第1章「273年後の私」第4話
「ところで博士。博士の名前は、本当に……その、アリテレスって言うんですか?」
「はっはっはっ。アリテレスというのは、うむ──つまり、私の学問の上での名前なのだよ。本名はワタナベだ」
「はあ、学問上の名前ですか。なんだか私、目が覚めた時から驚いてばかりで…」
ノリコは頭を振りながら言った。
博士は、そんな彼女を温かく見つめている。
「そのうち慣れるだろう。心配することはない」
彼女は博士に頷いて見せると、気を取り直して頭を上げた。
風景が、快適な速さで後へ後へと流れていく。
全体的にやはり緑が多い。色とりどりの花もある。
その中でも、木々の間をぬって林立している白いモダンな建物が、ここが未来の都市であることを物語っている。
風が彼女の頬を軽く叩いていく。
なんて気持ちがいいのだろう──と彼女は思った。
こんなステキな気分になったのは生まれて初めてのような気がする。
「さあ、そろそろ着くぞ。流歩道の出方は──」
「斜め前に進むようにして流歩道を出る───」
彼女はそう言いながら軽々と出た。
博士は感心して、
「ほう、ノリコ。よくわかったね」
そんな彼に、彼女はにっこり微笑むと答えた。
「昔、本で読んだことがあるんです。ほんとにその本の世界とまったく同じような世界ですね、ここは」
ふたりは、住宅地に降り立った。
清楚な平屋タイプの家々が十分な間隔で立ち並んでいる。
人々の歩く道は広く、路傍にはかわいい花々が咲き、ハチが飛び交っている。
彼らが通ると、窓から顔を出して住人が挨拶を送る。
子供たちまでもが「博士、ごきげんよう!」と叫びながら走り去る。
ふと、ノリコが前方に目をやると、午後の日をいっぱい浴びて、こちらの方に走ってくる少年がいた。
そして、博士が気づくよりも先に少年は叫んだ。
「父さん、お帰りなさい!」
(コウイチロウ!?)
その少年の顔を見た時、ノリコは自分の目を疑った。
なにしろ、その少年は、かつてのクラスメートそっくりな顔をしていたからだ。
「でも、驚いちゃったわ。コウイチ君って、私の知っている人──というより、知ってた人にそっくりなんだもの」
ノリコがそう言った。
彼らは、博士の家のソファでくつろいでいた。
“コウイチ”とは博士の息子で、先ほどの少年である。
太い眉毛とゴワゴワした髪の毛をしたがっしりとした体格の少年で、博士によく似た優しそうな瞳をしている。
彼は照れながら、
「いやあ、そんなに似てるのかい? なんて名前の人なの?」
「ワタナベ・コウイチロウ──ワタナベっていうから、博士たちの祖先にあたるかもしれないわね。だって、こんなにそっくりなんだもの」
ノリコはマジマジとコウイチを見つめた。
博士は、コーヒーをすすりながら、
「恐らくそうだろう。案外、生まれ変わりかもしれんぞ、コウイチ」
「いやだな、父さんまで!」
彼らはどっと笑った。
しばらく、三人は情報の交換を行った。
ノリコの時代のこと、コウイチたちの時代のことなどだ。
そして、ついにコウイチが言った。
「ところでノリコ。ユーニガースティでは、君はどのセクションに行くつもりなんだい?」
彼女は少し考えた。
「私、歴史が好きなんだけど……」
「うーん…ヒストリィスコラ(考古学者)・セクションか……。それもいいけど、僕としては君にもスペースパイロット・セクションに来てもらいたいな。いいよ、宇宙は。夢があるんだもの」
「夢───」
ノリコは思い出した。
自分にも「夢」があることを。
そして彼女は、コウイチが熱っぽく語っているのを聞いて、なぜか、無性に宇宙に出たくなったのである。
「ユーニガースティのイグザムデイ(試験日)は5月なんだ。今は6月だから、来年まで1年頑張ろう。先輩として僕がいろいろ教えてあげるよ」
「それに、ここの生活にも慣れなくてはいけないからね」
と、息子の言葉に博士が付け加えた。
それから、ノリコは自分の部屋に案内された。
この家も二階はない。
家の中心に位置する応接室の天井は天窓になっていて、星の夜などは素晴らしい眺めになるだろう。
彼女は、部屋に入ってからも、コウイチと再び話に花を咲かせた。
「……でもコウイチ君。あなた、お母さんは?」
何の話からか、ノリコが不思議そうに聞くと、彼はいくらか元気のない声で答えた。
「僕が小さい頃、病気でね……」
「まあ! ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」
ノリコは決まり悪そうに口に手をあてた。
コウイチは「いいんだ」と言いつつ首を振る。
「それより、もっと君の時代のことを話しておくれよ」
コウイチは、もとの明るい顔に戻って、再び話題を戻したのだった。
スペース・ユーニガースティは全寮制の大学である。
学校と名のつくものは、地球上にこのユーニガースティ以外には存在しなくなってしまっていた。
学生は、各セクションで自分の最も得意とする学問を専攻し、研究している。
しかも、学問が偏らないために、プロフェッサー(教授)が学生を正しい方向に導いているのである。
一年間、思う存分勉学に励み、四月にそれぞれの家に帰省する。
まとまった休みはこの四月から五月までの一ヶ月間だけで、新学期は五月から始まる。
イグザミネイション(試験)は年二回、ビトウィーン(中間)イグザミネイションとタームクローズ(学期末)イグザミネイションの二つである。
コウイチが学ぶユーニガースティは、ヨナゴ・スペース・ユーニガースティで、昔、飛行場のあった場所に建っている。
今ではこの地方のスペースポート(宇宙港)になっており、毎日多くのシップ(宇宙船)が離着陸している。
ユーニガースティがポートの敷地内にあるというのは、スペースパイロット・セクションのためである。
特にこのヨナゴ・スペース・ユーニガースティは、評判が良く、中でもスペースパイロット・セクションからは、太陽系でも第一級のパイロットを多数宇宙に送り出していた。
また、ユーニガースティの正面には、男子女子の各ドーミトーリィ(寮)が向かい合わせに建っていて、ドーミトーリィの中にはコーヒー・ショップや洋服店など様々な施設もあり、学生たちは休日など退屈しない。
コウイチは、SPセクションのトップであった。今回特別に一年間自宅から通いながらノリコの教師をすることを許可された。
「ノリコくん。我々は、来年、晴れてこのユーニガースティに入学してくるのを待っている。期待しておるよ」
と、直々に学長から言葉をもらったノリコは、その言葉に応えようと頑張る決心をした。




