第2章「アメーシスのモーゼス」第8話
「!」
ノリコは唐突に目覚めた。
誰かが私を呼んでいた───ような気がする。
「………ここは…?」
自分はいったいどうしたのだろう。
ふかふかのベッドの上に寝かされているのに気づいた彼女は、身体を起こし、辺りを見回した。
12畳ほどの狭くもなく広くもないごく一般的な広さの部屋だった。生活道具一式がそろえられている。どうやらコンパートメント(個室)のようだ。
「窓がない……」
何となく不自然な感じはするけれど、そういうこともあるだろうと思いつつ、彼女は更に考える。
ここはどこなのだろう。
私はなぜこんなところに?
待てよ───私は何をしていたんだっけ?
「ああっ! イグザミネーション!!」
彼女はガバッと立ち上がった。とその時。
(そのまま部屋を出なさい。誘導します)
突然頭に声が響いた。
テレパシィだ───ノリコはそう思った。
彼女は辺りをゆっくりと見回した。だが、もちろん誰かがいるわけではないことも、彼女にはわかりすぎるほどわかっていたのだが。
このままここにいてもしかたがない。
彼女は意を決してベッドから離れると、ドアまで歩いた。
シュッという音とともにドアは開き、彼女は用心しながら出る。
「…………」
ノリコの目に、廊下が白く映った。
ここにも窓はない。
まるで宇宙船の中のようだ。
彼女がそんなことを考えていたら、またもやテレパシィが。
(廊下を左に進みなさい)
「左ね……」
彼女はそう呟くと、ゆっくりと、だがしっかりした足取りで歩き始めた。
コツン、コツンと自分の足音だけが虚ろに響き渡る。
歩いていくうちにわかったことだが、この廊下は一本道ではなく、右や左にいくつも枝分かれしていた。
「とても広いようだわ。これらの道はどこに続いているのだろう」
持ち前の好奇心がムクムクと頭をもたげてきたノリコであった。
(次は右に)
いきなり、予告もなしに頭に侵入してくる謎の声。
普通なら、恐れるか、あるいは勝手に頭を覗かれているような気分に不快感を示すかのどちらかだと思うのだが、ノリコは全く何も感じていないようだ。
それでも、いきなりテレパシィで語り掛けられると、ドキッとしてしまうのは仕方のないことだ。
(次は左だ)
彼女はテレパシィの命ずるまま、右折、左折を繰り返していった。
だが、そういうことが何度も続いて、多少なりとも彼女はイラついてきたらしい。
「まだなのかなぁ」
あれから5分以上は歩いている。
相変わらず辺りは白、白、白の壁ばかり───と、その色一色の世界に突然現れた灰色のドア。
ノリコは逸る気持ちを抑えつつ、その扉の前に立った。すると、それはスーッと音もなく開いたのだ。
それより数分前のこと。
ノブコは、モーゼスから地球人を連れてきたことを聞かされていた。
「どうやって連れて来たの?」
「それは……営業上の秘密だ」
「ぷっ…」
ノブコは思わず吹き出した。
「いやだ、モーゼスったら。まるで人間みたい」
「私は人間ではない。コンピュータだ」
だが、彼女は、そのモーゼスの声にはっきりとした感情の動きを感じた。
まるですねたような声色。
その不機嫌そうな口調のまま、彼は続ける。
「とにかく、貴女のユーニガースティからランダムに選んだ人間だ」
「そう、私の……。どんな人なのかしら」
ノブコは、ポツリと呟いた。
高鳴る期待を胸に抱く。
目の前の扉が開くのを今か今かと待つ。
「…………」
息を呑み、じっと黙ったまま待ち続けるノブコ。
そして、次の瞬間、扉は軽い音とともに開いた。
二人の少女が、言葉もなく互いに見つめ合って立っていた。
ノリコは、黒いストレートの髪を持つ整った顔立ちの少女を見つめ、ノブコは、やわらかそうな茶色の髪とクリクリした目を持つ少女を見つめている。
