プロローグ「地球─テラ─」第1話
「お母さん、お父さん!」
伊布信子はガバッとはね起きた。
部屋は明るい。
彼女は涙でぬれた目で時計を見た。
五時三十五分。まだ起きるには早い。
彼女はベッドの上でボーッとしていた。
どうということはない。彼女は夢を見たのだ。
彼女は辺り一面黄金に輝く草原に立っていた。
そよそよ風が吹き、彼女の髪を揺らし、草を揺らしていた。
家もない、何もない。
彼女は辺りを見回した。日本では見られない光景だ。
丁度、外国映画の中にでも入り込んだような───それでいてどこか見覚えのあるようなそんな懐かしさを感じさせる───
しかし彼女は直感的にここは地球ではない、と感じていた。
そしてそう思うことでもう二度と地球には戻れない、と漠然とした想いが渦巻いた。
なぜだろう。
父や母や弟、そして友人たちとの別れが近づいている。
そんな想いが同時にわき起こってきた。
そして───
「お母さん、お父さん!」
彼女はたまらなくなって叫んだ。
誰も答えてくれない。
そしてもう一度叫んだ時、信子は今度こそ本当に目覚めたのである。
信子は十七歳。高校二年である。
いたって平凡な少女である。
ただ小さい頃から不思議な夢をよく見た。
しかし今度のような夢は初めてだった。
内容としてはたいしたものではない。
自分が草原に立っている、という珍しくもないものだ。
それが、この心をかき回されるような切なさはいったい───
淋しいというよりは、むしろ感動し過ぎて身体の震えが止まらなくなったようなこの感じは───?
信子はベッドから飛び出すと机に向かった。
無我夢中でまっさらのノートに、ほとんどなぐり書きの形である詩を書きつけた。
そして彼女は南側の窓をガラガラと開けた。
外はすっかり朝になっていた。
だんだん陽射しが強くなっていく。
彼女はそんな空をジーッといつまでも見つめ続けていた。
信子はいささか沈んだ気持ちで家を出た。
どうしてあんな夢を見たんだろう。
彼女の心の中はあの夢のことで一杯だった。
そんな風だったので歩く彼女に幅寄せしてくる自転車に気づかなかった。
「いたっ!」
「うわぁーい!」
「誰よっ!」
信子と同じくらいの少年が慌てて走り去っていった。
明るい髪をなびかせながら笑い声を上げ遠ざかっていく。
少年はすれ違いざま、彼女の頭をはたいていったのだ。
「あ───っ!」
彼女はその後ろ姿で誰だか判ったらしい。
「真介───待てぇ───!」
さっきまでの元気のなさはどこへやら。
信子は自転車の後を追って猛然と走りだした。
「またんかぁ───このぉ───覚えときなさいよぉ───」
結局、捕まえられないまま学校に着いてしまった。
歩いて十五分もかからない所にあるので走ってもそんなに辛くない。
それでも彼女はこれといった運動もしていないので汗だくで教室にたどり着いた。
もう七月である。
全力疾走してきた信子はバタンと机に突っ伏して、死んだ───正確に言えば、ダウンした。
今朝はあいつに感謝。彼女はそう思った。
真介のおかげであんな夢、どうでもいいように思えてきたのだ。
そう! たかが夢じゃないか。
一抹の不安がないわけじゃないが、今はそれより一週間後に迫った期末テストの方が彼女には大切に思えてきた。
「お早う、ノン」
「あ、お早う、トミー」
髪の長い美少女が信子に声をかけた。
彼女は神谷敏子。信子の親友である。
おとなしい感じのあまり目立たない少女で、何事も目立つ信子とは性格は真反対だが不思議と息が合って、いつも一緒にいるのである。
まるで本当の姉妹みたいね、と二人は笑い合っているほどの仲の良さなのだ。
「あのねえ、私、変な夢見ちゃったの」
唐突に敏子がそう言うので信子はギクリとした。
まさかトミーまで───?
