第2章「アメーシスのモーゼス」第4話
「なぜ、アメーシスには人間がいないの?」
ある日、ノブコはモーゼスに聞いた。
「…………」
だが、モーゼスは何も言わない。
巨大な機械の塊は、チカチカと様々な色を瞬かせるばかりである。ノブコとモーゼスの間に沈黙が流れた。
ノブコは、彼が答えてくれるのを辛抱強く待つつもりだった。
彼女は、その日の朝に抱いた気持ちを思い出す。
自分のために用意してもらった、小さいけれど機能的な部屋で目覚めたとき、まず最初に思ったことが「人に会いたい」だった。
アトランタに来てから、もう二年近くが過ぎようとしていた。
人ではなく、コンピューターであるモーゼスが話し相手になってくれたおかげで、ノイローゼ気味だった彼女の心がだんだんと落ち着いてきた。
ここを離れようという気持ちはなかった。
ただ、この都市のいろいろなところを見て回り、このように快適に過ごせる場所で、あと人間が住むのを待つばかりといった状態であるのになぜ人がいないのだろうかと、彼女は整理のついた心でそう考えたのだ。
「…………」
モーゼスは依然黙ったままである。
ノブコはイライラしながら、それでもグッと耐えて待った。ひたすら待ちつづけた。
彼女が質問してからどれくらいたっただろうか、ようやくモーゼスは呟くようにぼそりと言った。
「住む予定だった……」
「予定だった?」
彼女はオウム返しに聞いた。
「それはどういうことなの? ここには人は住んだことはないの?」
ノブコは、少し意外に思った。
彼女の予想では、昔は人々がたくさん住んでいたのだろうということだった。何か恐ろしい病気が流行り、そのために人々が死に絶えたか──だが、それでもまぬかれた者たちがいたと思われるので、死の惑星と化したここを離れてしまったのではあるまいか───いずれにせよ、最初から人々がいなかったということには考えが及ばなかった彼女であった。
「そう…ここはもともと人は住んでいなかった。我らが住むはずだったのだ───」
「我…ら?」
モーゼスは少し間を置くと、ノブコの想像を遥かに超えた悲しい物語を語り始めたのだ。
銀河系の縁に小さな太陽系があった。
それは、丁度地球のある場所の反対側に位置していた。その太陽系にはたったひとつの惑星しかない、ごくありふれた太陽系だった。
だが、ある時、その太陽が急速にエネルギーを宇宙空間に放出し始めた。当時の科学者たちは、自分たちの命の糧である太陽が、もうあと数百年の寿命しかないということを知り、だが愕然としながらも受け入れ、移民船の建造に取りかかった。それは、惑星の人々すべての力によって進められた計画だった。
幸いにもその惑星は人口が比較的少なく、滅亡の兆しが見え始めた頃にはこの星を離れる人々すべてを乗せることのできる宇宙船を完成させることができた。
しかし、人口の半数以上の人々が惑星を離れることを拒み、この星とともに運命をともにすることを望んだ。そういった人々を後に残し、五隻の移民団は故郷を出発した。遥か昔のことである。
「それで、このアトランタに都市を造ったわけね」
「いや、そうではない。その前に彼らは地球に行ったのだ」
「地球ですって?」
モーゼスの話は更に続く。
移民団は、何世代かを過ぎるうちに様々な事故、争いなどに見舞われ、最終的に残ったのはたった二隻だけだったのだ。だが、この二隻も地球に移住するか、アトランタに移住するかで意見の対立が起こり、とうとう袂を分かってしまった。一つの船は地球へ、もう一つの船はこのアトランタへ向かうことになったのである。
それでも相互の交流は続けようということで、通信網を設けたのだが、ここアメーシス建造完成間近な時に地球から救難信号が送られてきた。内容は、正体不明の敵に襲われているというもので、彼らは手をつけていた都市建造を放って助けに向かった。男も女も子供も年寄りもだ。
彼らは、意見の対立こそあったものの、袂を分かった同胞のことを心から心配していたのだ。だが───
「結局一人も帰ってこなかったのだ───」
モーゼスは悲しんでいた。
声が震えていた。
「…………」
ノブコは、絶句した。それでも搾り出すように言葉を押し出した。
「地球に行った人々はどうなったのかしら」
「わからない。私には知ることができなかった───」
「…………」
ノブコは同情をこめてモーゼスを見つめた。
もしかしたら、彼らはこのアトランタを捨てたのかもしれない───とは、ノブコには言えなかった。
いくら同胞が危ないからといって、すべての人がここを立ってしまうというのはどう考えてもおかしい。普通なら何人かは残り、都市建造を続けるはずだ。それが、女も子供も老人もすべてが宇宙船に再び乗り込み地球へ向かったなど───あまりにも不自然ではないか。
だが、おそらく、それもモーゼスにはわかっていたのかもしれない───いや、絶対にわかっていたはずだ。
ノブコは、あえてそれについては触れず、こう聞いてみた。
「それはいったいいつの時代のことなのかしら」
「それぞれの惑星に着いたのは、地球暦にして紀元前三百万年のことだ」
「まあ! そんなに昔から……モーゼスはひとりぼっちでここに?」
ノブコは目を丸くした。
「私はコンピューターだ。機械だ。ひとりぼっちには慣れている」
そう言うモーゼスの声には、どことなく淋しげなものが漂っていた。気のせいだろうかと、ノブコは思った。だが、すぐにモーゼスは楽しそうな声で言った。
「それに、今ではノブコ、あなたがいる」
「ええ、私もモーゼスがいるから淋しくないけど……でも、やっぱり人の顔や姿を感じたい……わがままかしら?」
しばらく彼は沈黙したがすぐに答えた。
「わかった。あなたがそれほどまでに言うのなら、人間を連れてきてあげよう」
「えっ! そんなことができるの?」
彼女はパッと顔を輝かせた。
「できる。地球人がいいだろうね」
「ありがとう。モーゼス」




