつて、誰にも見せたことのないシュラインの人間らしい表情。いや、たった一人だけ───ただ一人、不器用な性格の彼を理解し愛した人物に、遠い昔見せたことがあった。

 シュラインの脳裏に浮かぶ、黒い瞳と濡れ羽色の髪を持つ天使の姿───それはシグマードによく似た人物だった。

「ミューズ……」

 そして、彼は再び目を閉じた。



「惑星ごと無くなってしまうがいい……」

 一方ダライウスは、タレスを殺したのち、ある場所に向けて急いでいた。

 うわ言のようにぶつぶつと何事か呟きながら、目をギラギラとさせている。かつての欲望にぎらついていた輝きとは違い、それはまるで正気を失った狂者のようだった。

 半分開かれた口からは唾液がだらしなく垂れ、手には総統を死に追いやった凶器が握られたままだった。

 彼が向かっている場所は、ユーフラテスの運命を左右する場所であった。それは、彼が以前タレス派に隠れて密かに開発していたある物の設置してある場所で、そのある物とは───ユーフラテスクラッシュという。彼のかつての部下が命名したものである。別名「惑星破壊装置」というものであった。

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