「ど、どんな夢だったの?」
「う……ん。なんて言うのかな。あったかあい夢なの」
「何、それ」
信子は変な顔をした。
それを見た敏子は困ったような顔をした。
「ええと……ええと……」
一生懸命説明しようとするのだが言葉が見つからないのか、何とも妙な言い方である。
「ただ、あったかあいって感じるのよ。そうね、まるでぬるま湯につかっているような。自分の身体は見えないの。見えないっていうより存在してないような───うーん、なんて言っていいのかなあ」
フンフンと頷きながら聞いていた信子はだんだんと目を輝かせていった。
彼女は自分が不思議な夢をよく見るせいか、その手の夢は日頃からとても関心を持っていた。
信子は自分の夢などコロリと忘れて敏子の話に聞き入っていた。
「それってもしかして、あれじゃない」
「え、あれって?」
もったいぶって信子は続けた。
「ほらあ、あれ。お腹の中にいた時の記憶ってやつよ。そういうの夢に見る人っているんだって」
敏子は彼女の言葉に考え込んだ。
「うーん。そんな気もするけど、そんなんじゃない気もする」
「ふーん」
信子は自分の見た夢も聞いてもらおうかと思ったが、止めた。
実際、彼女の夢は敏子のほど珍しくも何ともないものだ。
そしてあの何ともいえない気持ちは、いくらトミーでも判るまい。
彼女はそう思ったのだった。
その夜、信子はまた夢を見た。夕べと同じ夢だった。
黄金に光る草原、そよ吹く風───しかしその夜は少しだけ違っていた。
輝く黄金を背に浴びて一つの人影が黒いシルエットとなって、彼女の目の前に現れたのだ。
背格好を見るに、それは男だった。
「誰なの?」
彼女は叫んだ。
それはゆっくりと近づいてくる。
そして顔がもう少しで見えるという刹那───
「はっ!」
彼女は唐突に目覚めた。
両手で自分の肩を抱き締める。
何故か、何かをしなければ、今すぐ動かなければ、といった気持ちがわき上がってきた。
時計を見れば午前3時。
夏とはいえ、まだまだ夜が明けるには早過ぎる。
しかし彼女は矢も楯もいられなくなり、着替えると戸外に出た。
そして走るような足取りで西へと向かった。
夜道は真っ暗だ。
だが彼女は気にもとめずに正確に進んでいく。
まるで何かに誘導されているかのようだ。
と、突然、目を射るような眩しさが彼女を包んだ。
「あっ、これは!」
すると徐々に光が柔らかくなっていき、最後にはほんのりと白みがかった黄色い光を放つ一つの物体が現れた。
それは楕円形で、卵をもっと横に引き伸ばしたような滑らかな物体だった。
それがまるで呼吸しているように柔らかな光が弱まったり強まったりしている。
「いったいこれは……」
信子は呆然としてそれを見つめていた。
が、彼女の心の中は目まぐるしく働いていた。
これはきっと世に騒がれているUFOに違いない。
でも、なぜ私が誘われるように、ここまで来てしまったのだろう。
胸を締めつけられるようなこの懐かしい痛みは───?
