プロローグ「地球─テラ─」第2話
「シュライン参謀長官。例の作戦はうまくいっているのか」
声をかけられた一人の男がスクリーンボードから顔を上げた。
薄い茶色だが、むしろ金髪に近い明るい髪、四十代半ばのいかにも頭の切れそうな顔だちをした精悍な感じの人物だった。
そして声をかけた人物を見つめる彼の瞳は、血のように真っ赤だった。
「順調にいっております、タレス総統。後は中佐の帰りを待つだけです」
シュラインは軽く頭を下げるとそう答えた。
「そうか。頼むぞ。全人類の生命が、私とお前の肩にかかっていることを忘れるなよ」
「はい。充分、承知しております」
彼は再び頭を下げた。
ユーフラテス星の総統タレスは、歳の頃はシュラインとほとんど変わらなかった。
温厚な顔をしたこの総統は、今一つ政治や軍事には疎く、この右腕のシュラインに任せきりであった。
タレスは全面的に彼を信頼していたのである。が、他の長官たちはこの頭脳明晰の参謀長官をあまり信用していなかった。
シュラインは人付き合いが悪く、他人を自分にあまり近づけたがらなかった。そのため、一体この男は何を考えているのか判らず不気味だと思われていたからだ。
「いけすかない男だ。総統を利用して、この星を乗っ取ろうとしているのではないか」
人々はそう囁いた。
ところでシュラインには息子が二人いた。
兄は言わずと知れたダーグリードで、そして弟をシグマードと言った。
兄の方は父親を神のように崇拝していた。それに対し、弟は何に付けても父に反抗し、兄に反発していた。彼ら二人の間にはいつも争い事が絶えなかったのだ。
「俺は父さんの考えに賛同できない。どうせ俺はダークのように頭が良くないから父さんの言うことなどちっとも理解できないんだ」
シグマードは、彼の父と兄にひどい劣等感を抱いていたのである。
「父さんほど立派な人間はいないぞ、シグマ。お前ももっと父を知るべきだ。子供を卒業して早く大人になれ」
口癖のようにダーグリードは弟に言い聞かせた。
彼らの父親は何も言わない。
彼らは小さい頃から、父親らしい言葉をかけられたことはなかったのだ。
他人が見れば、本当に彼らは親子なのだろうかと眉をひそめるかもしれない。
感じやすい心を持つシグマードはそんなシュラインを、どうしても本当の父親に見ることが出来なかったのだ。
実際、彼がそう思うのも仕方がなかった。
性格も冷静な父と兄に対し、彼は短気だったし、髪の色なども明るい色に対し、彼は闇のように黒かった。肌の色も二人は抜けるような白さなのにシグマは浅黒い。
そして何よりも瞳の色である。真っ赤な瞳に対して彼は髪と同じく真っ黒だったのだ。自分は本当の子供ではないのでは、と思うのも無理なかったのである。
それに対してシュラインは、決して何も言わなかった。
一方、こちらはユーフラテス星に向かう宇宙船の中。
出来のいい兄、ダーグリードの前に座り、彼をジッと見つめる4つの瞳。
言わずと知れた、ノンとトミーである。
ノンは彼の用意してくれた服を身につけていた。淡いピンクのワンピースで彼女によく似合っている。
「大体のことは飲み込めたわ」
ノンは考え込みながらそう言った。
「でも何故、私たちが普通の人間ではないと判ったのかしら。力は使ってないはずよ」
「使ってるさ。自分たちが気づいていないだけで、無意識のうちに使っているものなんだよ。それをセンサーが捉えたんだ」
ノンは溜め息をついた。これでは見つかるのも時間の問題だな、とノンは思った。
「まあ、それはいいとして」
彼女は腕組みしながらツーンとした態度を取った。
「あれはまずいわね。もっと接触の仕方っていうものがあるでしょうに」
ノンは人指し指をツンツンと彼に向けた。
「この私を本気で怒らせるんだもの」
「すまなかった。地球人のエスパーは初めてだったもので」
彼の態度には最初の時の印象が微塵も見られなかった。
「あらー。地球人じゃないのよ、私たち」
「バカッ! やめなさいよ、トミー」
途端にノンがピシャリと言った。
「え、地球人じゃない?」
「ダーク、何も聞かないでくれる?」
ノンは困ったように顔をしかめ、両手を合わせてお願いのポーズを取る。
「それに力を使うのも一回だけよ」
「ええっ、どうして?」
彼はびっくりして聞いた。
「私たち、ヤバイのよ。追われてるの」
「追われてる?」
彼が訝しげな表情をした。
「あ、でも悪いことして追われてるんじゃないのよ」
トミーが慌てて弁解した。
彼は頷くと、二人をジッと見つめた。彼女たちは必死な表情をしている。
ダーグリードは少なからず心を動かされた。そして決心した。
「判った。もう何も聞くまい。その代わり君たちの力を貸してくれ」