まるで時間を忘れているかのごとくしばし見つめ合う二人。
そして、モーゼスは沈黙したままである。
だが、最初に喋り出したのはノリコだった。
「ここは、どこ? あなたは誰?」
「ここはアトランタ。私はノブコ……タナカノブコ」
すかさずノブコは答えた。
「アトランタ……え? タナカノブコ? じゃあ、あなた……」
「?」
ひどく驚いているノリコを不審に思ったノブコ。首を傾げていると、それに気づいたノリコが言った。
「ノブオくんのお姉さんなんでしょう?」
「えっ? ノブオを知ってるの?」
今度はノブコが驚く番だった。
ノリコはそんな彼女に続けて言う。
「ええ。彼は仲間の一人なんです。あなたのことはよく聞かされてましたよ」
「そう……彼は元気なのね……」
「…………」
少し沈んだ感じの彼女を見て、ノリコは優しく声をかけた。
「ノブコさん、ノブオくんも待ってます。帰らないのですか、地球へ」
ノリコは、彼女がなぜ長い間地球に戻ってこないのかは聞かないでおこうと思った。それは自分が聞くべきことではない。もし、彼女が自分を信頼してくれて、その上で何か聞かせてくれるのなら別だが、たった今出会ったばかりの相手に、そうそう胸の内を話してくれるものではないだろう──そういうこともノリコにはわかっていたからだ。
「家族には会いたい気持ちはあるわ。でも、今はまだ帰りたくないの」
「……………」
ノリコは、うつむいて答える黒髪の少女に同情のまなざしを向けた。
と、その彼女の目が何かを見つけた。
「これは……」
ノリコは目を上げた。
ノブコの傍らに鎮座している巨大な機械。
そう、モーゼスだ。
「これは、コンピューター……?」
「はじめまして」
「!!」
ノリコは驚いた。
喋った!!
とはいえ、コンピューターが喋ることは、別にそれほど珍しいことでもなかったのだが。
ノリコがこの時代に目覚める前の時代でも、喋る機械というものは存在していた。つまり、彼女が驚いたのも突然声をかけられたからであって、コンピューターが喋ったからというわけではない───と、彼女は心の中でいいわけをしてみた。
「はじめまして。私は惑星アトランタの都市アメーシスの守人モーゼスだ」
再び、モーゼスの低く張りのあるバリトンがあたりに響き渡った。
それでも、ノリコはやはり驚嘆せずにはいられなかった。
彼女もノブコと同じく、このような大規模なコンピューターを今まで目にしたことがなかったからだ。大学にもコンピューターはあるにはあったが、外観もまったくこれとは異なっていたからだ。
なんというか、これはとても魅惑的だ───と、彼女は思った。
「え…っと……わ、私……そう、私はノリコ。クロミノリコと言います。ヨナゴ・スペース・ユーニガースティの学生です。ノブコさんの後輩ということになりますね」
いつのまにかボーッとしていたのに気づくノリコ。慌てて自分も自己紹介をした。
すると、モーゼスは心なしかいたわるような声音で、
「それでは、どこか別の部屋に移動してはどうだろう。人間同士でゆっくり話すのもいいのではないかな。特にノブコはつもる話もあるのではないかと思うのだが」
その言葉にノブコは嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、そうね、モーゼス。では、ノリコさん、私の部屋に行きましょう。さあ、ついてきてくださる?」
彼女はそう言うと、静かに歩き出した。
──サラサラ……
(きれい……)
ノリコは、自分を誘うノブコに釘付けになった。
彼女は白いサテンのロングドレスを着ていた。それはノブコが動くたびにサラサラと気持ちの良い音を立てて揺れていた。
(さすが、ノブオくんのお姉さんだわ。すっごい美人……)
ノリコは思わず見とれながら彼女について歩き出したのであった。