時間にすればせいぜい一、二分といったところだろうが、まるで何時間もこうやって物体と対峙しているかのように思える。
静かだった。
そしてその静寂が破られたのは、夢の時のように黒いシルエットが浮かび上がったからだ。
それはユラユラと陽炎のように現れた。彼女と物体の間に。
物体の光を背にしているためにシルエットとして彼女の目に映ったのだ。
それは完全に実体化すると、一人の男となった。そして近づいてくる。
背の高い、明るい髪をしたちょっと見た目には外人のように見える。
タコのような形もしていないし頭でっかちでもない。ごく普通の人間に見える。
が、一つだけそうでないことを証明しているものがあった。
その男の瞳は真っ赤だった。まるでルビーのように。
「あなたは宇宙人……よね」
我ながらトンチンカンな質問だと思いながらも彼女は言った。
しかし彼は黙ったままだった。
「やっぱり地球の言葉はわかんないのかな」
ボソッと彼女が呟いた。
「そうではない。君らの言葉くらい私には理解出来る」
男は滑らかな日本語でそう喋った。
信子はムッとした。
何なんだ、こいつ。
まるで私たちが下等動物みたいな言い方をする。
「へえ、そうなの。それでこの地球に何の用があって来たのよ」
彼女はつっけんどんにそう言った。
すると男は苦笑した。
あー、生意気。
こいつ、苦笑の仕方まで人間そっくりじゃない。宇宙人のくせに── と、勝手なことを思った。
「詳しいことはまだ言えないが、私と一緒に来てほしい」
彼はそう言うと有無を言わさずに信子の手を取り、引っ張って行こうとした。
「何するのよっ!」
彼女は力一杯手を振り払った。
怒りで顔が真っ赤になっている。
「勝手なことしないでよ」
「来てもらわないと困るのだ」
「私には関係ないわ。この人さらい!」
彼女は大声で叫び散らした。
「騒ぐんじゃない!」
男は困ったように顔をしかめると腕を伸ばした。
するとつけているブレスレットから白い霧のようなものを噴射させた。
「な、何よ……これ……」
信子は一瞬のうちに目の前が真っ暗になるのを感じた。
彼女は薄れていく意識の中で声を耳にした。
「君の大切な友を追いかけて来るんだ。私に力を見せてくれ」
プツッとスイッチが切れるように彼女の意識が途絶えた。
気がつくと信子は自分の部屋のベッドの上だった。
あの憎たらしい宇宙人もいなければ光輝く宇宙船もない。
夢だったのだろうか。
それにしても生々しい夢だ。
「いや、違う。あれは夢なんかじゃない!」
彼女は飛び起きた。
大切な友───あいつはそう言った。まさか───
彼女は家を飛び出し、敏子の家まで走った。
彼女の家は五分とかからない場所にある。
「お早うございます!」
彼女は血相変えて神谷宅に飛び込んだ。
ボブカットでスレンダーな美しい敏子の母親が出てきた。
信子の憧れの女性でもある。
「お早う。丁度良いところに来てくれたわ、ノンちゃん。敏子ったら日曜だからってなかなか起きてこないのよ。あなたが上がって叩き起こしてやってちょうだい」
信子は頷くとダーッとばかりに二階に駆け上がった。
バタンとドアを開ける。
「トミーッ!」
彼女は油断なく部屋を眺め渡した。
そこはもぬけの殻だった。
部屋の隅のベッドには人の寝た気配がない。
部屋の中もシーンと静まり返って、変に冷やかである。
「あんの野郎ぉ……」
彼女は踵を返すと、物凄い勢いで神谷宅を飛び出した。
驚いたのは神谷夫人である。
「ノンちゃん、どうしたの?」
ダダダダ───ッと走り去る信子の背中に声をかけるが、あっという間に消えてしまった。
「敏子、敏子!」
彼女は娘を呼びながら二階に上がっていったが、空っぽの部屋を見てびっくりしていた。
「敏子はどこへ行ってしまったの?」
信子は物凄く怒っていた。
許せない。私たちの幸せを壊す者。
平和に暮らしていたい。
ひっそりと暮らしていたいのに、どこまでも執拗に苦しめる。
彼女は走っていた足を急に止めて、まるで咆哮するかの如く叫んだ。
「トミ──────ッ!」
そしてその刹那。
彼女の周りで一陣の風が吹き荒れた。
するとそれが竜巻のように吹き上がり、信子の身体を包み込んでいく。
ゴウゴウとさかまく風にチラチラと火のようなものがつき始め、それが彼女の服に燃え移った。
道行く人々は何事が起きたかと、彼女を恐怖の眼差しで凝視していた。
人々の好奇の目にさらされる中、衣服は既に炎で消え去り、髪や身体からは紅蓮の炎が舞い踊る。
更に強く燃え盛る中、信子の身体は炎に見え隠れして識別できなくなってきた。
そして尚一層、辺りを揺るがすような悲痛な叫びを轟かせた。
「ト・ミ・ィ──────!」
その瞬間───
まるで彗星の如く彼女の身体は地を蹴って宙を飛んだ。
そして彼女の身体は炎の塊となって、あっという間に地球を飛び出していたのだ。
一方、敏子はというと、やはりあの宇宙人と一緒であった。
彼女は宇宙船の一室で彼と向かい合って座っていた。
「きちんと説明してくださるんでしょうね」
彼女はそう言うと、自分を見つめるその男に言った。
「その前に自己紹介をしよう」
信子の時とはどうも態度が違うようである。心なしか優しい。
「私の名はダーグリード、ダークと呼んでくれ」
「私は……」
「トミーと言うんだろ?」
彼女は驚いて彼を見つめた。
「なぜ、その名を知ってるの?」
ダーグリードはフッと笑った。
「君らのことは何もかも知っている」
敏子は不審な目で彼を見た。
この男は一体私たちの何を知っていると言うの?
