第2章「アメーシスのモーゼス」第7話
「何やってんだ、あいつは。加速のつけすぎだぜ。死ぬ気かよ!」
コクピットでブツブツ呟いているのはハヤトである。
彼は、先頭を行くノリコのボートを必死に追いかけていた。
じっと前方だけを見つめ、まるで愛する女を追いかけているような、そんな雰囲気でボートを操り、ノリコの機体を見失うまいとしている。
そんな彼のテクニックも絶品だった。
「まったく……無茶ばっかりしやがって。あいつからは目が離せねえな」
彼の表情は、言葉とは裏腹に楽しげであった。
そして、彼のボートもまた、ノリコのように加速を増していったのである。その後ろを彼らの仲間である10人が続く。さらに遅れて、残りの学生が続いていた。
「さすがノリコだ。腕は確かだな」
ハヤトの次に続くのはノブオだった。
やさしげな表情に、キラリと光る黒い目を細めた彼は、右手で顔にかかる髪の毛をかきあげた。
と、突然それは起こった。
はるか後方の学生には目撃できなかったが、ノリコのあとに続く11人の仲間たちは見た。ノリコのボートがだんだんと透明になっていくのを。
「ああっ! ノリコのボートが消えていく!」
一様に叫ばれる仲間たちの声。
だが、彼らの悲痛な声も届かず、次の瞬間、完全に彼女のボートは消えてなくなってしまった。
「どうしたのっ!?」
「ノリコのボートが消えたぞ!」
「どうしたんだ?」
「ノリコはどこに行ってしまったの?」
残された彼らは、パニック状態に陥りかけていた。だが、試験に不合格するわけにはいかないと思い、そのまま飛行を続けた。
「いったい……いったい何が起きたってんだ?」
すぐ後ろを飛んでいたハヤトは呆然としていた。彼は飛行しつつ、ノリコのボートが飛んでいたはずの空間を、ずっと見つめていた。
ノリコのスペースボートが消失してしまったことは、衛星フォボスのステーションから地球に報告がいった。そして、大掛かりな捜索隊が派遣された。
一方、一番近くを飛行していたハヤトは、当時の状況を説明するために試験が終わった後、すぐに捜索隊の船に乗りこみ教官の前に立った。
「そうです。私より前方5キロを飛行していました。すると、突然、何の前触れもなしにそれは起こったんです」
彼の声が震えた。
「彼女のボートが、まるで…まるで、蜃気楼のようにゆらゆらと薄らいできたかと思うと、もう次の瞬間には消えてしまっていたんです」
「ふうむ…」
SPセクションの教官であるヴァーノン・ウエダ大佐は難しい表情をした。
「あの辺りでそんな事故は一度も起こったことはないのだが……毎年毎年、何十人の学生があのコースで火星に向かっているわけでもある……」
彼はいったん言葉を切ると、ハヤトに顔を向けた。
「君の話によると、彼女はまるでワープをしたようだな。しかし、あのスペースボートのワープ装置は最新型であるから、そのような消え方はしないはずだ」
いよいよもってわからないといった表情で、彼は考え込んでしまった。
「…………」
ハヤトはそんな教官を、いつもの彼らしくない気弱な目で見つめた。
ノリコがボートごといなくなってしまったことは、地球のステーションにいたアリテレス博士やコウイチの耳にも入った。
「くそぉ……」
コウイチは悔しそうに声を絞り出す。
彼は、自分も捜索隊に加えて欲しいと教官に頼みこんだのだ。だが、「その必要はない」と言われてしまった。
同様に、仕事の関係上地上を離れられない父と二人で、彼は不安を抱きながら連絡を待っていた。
「いったいどうしたんだろう。急にボートが消えてしまうなんて。ワープを使ったわけでもないらしいし」
「……………」
ウロウロと苛立たしく歩き回るコウイチとは対照的に、博士はじっとソファに座ったままである。それを見た息子は訴える。
「父さん。どうしてそんなに落ちついていられるんです? 自分の娘のことじゃないですかっ」
その言葉に博士はゆっくり顔を上げると、自分の息子を見やった。その瞳には苦渋に満ちた色が見て取れる。コウイチはハッとした。
「コウイチ……どうしてこれが落ちついていられようか。どんなにか私も自分で捜しに行きたいことか!」
バンと自分の膝を拳で叩く。その手はブルブルと震えている。
「だが、専門の者にまかせるしかないんだよ。私たちが行っても足手まといになるだけだ」
そして、彼は両手で頭を抱え込んでしまった。
「父さん……」
そんな父を息子は見つめ、心でノリコに呼びかけた。この声が届けばいいと思いつつ。
(ノリコ!! 君は今いったいどこにいるんだ?)




