第3章「恋人たちの惑星」第8話
「え…?」
抱きしめられたまま、ノリコは耳を疑った。
え、好きな女?
今、そう言った?
「あの…ハヤト? あんた私のこと好きなの?」
「好きだよっ悪いかっ!」
むっとしたような声だった。照れも少し入ってたかもしれない。
「子供の頃にこの手帳を見せられて、あれからずっと手帳に書かれたこの人はどんな人だろうかと思いつつ大きくなったんだ。もし結婚するようになったら、手帳のような人と結婚する、なんてことまで両親に宣言してたんだぜ」
「ええっ!」
ノリコは驚いて、思わずハヤトから身体を無理やり離した。
ハヤトは不機嫌そうな顔をしている。
「……今でもその時のことを持ちだしてからかわれるんだぜ。カンベンしてくれよ」
彼はガシガシと髪をかきむしる。
それから、おもむろに表情を柔らかくさせた。
「おまえがこの手帳の人物本人だと知ってから、そして、その人柄に触れるようになって、ますますおまえのことばかり考えるようになった。これはもう恋としか言いようがないんだよ。だから、ノリコ」
彼は言葉を切ると、改まって真剣そのものな目を向けて続けた。
「俺はおまえが好きだ。これから俺のことをそういう目で見てくれないか。頼む」
「ハヤト…」
正直言うと、今まで、そういう目で彼を見ていなかったというわけではなかった。
ただ、この時代に目が覚めて環境がガラリと変わって、なかなかそういう色事について考えることは今は駄目だと自身に戒めていたのだ。
けれど、この時代にだんだんと慣れてきて、今はもう生まれた時からこの世界で生きているとまで錯覚するまでに心も安定してきたように思うので、これからはそういうことも考えた方がいいのかもしれない。
「わかった。ちゃんとあんたとのこと考える」
「よし! 約束だぞ!」
そう言うとハヤトはいきなりノリコにキスしてきた。
「な、なに、いきなりそんな!」
ノリコは慌ててハヤトの腕から逃れようとする。
だが、ハヤトはがっしりと彼女の身体を抱き締めたままだ。
「約束のキスだ。絶対、俺のことを好きにさせてみせる!」
「む……」
こんなに強引な男だったとは。
彼と同じ名前のクラスメイトだった彼もこんなに強引な人だったのだろうかと、ふと思う。
それを知る前に彼とは別れてしまったので想像するだけだ。
ただ、今のハヤトは当時の彼とは違うのだろうと考える。
そして、今自分を抱き締めるこのハヤトに急速に心が囚われていくのを感じていた。と同時に、なぜが心の底で苦しいくらいの懐かしさも感じていた。
(こんな体験をいつか経験したような気がする)
それは魂に刻まれた記憶。
今の彼女には思い出せない記憶だ。
いつ、それが解放されるのか、誰にもわからない。
それをどこまでも不思議に思うノリコだった。
翌朝、ノリコたちは大型ホバークラフトに乗り、シティの外に出た。
どこまでも続く、岩ばかりの大地。
空には灰色の分厚い雲が渦巻き、大気改造が進められているとはいえ、まだまだ宇宙服なしでは出ていけない。
そんなじめじめした高温多湿の中を、彼らはこの星名物の巨大宇宙船に向けて走っていた。
巨大宇宙船。
それは全長1キロにも及ぶ、ちょうど鯨のような形をした宇宙船である。
人類がこの金星に移住してきた頃にはもうすでに存在していた。
いったいいつからそこにあり、いったい誰がこれを造ったのか、いまだにわかっていない。
解体して調べてみようにも、どのような金属でできているのか、どんな事をしても、何を使っても壊すことができなかったのである。
恐らく人類が誕生する、ずっと昔、この太陽系に来た宇宙人がいたに違いない。
その彼らは、いったいどこに行ってしまったのか、それとも、船の中で今でも生活しているのではないか、様々な憶測が飛び交った。
金星の巨大宇宙船は、人類の七不思議のひとつであるといっても過言ではない。
「あっ、あれだ!」
仲間の一人が声を上げ、彼らは一斉に窓から前方を眺めた。
巨大な宇宙船が、銀色に輝きながら12人を待っている。
「すごい! こんなに大きな船は初めて見るよ」
「きれいな船ねー。太陽の光が届かないのに光ってるわ」
「どういう構造になってんだろうね」
仲間たちは口々に自分達の意見を言い合いながらホバークラフトから降りて大地に立った。もちろん、宇宙服をつけて、だが。
「ほら、見て、あそこ。なんか文字みたいな彫り物があるわ」
ミーユが叫んで指さした。
見ると、宇宙船は滑らかな流線形で、ほとんど凹凸がなかった。海の王様である鯨のような形をしていて、その鯨でいえば頬にあたるところに見たこともないような文字のようなものが彫られてあった。
「きっと、この船の名前なんだろうね」
ノブオの言葉にみんなは頷く。
背の高いノブオのせいでその文字が見えてなかったノリコも文字を見ようと背伸びをした。
すると、その彼女の目が、身体が、凍りついたように動かなくなってしまった。
周りの者は誰も気づかない。
が、それにいち早く気づいたのはやはりハヤトだった。
「ノリコ! どうした?」
ただならぬハヤトの声に、みんなが一斉に彼女を振り返った。
と、その刹那。
「希望…」
ノリコが呟いた。と、同時に、ノリコとその仲間たちはその場から忽然と消えてしまったのだ。