何もわかっちゃいないわ。
そんな彼女の心の中を知ってか知らずか、彼は言葉を続けた。
「お願いだ。我々に協力してほしい」
「協力ですって?」
彼は頷いた。
「判るように説明してくれないと、はいそうですかというわけにはいかないでしょう」
敏子は辛辣にそう言った。
彼は例の苦笑を浮かべた。
「判った。どうして君らの力が必要か説明しよう」
彼は大真面目な顔に戻ると話し始めた。
地球から約十万光年離れた宇宙空間にユーフラテス星という惑星がある。
地球のように緑あふれ、空気は澄み、人々は平和に暮らしていた。
しかしそこに突然の不幸が舞い込んだのだ。
ブラックホールの急速接近である。
それはもうあと数年の間にユーフラテス星を吸い込んでしまう、というところまで来ていた。
それだけの時間では数十億の住人を移住させることは出来ない。
現在も少人数ながらも移民団を結成させて、宇宙に送りだしていることにはいるのだが───
実は移住の他にもう一つ解決策があるのだ。
ユーフラテス星では超心理学が非常に進歩していて、特に超能力の研究には随分力を入れて研究しているのだった。
そして必死の研究の結果、数多くの強力なエスパーたちの力によって、かのブラックホールの軌道を変えることが出来ることを突き止めたのだった。
「それでは何ですか? 私たちがエスパーだと言いたいわけ」
敏子は無表情でそう言った。
「そうだ。違うとは言わせないぞ。調べはついているのだからな」
彼女は黙ってしまった。
「こんな方法で君らを連れてきてしまったことを深くお詫びする。しかし、我々も必死なのだ。助けると思って協力してほしい」
敏子は顔を上げた。
ダーグリードの悲痛な心が彼女の心に触れた。
故郷を何としても救いたいという彼のその気持ちに、彼女は心を動かされたようである。
「でもノンは?」
彼女は辺りを見回した。
「私だけしかこの船には乗ってないようだけど」
その時である。
“お待ちなさい!”
物凄い衝撃の思考が二人を襲った。
と同時に宇宙船の飛行が突然止まった。
その急な停止にダーグリードと敏子は床に投げ出された。
ダーグリードはとっさに敏子の身体を庇って、抱き抱えて倒れた。
「いったあ……」
“トミーを返しなさい、今すぐに!”
それは信子の思考だった。怒りの塊だった。
「ノンなの。どこにいるの?」
“トミー、無事なのね。良かった。私は外にいるわ。船の前方よ”
ダーグリードはスクリーンのスイッチを入れた。
「ああっ!」
二人はそこに映ったものを凝視した。
そこには炎に包まれた全裸の信子の姿が映し出されていた。
停止している宇宙船の前方である。
星屑をバックに真空で燃える彼女の姿は、神にも似た威厳さがあった。
「これでもエスパーではないと言い切れるのか、トミー」
ゴクリと喉を鳴らして彼は囁いた。
敏子は何も言わない。
その代わりに何かを訴えるかのように、涙をこぼしていた。
涙は後から後から溢れて、とどまることがなかった。