ノンとトミーはゆっくり頷いた。
「こちら、スカウティングシップナンバー5。現在、ユーフラテスの旋回軌道で待機中、誘導願います」
今、ノンとトミーは地球から離れること十万光年の彼方のユーフラテス星を目の前にしていた。
そこは、地球と同じ青い星、流れる白い雲、人々が蠢く陸地───のはずであった。
「ちょっと、何なのこの星は!」
そう叫んだのは、ノンであった。
無理もない。
彼女の目に映った物は───旋回軌道から見た限り、この星は青ではなかった。
不気味な赤褐色で覆われている。海や川がある存在など、この色からでは微塵も感じられない。
「どこが緑あふれる星、ユーフラテスよ! これじゃあ砂、そう、まるで砂漠の星だわ!」
ノンの声には怒気が込められている。
「どういうことなの、ダーク。説明してくれるんでしょうね」
頭に血が昇ったノンとは違って、トミーは冷静だ。
「わたしがここを出た時は、こんな風ではなかった。まだ砂漠は、地表の三分の一ほどだったんだ」
「それほどブラックホールの影響が現れてきたって事なのね」
彼女は哀しそうな表情で不毛の星を見つめた。
「なんてこと! これじゃあ、ブラックホールを消しても元の星に戻るかどうか疑問ね」
怒れるノンを諭すようにトミーは言う。
「怒ったって仕方ないでしょ。これが大自然っていうものなんだから。私たち人間に、どうこうできるもんじゃないのよ」
「あら、じゃあブラックホールだって大自然の一部じゃない。ユーフラテスが飲み込まれちゃうのも大自然の摂理じゃないの?」
ノンも負けてはいない。屁理屈を言いだした。トミーは、やれやれといった表情で頭を振った。
「万に一つの可能性があるのだから、摂理とは言えないわね。神の意思がそのブラックホールにあるのなら、どんな方法を使ってもこの星は救えないでしょうけど、方法がある限り、それは絶対じゃないわ。そうでしょ、ダーク」
ダークはトミーに声をかけられ、ハッとした。
「そ、そうだね」
「なるほどね。可能性のある限り絶対じゃない、か。でも可能性のないものってこの世にあるのかしらね」
ノンが呟くようにそう言った。すると、彼は言った。
「たぶん、ないんじゃないかな」
「言い切ったわね」
ノンはダーグリードを眇めて見た。
すると、彼はそれには反応せず、心なしか気落ちしたように肩を落とした。
「しかし、本当に自然の力とは怖いものだな。あんなに美しかった我々の星が、こんなに不毛の星になってしまうなんて」
そんな彼に、トミーはそっと近づいて囁くように言った。
「気を落とさないで。ブラックホールは私たちが何とかしてみせるから」
彼はトミーを振り返ると微笑んだ。
「ありがとう。君は優しいね」
「まー! まるで私が鬼みたいねっ」
彼の言葉を耳聡く聞きつけたノンがふてくされた。
「いや…別に君が鬼みたいだなんて言ってやしないよ」
「あら、ノン。あの時は、まさしく鬼みたいだったわよ」
トミーがクスクス笑うと、ノンは真っ赤になってまくし立てた。
「何言ってんのよ。あれは、そもそもダークがいけないのよ。私を怒らすから」
「だから、さっきからその事は謝ってるだろ」
負けじとダーグリードも言い返す。
そんな彼らはもう昔から知っている仲間のように見えた。
ゴゴゴゴォ───
ダーグリードたちの乗った宇宙船は、黄金色の砂漠にゆっくりと降下していった。
どこまでも続く黄色い砂、砂、砂───しかし、所々にこの間まで人々が暮らしていた面影が残っていた。
たとえばビルディングや乗り物の残骸である。それらが砂の中から頭をのぞかせている。
「すごいものね。今までいったいどれだけの人が亡くなったのかしら」
ゴクリと唾を飲み込んで、ノンはスクリーンを凝視した。
「見てられないわ」
そっと目を外すトミー。
ついこの間まで、この砂漠へと変貌してしまった場所に暮らしていた人々がいるのだ。
そして、その平和を徐々に天変地異が襲い、人々は逃げ惑い、叫び、それこそ地獄のようだったろう。
三人は、それぞれの想いで、この痛ましい風景を見つめていた。
すると、ノンは宇宙船を降下させ続けるダーグリードに問い掛ける。
「ところで、こんなところに着陸してどうするの。都市はもうないのに」
「いいんだよ。今にわかる」
彼の言葉通り、しばらくして、低い地鳴りとともに砂漠が割れ出した。
「なんと! 地下にあるのね!」
「そう。地球の人たちと同じく、我々もシェルター用にと地下に都市を建設していたのだ」
ドドドドドォ───
完全に真っ二つに割れた砂の中に、彼らは降りていった。
下に降りるにつれて、船外スクリーンに映る外の風景に、ノンとトミーは目を見張った。
それは都市だった!
