第2章「アメーシスのモーゼス」第10話
「モーゼス」
ノブコは、ノリコが眠りについてから、モーゼスの傍に来ていた。
ガランと広い空間にそそり立つ、機械の塔であるコンピューター・モーゼス。
その冷たく温かみの感じられない側面に背中をつけて座りこみ、彼女はポツリと呟いた。
「私、ずっとここにいていい?」
「ここはあなたの家であり、故郷だ。あなたが望むなら、骨となって大地に還るまでいたらいい」
「…………」
モーゼスの声は、この上なく優しい響きであたりにこだました。
ノブコは、膝を抱えて座り込んでいた。
その姿は、幼い子供のようだった。
「私は、たぶん地球には帰らないわ。ここに骨を埋める……」
「どうした…ノブコ。あなたは何を考えている?」
モーゼスの声に、彼女を心配する響きがあった。
ノブコは、何かを考えるふうに床を見つめた。
その床は、よく磨かれていて、彼女の顔が映っていた。まるで鏡のように。
「ノリコにいろいろ聞いたわ」
彼女は、一語一語噛み締めるように言葉を続ける。
「私がいた大学のこと。ノリコの大学生活のこと。彼女の家族のこと。ああ、でも、モーゼス、ノリコはこの時代の人間ではなかったんですって」
「この時代の人間ではない?」
訝しそうに聞くモーゼス。
ノブコは、コンピューターがクエスチョンマークで聞いてくるのがおかしくて、思わずクスクスと笑った。
「ええ。彼女は約280年ほど前の時代に生きてたんですって。それが事故で冷凍され、この時代に目覚めたそうよ」
「コールドスリープ……」
モーゼスは、とても興味があるような声を出した。
「ユニークだ。実にユニークな存在だ」
「ええ、確かにそうだわね」
ノブコは、彼ならきっとこんな反応を示すと思っていた。
それが見事にあたって、何だかとても楽しい気分になってきた。
だが、すぐに自分がなぜここに来たのかを思い出し、またもや憂鬱な気分に囚われ始めた。
「彼女の今の家族は、私がいた大学の──つまりはノリコの大学でもあるのだけど──パイロット・セクションでも優秀な成績をおさめている、ワタナベコウイチと彼の父親なのよ。彼女はとても幸せだということだわ。コウイチさんも彼女にとても優しくしているらしいし……」
ノブコはなぜか自分の胸がキリキリするのを感じていた。
(どうしてだろう……)
彼女は不思議でたまらなかった。
コウイチとは話したこともない。
確かに姿は見たことがある。
セクションが違うとはいえ、構内で会うことはしばしばあった。
だが、彼は自分など知らなかっただろう。
いや、名前くらいは知っていたかもしれない。
でも、きっとそれだけだ。
(ここに来て、モーゼスと二人きりでいて、とても穏やかな気持ちになれた)
ノブコは考える。
あの頃───
なぜ、私の心は嵐が吹き荒れていたのだろう。
わからない。
自分の心がまったくわからない。でも───
「モーゼス。ノリコの話を聞いていくうちに、私気づいたの」
彼女は頭を上げて、チカチカ輝くモーゼスの機械の身体を見つめた───身体と呼べるのかどうかわからなかったが。
「もう一人でいるのはいや。私、確かに地球を出てきたときは、自分を追及する旅に出てきたと思ってた。人と人の関わりを疎ましく思い、一人になりたいと思って」
ノブコはモーゼスに寄り添い、その冷たい身体に頬を擦り付けた。
「モーゼスのおかげで、私、ようやくざわついていた心が落ち着いたわ。そして、その落ち着いた心で今回ノリコに会って、いろいろお話を聞いて、やっとわかったの」
「…………」
ノブコが一息ついた。
モーゼスはじっと黙ったままだ。
「やっとわかったの───人間は一人では生きていけないって。一人でなんか生きていけるわけないのよ。友達だって、家族だって、そして……そして……」
彼女の声が震えた。
「……どうして、私はあの人が気になっていたのかしら……どうして、今とてもあの人に逢いたくて逢いたくてしかたないとまで思ってるのかしら……」
「人は……」
すると、ずっと黙っていたモーゼスが重々しい口調で語り始めた。
「人は恋を知ると一人になりたくなるものだ。特に、あなたのように初めて恋を経験するとね。今まで抱いてきた、人生観から、ものの考えから、何もかもがすっかり変わってしまう。それが、子供が大人になるということなんだよ」
「まあっ!!」
ノブコは驚きの声を上げ、顔を上げた。
モーゼスのボディのチカチカ瞬くネオンが、先程より多くなったように彼女には思えた。
「まああっ!!」
ノブコはもう一度叫ぶと、言葉を続けた。
「モーゼス。あなたまるで恋をしたことあるような口ぶりで話すのね」
「…………」
彼は、それには答えず沈黙した。
だが、ノブコは気にせず続ける。
「でも嬉しいわ。機械のあなたが私のことを理解してくれて。私、あなたに提案したいことがあるの」
「提案?」
「ええ。私、このアメーシスに都市を作りたい」
ノブコは立ちあがった。
「都市はもうある」
モーゼスは混乱しているようだった。
彼の声には、この小さな友人の言っていることがよくわからないといったニュアンスが含まれていた。
「そうじゃないの。ここはとても快適だわ。人間が住むのにとても適している。地下だけじゃなく、地表だって有効的に使うべきだわ。だから、私思うの。地球、いえ、他の惑星からでもいいわ。ここに人間を連れてきたらどうかって。私、ノリコにもその話をして、彼女を通して地球のトップの人たちに話をしてみたいと思う」
「…………」
ノブコは沈黙しているモーゼスに不安を感じた。
「モーゼスは嫌なの?」
「いや、ノブコ。私はその提案に賛成だ」
「嬉しい!!」
彼女は感極まって、モーゼスに抱きついた。
「そう言ってくれると思ったわ、モーゼス。大好き!」
「私は人間が好きだ。もちろん、ノブコ、あなたもね」
「…………」
ノブコは思わず笑いたくなった。
モーゼスの声に、明らかな照れを感じたからだ。
すると、彼は口調を改めて、
「仲間はいい。大勢いればいるほどいいものだ」
「モーゼス?」
ノブコは、不思議そうな顔をして、この大きな友人を見上げた。
「私にもかつて仲間がいた」
「え?」
唐突にモーゼスは自分のことを話し出した。
それは、恋のことではなかったが、ノブコにとってはとても興味深い話だった。
「五隻の移民船にはコンピューターが設置されていた。私のように独自に思考できる同じタイプのコンピューターたちだ。私たちは亜空間ネットワークで繋がっていた。どんなに遠く離れていても、船が消滅してしまわない限り連絡は取れることになっていた」
彼の声がだんだんと苦しげになっていく。
「だが、一隻一隻と連絡が途絶えていき、結局私ともう一隻だけが残ってしまった」
「ということは、やはり他の船は何らかのことがあって、それで船が壊れてしまったのかもしれないってことなのね」
ノブコは、巨大な彗星にぶつかっていく移民船の光景が目に浮かんだ。
(そういうこともあったかもしれない……)
「私と、もう一隻のコンピューターは他の仲間たちより、更にお互いをよく知り合っていた仲だった」
「?」
ノブコは、モーゼスの声が限りなく優しく深みのあるものに変化したのを感じた。
「コンピューター・ジューク。彼の名はジュークという名前だったのだ」




