第5章「コンピューター・ジューク」第8話
「世界が弟…ですか」
ジュークの声には珍しく戸惑いが感じられた。
それはそうだろう。
世界の秘密ともいうべき事柄を知ったのだから。
「父や母がいた世界は私たちの愛すべき弟たちと同じような世界だったみたい。父の親が管理する世界だったようだけど、結局は他の数多の世界の管理者たちにしてもその世界の住人たちにしても、それほどの違いはないみたいね」
トミーはひとつため息をつく。
「スメイルはどうしてあんなふうになってしまったのかしらね。彼女は私にはそんなに無体を強いるってことはなかったのだけど、ノンには特に執拗に絡んでくるのよ。どうして血を分けた姉妹だっていうのに、あそこまで憎むのか、私にはわからない」
トミーはそれに対してジュークの言葉が欲しいというわけではないようだ。というのも、彼女はジュークの返事を待たずに、少々行儀が悪いが、床に直接胡坐をかくようにペタンと座り込むと、静かに静かに歌い始めた。
あたしを月まで連れてって
星と星の狭間で踊らせて
手を握って
キスして
歌わせて
あたしは永遠に歌ってたいの
あなたを愛してる
だから
あたしを月まで連れてって
静かな歌だった。
不思議な歌だ。
そして、トミーの声は聞いたこともないくらいに繊細で美しい声だった。
ジュークは生まれて初めて人の声に感動していた。
「とても美しい歌ですね」
「ありがとう」
トミーは嬉しそうにそう言った。
「ずっと聞いていたいと思いました」
ジュークの言葉にトミーは目を細めて頬を染めた。
「私の声は人々の心を癒すって言われているわ。そんなにすごい能力だとは正直私は思わないのだけど、大切な人の心を癒せることは誇ってもいいのかなって思ってるの」
ジュークは自分がほとんど感情を揺さぶられることのない性格だと思っていた。
己の父が死ぬとわかった時も、そして母親と二度と会えないのだと悟った時も、それほど悲しみとか辛さを感じなかったし、どんなに美しいものを見たとしてもそれはそれで事実として受けとめ、まったく感動するということはなかったので、感情といったものが理論上では理解していても、それを体感するということも今までに経験したことはなかったのだ。
だから、自分は人間と同じかどうかも少々信じることはできなかった。
だが、今、彼はなぜかトミーの歌声に感情を揺さぶられていた。
「私は今初めて感動しています。あなたは私に初めてを教えて下さった。心から感謝しています」
「…………」
トミーはなぜかジュークのその言葉に顔を赤らめた。
「ジューク、それ、あんまり誰彼かまわず言わない方がいいわよ」
「え、なぜですか?」
「………わからなければいいのよ。それより、じゃあ、もっと何か歌ってあげましょうか?」
「はい、ぜひ、お聞かせください」
そして、トミーがジュークに歌声を披露していたその最中に、ノンとスプリンガーは戻ってきた。
もちろん、ノンはスプリンガーに自分たちの秘密を話していた。
だが、それだけでなく、スプリンガーの新しい一面をノンは知ることになったようだ。
「ったく、いい加減にしてちょうだい。私がどうしてあなたに自分たちの身の上を話したのか、ほんとに理解してないみたいだけど」
「別に理解していないわけではない。ただ、私は今まで皆の為にと生きてきた。だが、あのようなことになり、それではいけない。私は私の心の赴くまま生きていかなければ、必ず後悔する事になると気づいたのだ。だから、ノン、私のこの想いをどうか受け取ってくれ」
「……はあ」
ノンは盛大な溜息をつくと、諭すように言った。
「とりあえず、この話はいったん保留にしてくれるかしら。で、頼みますから、コールドスリープカプセルに入ってくれませんか?」
「入りたくないと言ったら?」
「いやいやいや、私の言ったこと聞いてた? 私たちは年は取らないけれど、あなたは年取るのよ? カプセルに入らないと寿命きちゃうの、わかる?」
ノンはまるで子供に言い聞かせるように言った。
それをニコニコしながら聞くスプリンガー。
本当にわかっているのだろうかとノンは心配した。
「今すぐじゃなくてもいいだろう? 私はもっとノンのことを聞きたい。それからでもいいじゃないか」
「……わかった。だけど、気がすんだらちゃんとカプセルに入ってね」
「気が済むかどうかわからないがな」
ノンは大きなため息をつくしかなかった。
それから何年か過ぎたが、やっとカプセルに入ることになったスプリンガーだった。実に10年の歳月が経っていた。
その間に、それなりにノンとスプリンガーの間には情というものが育っていった。
それだけの年月をかけて口説かれ続ければ、さすがにノンであってさえほだされる。
最後は「あなたが死んでいくのを見たくないの」と何とか説き伏せてカプセルに押し込んだ。
とはいえ、人間であるスプリンガーとの間には永遠は望めない。
いずれ必ず別れがくる。
「彼が年取って死ぬまで、同じように年を取っていく体は取れる。まるで人間の夫婦のように、ね。けれど、結局は私は彼を看取るしかないわけ。異種間の関係って難しいわ」
カプセルに強引に入れてしまってから、苦々しくノンは呟いた。
それを静かに聞くトミーだった。
そんな彼女を眇めた目で見るとノンはふてくされた声を出す。
「トミーはいいわよね」
「何よ」
「あなたのお相手は年取ることないんだもん」
「それはそうだけど。あなたたちみたいに決して触れ合うことはできないのよ」
「ああ…うん…ごめん」
ノンは素直に謝る。
するとトミーはくしゃりとした笑顔を見せた。
そうは言ってもどうしようもないことはあまり考えないことだとトミーも、そしてノンもわかっていた。
ノンはスプリンガーにほだされてはいても、それでもいまだに亡くなった恋人のことは忘れられないわけで、それはもうトミーが触れ合うことのできない相手に恋しているのと同じことなのだ。ただ、トミーのほうがまだマシか。とりあえずは心の触れ合いはできているのだから。
(とはいっても、彼は私のことをそういう対象として見てくれているのかわからないんだけどね)
トミーは自嘲気味にそう思った。
「さあ、これから長い時間を二人で、いえ、違うわね。ジュークと三人で過ごすことになるわ。それと、みんなの安全を見守るのも私たちの重要な役割になるの。とりあえず、おいしいお茶でも飲みましょう」
「そうね。トミーのいれてくれるお茶は大好きよ」
ノンとトミーはスプリンガーの眠るカプセルから離れて歩き出す。
これからどれだけの時が過ぎることか、誰にもわからないのだ。
もしかしたら、次の瞬間、条件の合う星に巡り合うかもしれないし、或いは何百年と気が遠くなるほど長きに渡ることもあるかもしれない。それでも、彼女らにはそれを苦にもしないくらい、自分たちの立場を心得ているのだった。
それこそが彼女らが特別な存在だということなのだった。
二人が出て行ってしまったあと、残されたカプセルは静かにその場所で一人の青年の眠りを守り続けるのだった。