完璧なまでの空間。人工太陽。燃える緑。滑らかな流線型の建物たち。そして、その間を蝶のように動き回るフライングカー、蟻のような人々。
宇宙船は、都市の中央とおぼしき場所を降下していた。見ればエアポートらしき敷地が広がっている。
様々なタイプの宇宙船が、整然と横たわっている。しかし、そのほとんどが、じっと動かずに着陸したままだった。
恐らく何人かの人間は、自分の宇宙船でこの惑星を捨てていったのであろう。今となっては、この惑星を見捨てられない人々だけがこの地に残り、だから、誰も宇宙に出る者はいない。
エアポートは死んだように活気がなかった。そこへ、轟音を立てて着陸するダークたちの宇宙船。人目を引かぬわけがなかった。
「おおっ! ダーグリード中佐が帰ってきたぞ」
「いよいよ、我々は助かるのか」
人々の期待のこもった目が、宇宙船に向けられる。そして、ダークたちは、果たしてその声に気づいているのかいないのか───その表情を見る限りではわからなかった。スクリーンに映る圧倒的な風景を、ただ見つめているだけだったのである。
ユーフラテス星防衛宇宙局本部───
ダーグリードからの帰星の報告が入ってからは、はちの巣をつついたような騒ぎである。
「エスパーたちの最終訓練を行う! 用意をしろっ!」
「最後のエスパーだ! いよいよ作戦の総仕上げだ!」
各長官たち、参謀たちはてんてこ舞いだ。
その中で、一番偉そうな態度の男が言った。
「シュライン参謀長官には気づかれてないな」
「はっ、完璧なものです。ダライウス参謀次官」
ダライウスは満足そうな笑みを浮かべた。
「急げ! 時間がないぞ! 我々の新天地のために!」
彼の声とともに、オーッという掛け声が響き渡った。
「シュラインの奴め、総統を丸め込んで何を始めるのかと思ったら、ブラックホールの軌道を変えるだと? そんな戯言が信じられると思うのか。エスパーは戦ってこそのものだ。戦って勝ち取るのだ!」
シュラインと同じくらいの年頃のこの男は、切れ長の冷たい瞳をさらに細くし、広い額にしわを寄せて、拳を振り回した。
「この作戦が成功したあかつきには、無能なタレスを打ち倒し、この私が総統となってやる!」
一方、当のシュラインは、仲間の裏切りを知ってか知らないでか、タレスと打ち合わせをしていた。
「ダライウスは、エスパーの訓練を全面的に任せてくれと言っていましたが、大丈夫でしょうか、総統」
「何を心配しておる、シュライン。彼も心を入れ替え、ユーフラテスのためを思い、作戦に協力すると言っている。彼を信頼しようではないか」
「はぁ……」
しかし、シュラインは、持ち前の勘の鋭さで、何か言いようのない不安を感じていた。
あの男は、そうたやすく己の信念を曲げるような人間ではない。何か一物あって、今は協力しているのではないか───
「失礼します」
すると、コントロールルームのドアをノックする者があった。
「誰だ」
答えるタレス。
「お忙しいところを申し訳ありません。ダーグリードです。シュライン参謀長官は、そちらでしょうか」
「おお。ダーグリードか。はいりたまえ」
「それでは失礼します」
ドアが開けられ、かしこまった彼と、そして、二人の少女が入ってきた。
タレスとシュラインは、「ほう」とした顔つきで、この二人の少女を見つめた。
「この二人かね。最後のエスパーというのは」
最初に口を開いたのはタレスである。
ノンとトミーは、彼に答えるかのように、ニッコリと微笑んだ。
それを横から見ていたシュラインは、思わずといったふうに表情を和らげた。
しかし、すぐに厳しい顔つきに戻る。
「ダーグリード中佐。さあ、彼女たちを総統にご紹介したまえ」
「はい」
ダークは、シュラインに頷いてみせた。
「私の横にいる者がトミー、そして彼女がノンです」
彼は、ノンたちが軽く会釈するのを確認してから、再び口を開いた。
「そして、ノンにトミー。こちらの方が、我がユーフラテスの総統タレス様。そして、そちらが私の父でもあるシュライン参謀長官だ」
