第6章「青い惑星の上で」第4話
ミーユは走っていた。
廊下は鈍い輝きを放つ銀色の筒のようだった。窓はない。ジルベスターの人々の住む都市は地下にあったのだ。
だが、ところどころに人々の心を和ませるための緑地地帯が設けてあって、彼女はその中でも一番大好きな場所に走り込んだ。
そこは深い森がしつらえてあった。
柔らかな芝生。
さえずる小鳥たち。
風さえもそよそよと木々をゆらしている。
とても人工のものとは思えないほどだ。
ミーユは身を投げ出した。彼女は泣いていた。
どうにもならない感情が彼女の心を支配している───
───サワサワサワ……
風が彼女の身体を触って通りすぎていく。すぐ近くから水の流れる音が聞こえる。
そう、そこには小さな泉があった。この森には泉までも作られていたのだ。
彼女がここを好きなのはそれがあったからでもある。
小さな滝も作られていて、そのせせらぎが泉に静かに流れていた。
ミーユはそのそばにうつぶせになったまま身体を震わせていた。声を上げずに。
そこへ誰かの気配───
───ザザ……
茂みをかきわけてきたその人物は───
「おや、先客だったか……」
ミーユはビクッとするとゆっくり身体を起こした。
「どうしたんだ……泣いていたのか?」
「シンゾウ……」
ミーユの濡れた瞳に、赤い髪を肩に垂らした同じ年頃の青年の姿が映った。
心配そうに見つめるそのまなざしに、彼女は恥ずかしそうに慌てて顔をぬぐった。
「ち、ちがうわよ」
ミーユはふてくされた表情を見せた。その表情はなぜか可愛らしかった。
赤い髪のシンゾウはそんな彼女の隣に座り込んだ。
ミーユはうんざりとした表情をその顔に浮かべた。
こんな時は普通そっと一人にするものよ、とその表情は訴えていた。だが、まったく彼は気がついていないようである。
そこで彼女は少し意地悪したくなってこう言った。
「あなた、ジャーナリスにすごいこと言ったそうね」
「え……? すごいことって……?」
彼は不思議そうにミーユを見た。
「自分の子供を生んでくれって言ったんだって?」
「ええっ?」
彼はびっくりしている。
「僕はそんなこと言ってないよ」
「だって彼女がそう言ってたわ」
シンゾウは少し小首をかしげた。
「ん───子供は好きだよって言った覚えはあるけれど……いくら僕でもそんな露骨には言わないよ」
ミーユはハーッと大きく溜め息をついた。
「まったく、あなたがしっかりジャーナリスの心を掴んでくれてたら彼女もあんなこと言わなかっただろうに……」
「どうしたんだい?」
ミーユはシンゾウの顔を見つめた。
そこには心からミーユを気づかう瞳があった。何もかも彼には話してしまいたい、という気持ちにさせられる───
なぜかこの人の前では素直な心になれる、と彼女は思った。なんとなくダートンに雰囲気が似ているのだろう。そう彼女は思うことにした。
そして彼女はさっきジャーナリスから聞いたことを話した。
シンゾウは黙って静かに聞いていた。その表情からは彼がいったいどう感じているのかわからない。
すると唐突に彼は言った。
「君はダートンのことを許せないの?」
「と、思う……」
シンゾウはジッとミーユの目を見つめた。
「じゃあ、もう彼のことは好きじゃないんだね」
「いいえ! 嫌いになれたらこんな苦しい気持ちにならないわ」
ミーユは知らず叫んでいた。
するとシンゾウはにっこりと笑顔を見せた。ハッとさせるほど純真な微笑みだった。
「だったらそれでいいじゃないか。君は彼が好き、彼も今は君が好きなんだから」
「だけど相手が妹さんだったのよ。あなたは気にならないの? あなたの好きなジャーナリスでもあるのに……」
シンゾウは首を振った。
「僕はそういう倫理観を学ぶ機会がなかったから……だからなのかもしれないけど…近親相姦などまったく何とも思わないよ。動物の世界じゃ当たり前のことだしね。それより僕は自分がなんでこんなに人を好きになれるのか、そのことしか考えられない」
「振り向いてもらえなくても?」
「ちょっとつらいけどね。でも自分の気持ちを大切にしたいんだ」
シンゾウはジャーナリスの顔を思い浮かべたのか、うっすらと目を細めた。
ミーユは彼の言葉を心で噛みしめた。自分の気持ちを大切にする───
それは簡単そうに思えるが、実は一番難しいことではないだろうか。
シンゾウは考え込むミーユの横顔に目を向けた。
「僕はあせらないよ。時間はたっぷりあるからね。だからミーユもあせることないよ。少しづつ理解していけばいいんだから」
彼の優しい声音がミーユの身体を包み込んでいく。
「僕たちはもう地球人ではないんだ」
シンゾウは諭すように言う。
「この惑星の住人になったんだからね」
その言葉にミーユはゆっくりとシンゾウの方へ目を向けた。
「僕たちの故郷はここなんだから」
囁くように彼はそう言った。
その時、シンゾウの視線が何かを捉えた。
彼はミーユの肩ごしにそれを見つめ、その目がより一層深い微笑みに変わっていった。かつての地球人であるふたりに、ゆっくり近づいてくる銀色の髪と紫の瞳を持つその青年───
ダートンはいつもの冷静な彼らしからぬ、おろおろとした様子で彼らに近づいてきた。
そんな彼にシンゾウは安心させるようにうなずいてみせた。
ミーユはシンゾウの視線を追ってゆっくり首を巡らせた。その彼女の目が悄然としたダートンの姿を捉える。
「いいかい、自分の気持ちを忘れちゃだめだよ。そして相手の気持ちもね」
そんな彼女の背中に響く仲間の声。
ミーユは立ち上がった。
そしてサッと振り返り、さっきまでの彼女とは違って元気良く言った。
「シンゾウ。きっとジャーナリスもあなたのこと好きになるわ。間違いない」
彼女の言葉に彼は嬉しそうに微笑んだ。
ミーユはうんっと頷くとサッと振り返り、愛しい人のもとに走っていった。その走りにはもう何も迷いは感じられなかった。




