第1章「273年後の私」第3話
ガラス張りの壁を通して、明るい陽が差し込んでいる。
いかにも初夏らしい。
そんななか、博士は何も言わずに、ガラスの窓を通して見える青空を眺めていた。一方、ノリコはうつむいたままだ。
(お父さん、お母さん───)
彼女は、自分の身に起きたことより、父や母に、もう二度と会えないことが、たまらなく悲しかったのだ。
「しかし───」
すると、ついに博士が口を開いた。
「君は幸運だったよ。普通なら助かったかどうかわからなかったのだからね」
「はい。本当に」
博士の言葉に、ノリコは身震いした。と、その時。
「失礼します」
先ほどのドクターが室内に入ってきた。
白いファイルを手に持っている。
彼は、それを博士に手渡しながら言った。
「ペイシェントの身体は、完全に機能を回復しております。私ども関係者は、ただ驚きで……」
そこまで言うと、ノリコを感嘆とも怖れとも取れるような目で一瞥した。
「………」
彼女は自分が化け物になったような気がし、嫌な気持ちになった。
それを察したのか、博士が静かに言った。
「おそらく、我々にさえもわからない、特異体質なのかもしれん」
「はぁ。そうとしか考えようがありませんね」
ドクターも困惑気味の表情で答えた。
それから、博士は、ノリコの側に来ると、肩にやさしく手をやった。
「気にしなくてもいいのだよ。君は運が良かった───それだけなのだから」
「はい」
彼女は、感謝をこめてうなずいた。
だが、突然、博士の表情が曇る。
「しかし…君の親類などを探し出すのは、容易なことではないな」
彼は少し考え込むと、よいことを思いついたとばかりに破顔した。
「いっそのこと、私の家に来ないか。君はこの社会に適応しなければならないからね。ちょうど私の家には君と同じ年頃の息子がいるから、彼も良い助けになる」
「ええっ!! いいんですか?」
パッと顔を輝かせるノリコ。それでも一応ためらいを見せる。
「でも、ご迷惑なんじゃ……ううん、やっぱりお世話になります。私、博士なら安心できそうだから……」
「よし、話は決まった! ドクター、もう彼女は歩いてもいいのかね?」
「はい。もう大丈夫です」
その言葉を聞くやいなや、彼はノリコを振り返る。
「さ、立ってごらん」
ノリコはうなずくと、そろそろと床に足をつけ、立ち上がった。
ふらふらするということもなく、彼女はしっかりと、まっすぐと立っている。
それを見た博士は、満足そうにうなずいた。
「よろしい」
それから、博士とドクターとノリコの三人は、ゆっくり歩いてエレベータ前までやってきた。ドクターが口を開く。
「それではアリテレス博士。ペイシェントに、もし何かございましたらお呼びください。すぐに参りますので」
「わかった」
ドクターは、今度はノリコに顔を向けた。
「それから、ミス・ノリコ」
「はい?」
「私は決して君を変な風に見たわけではないからね」
「ドクター……」
彼は、あの回復室に差し込んでいたような、陽の光を感じさせる微笑を浮かべていた。
ノリコは、まるで心の中まで暖かくなったような、そんな気がした。
「はい! どうも、いろいろとありがとうございました」
ノリコは深々とお辞儀をし、ドクターにお礼をのべたのであった。
それから、ドクターに見守られながら、ふたりはエレベータに乗り込んだ。
「一階へ」
乗り込んだとたん、博士が言った。誰に言うでもなく。だが、誰かに聞かせているように。
──ウィーン…
すると、5秒も経たぬうちに、エレベータのドアが開いた。
(?)