彼に紹介されて、タレス、シュラインの順番で軽く会釈するノンとトミー。それから一歩前に出た。
「私がノンです」
「私がトミーです」
さらにノンは続ける。
「お話は伺いましたが、私たちの仕事はブラックホールの軌道を変えることとか。他のエスパーには会わせていただけるのですか?」
「もちろんだ。彼らは今特訓中だが、君たちを入れて最終特訓に入る……」
「ち、ちょっと待ってください!」
シュラインの言葉に、今度はトミーが口をはさむ。
彼女はノンを振り返った。それに頷くノン。
「それはちょっと困るんです」
「何が困るのかね?」
タレスとシュラインは怪訝そうな顔をトミーに向けた。
「私たち、事情がございまして、力を使うのは一回きりだけにしていただきたいのです」
「事情?」
思わずタレスが聞く。
「申し訳ないのですが、詳しいことは話せないのです」
トミーの必死な表情に打たれたのか、タレスもそれ以上何も言えなくなってしまった。
すると、代わってシュラインが口を開いた。
「しかし、そう言われても、即本番というわけにはいかないと思うが……」
「大丈夫です」
トミーに代わり、ノンが力強く自信たっぷりに言い切った。
「私たちに任せてください。お望み通りやって見せますから」
「………」
あまりにも自信ありげな笑みを浮かべるノンに、シュラインさえも思わず頷いてしまった。
「そうか。それでは、これから他のエスパーに会ってもらおう。中佐、二人を訓練センターに連れていってやってくれたまえ」
「はい、わかりました」
「あの人がダークのお父様なのね。ステキな方ねぇ」
コントロールルームを出ると、真っ先にトミーが言った。
「ええ、そうね。でも私、最初あのお二方を拝見した時、失礼だけど、あなたのお父様の方が総統かと思っちゃった」
そういうノンに、ダークは慌てた。
「馬鹿なこと言うもんじゃないよ。タレス派に聞こえでもしたら大事だよ」
ノンは不思議そうな顔をした。
「あら、どうしてなの? 内部紛争でもあるの? ま、多かれ少なかれ、どこにでもあるんでしょうけど」
ダークは小声になって言った。
「それでなくてもね、父さんは周りによく思われてないんだよ。あんなに立派な人なのに、父さんが総統の地位を狙ってるってね」
「まー、それはひどいわ!」
そう叫んだのはトミーである。
その横で、ノンはしきりに小首をかしげていた。
「そんなことはないと思うわ。あなたのお父様は外見とは裏腹に野心を持たない人だわ。むしろ、総統が好きでたまらないんじゃないかしら。何かしてあげたいって思ってるんだと思うわ」
まるで、シュラインの心を読んでいるように彼女は思った。
「君は人の心が読めるのか?」
ダークは驚いて言った。だが、自分の父のことを理解してくれるのが嬉しいのか、好意的な声の響きである。
そんな彼に、ノンは言葉を選び選び説明しようとする。
「いえ、読めるわけではないの。よく、お話なんかで、相手が考えていること、たとえばお腹が減ったとか、頭が痛いとか───そういうのが、パッと文字や声として頭に浮かんだりする───なんていうけれど、いくらエスパーといっても、そんなことできるもんじゃないわ。私たちは、相手の微妙な心の動きを敏感に感じることができるっていうだけなの。犬や猫の持つ、動物的な勘っていうものが、もっと強くなったもの───とでもいうのかしらね。でも、普通の人たちには、それが“読める”と思ってしまっちゃうのね。正確に言うと、感じているだけなんだけど。単純な考えは感じ取ることはできるわ。でも、あまりに複雑だと、私たちにも難しいけど……。人の心を読むことは、星をひとつ爆発させる能力よりも難しいことなの。それほど人の心は奥深く、未知なるものなのよ」
「…………」
ダークは、わかったような、わからないような、あいまいな笑顔を浮かべた。
そんな彼を見て、ノンは彼の肩をバンと叩いた。
「ま、そんなこと、どうでもいいじゃない。普通の人とちっとも変わらないんだから、ねっ!」
彼女はそう言うと、ニッコリと笑った。