ノリコには、エレベータが少しでも動いたという感じがしなかった。それなのに、博士が降りようとしているので、思わず声をかけた。
「もう着いたんですか?」
博士は振り返ると笑った。
「これはね、君の時代のエレベータと違って、反動力を利用したものなんだよ」
「へぇ───」
彼女は、SFに出てくる用語を聞いて、ドギマギした。
自分もエレベータを降りる。
「じゃあ、さっき、私たちがいたところは何階だったんですか?」
「150階だ」
「ふぇ───150階っ!!」
博士は、そんな彼女を見て、また笑った。
「おいおい、目玉が転げ落ちそうだ」
「博士ったら! からかわないでください!」
「はっはっは!」
そんなふうにして、彼らはゆっくりと歩いていった。
二人が歩いている玄関ホールも白一色だった。
正面のガラス張りの玄関を通して、外の風景が見える。
研究所の正面には公園があるのか、子供たちの姿がチラホラ見えた。
そして、博士とノリコは、陽光の中に足を踏み出した。
「うわっ! 緑っ!」
思わず歓声があがる。
彼女が驚くのも無理はない。
研究所の周りは、緑、緑、緑なのだ。
彼女のいた時代とまったく変わりない───いや、それ以上の眺めかもしれない。
ノリコは空を見上げた。
青い───抜けるような紺青の青さだ。
その青さが、もうそこまで来ている夏を告げている。
今度は、彼女の目は地上に向けられた。
向こうの方に、どんな構造になっているのかわからない、不思議な形の水しぶきを上げる噴水があった。
そのまた向こうには、人間の身体の線を考えて造られた、なだらかな流線型のベンチ。恋人たちであろうか、若い男女が、楽しそうにお喋りをしながら笑いさざめいている。
そんな、平和な風景の公園を、ふたりは抜け、並木道を通っていく。
どこからともなく、鳥の鳴き声が聞こえる。
「ん───っ、空気も最高っ!!」
ノリコは思いっきり深呼吸をした。
「博士、ここはどこなんですか? まさかサカイミナトってわけじゃないんでしょう?」
「当たらずとも遠からず、だ。ここはその隣のヨナゴ・シティだよ。といっても、ずいぶん昔に二つの市は合併してしまったがね」
「へぇ、そうなんですか。じゃあ、サカイミナトシってもうないんですね」
なんとなく寂しい気持ちになったノリコを、博士が促す。
「さあ、ノリコ。流歩道だ」
「え?」
見ると、目前に広い道路が見えてきた。
人々が、その道路を滑るように流れていく。
(流れる道路!)
平行に進むエスカレータは、彼女の時代でも珍しくはなかったが、これほど広く大きなものは当時あるはずもなかった。
「気をつけたまえ。足を置く場所によって速さが違うからね」
彼らは流歩道に乗った。
ノリコが上手に乗っているのを見て博士は感心する。
「ノリコ、初めてにしては、乗り方が上手だね」
「ええ。私、こういう身体のバランス取るの得意なんです」
にっこりしながらそう言うノリコを、博士もニコニコして見つめる。
そして、思い出したように言った。
「そうだ。家に着いたら息子を紹介しよう。今、休みでユーニガースティから帰っているはずだからな」
「え? ユーニガースティって何ですか?」
「総合大学のことだよ」
すると、ノリコは、不思議そうな顔で問い返した。
「博士は、私と同じくらいの息子さんがいると言われませんでしたか? 私、まだ14歳ですけど」
「私の息子は16歳だが、別に君といくらも違わんだろう?」
「ええっ───!!」
ノリコは素っ頓狂な声を上げた。
「じ、じゃあ、16で大学に入ってるんですかぁ?」
「そうだよ」
博士は至極何でもないといった感じで言葉を続けた。
「大学といってもね。昔の小中高大が一緒になったようなものなのだ。ま、自慢になってしまうが、私の息子は、案外良い成績のようで、私としちゃ嬉しいがね」
「へぇ───そうなんですか」
「我々の時代は、本人の興味のあるものを伸ばして行こう、という方針に教育が変わっていったんだ。息子は──コウイチ(浩一)というんだがね──宇宙に興味を持っていてね。今、スペースパイロット(宇宙飛行士)になるために、スペースパイロット・セクションで訓練しているのだよ」
「ふぇ───」
ノリコは、たたただ驚愕するだけであった。




