第10章「夢幻の果実の見せる真実の愛」第5話
「たとえば、病気になって余命1年と宣告された人がいるとする」
ナァイアスは続ける。
「その病気は早期であれば完治したであろう病気だ。そして、その人は初期の段階でもしかしたら自分は病気なのではないかと疑いを持った。その時に病院に赴き適切な治療をしていたら助かったはずで、助かったとしたら、その後10年以上は生き続けられたはずだ。だが、彼女はもう若くなく、自分の夫を介護している身だった。自分がここで入院治療となったら誰が夫の面倒を見てくれるのか。とはいえ、彼女には娘がいた。すでに嫁いでおり、その娘も姑の介護をしている。さらに実家の両親の面倒を見させるわけにはいかない。ここは共倒れになっても介護は続けなければならない。とはいえ、病気はそのままでは治ってくれず、結局は発症し、手術、入院、そして、余命宣告となってしまい、あっけなく彼女は亡くなってしまった。彼女の夫は彼女の病気が発症したことで、施設に入居することになり、彼女が亡くなる少し前にすでに亡くなった。なので、彼女の娘は父親の面倒を見ることはなかったが、母親が亡くなるまでの一年間、自分の情けなさを嘆く日々が続くことになる」
病気は早期で治療すれば治ったはず。
年齢のことを思えば治ったとしても寿命はそれほど長くはなかっただろう。
けれど、さすがに1年で死んでしまうこともなかったはず。
あれだけ元気だったわけだから、あと10年くらいは生きたはずなんだから、もっと早くに気付いてあげられれば。
ただ、母親の性格を思えば、頼りたくないという気持ちもあっただろう。
子供には苦労させたくない、それくらいならとっとと死ぬことを選ぶ、そんな母親だったから。
「娘は思った。余命宣告を受けたとしても、奇跡的に助かったという例も実際にあるのだから、何らかの方法で母親は助かったのかもしれない。ただ漫然と亡くなるまで母親の傍に寄りそうだけでなく、病気の為に色々と調べてみればよかったのではないか。実際、母親が亡くなった後に、これはという治療法が存在したことを知り、娘はもしかしたらこの情報で母親を助けられたのではないか、と」
笑湖は深く頷く。
確かに、そういった話は聞く。余命宣告後に奇跡的に助かったという事例は彼女も聞いたことがあった。
だが、その反面──
「だがね、やってみる価値はあるとはいえ、その方法が完璧に全ての人間に効果をもたらすということもないわけだ。現に、余命宣告を受けた妻を助ける為に、あるゆる方法を試した人が、結局は妻の死を回避する事ができなかった例もあるのだから。これはもう、どんなことをしても運命というものは変えられないということなんだよ」
だから、吾郎が最初に亡くなったことは時を戻して助けたとしても無駄なことだったのだ、と。
「そんなこと言われても…」
笑湖はそれでも不満を隠そうともしない。
それはそうだ。
そんな真理を説かれたとしても納得できるわけがない。
それが「人間」というものなのだ。
「君の気持ちはわかるが、それでも彼が助からないのだということは受け入れなければいけないよ」
「…………」
やはりどうしても納得はできない。
そんな彼女を見て、ナァイアスはひとつため息をつくと労わるように言葉を紡ぐ。
「大丈夫だよ。彼は不幸なんかじゃない。むしろ、これから彼は幸せになるための、そうだな、旅に出たのだと思えばいい」
「そんなその場しのぎの慰めを言われても私の心は救われないわよ」
「その場しのぎの慰めなんかじゃない。本当のことだ。詳しくは話せないが、人の死は決して不幸な事なんかじゃないんだよ。だから、君が嘆くことはないんだよ」
それから、ナァイアスは笑湖を自分のラボへと連れていった。
大学という所は長い時が過ぎてもそれほど違いはないのかなと彼女は思う。建物は確かに昔よりは洗練されているように見える。大学という昔の見た目とは違い、かなりデザインも未来的だ。もっとも、今はその未来であり、彼女の時代から遙か未来ではあるので、そう思うと、もっと訳の分からないデザインになっていても驚かないのだが、そうではないことが不思議だ。まあ、それを言ったら、すれ違う人々も普通に笑湖と似たようなヒューマノイドであり、まったくといっていいほど違いはない。
「数百年経ってもそれほど世の中は変わらないのね」
思わず彼女は呟いた。
それを聞いてナァイアスは答える。
「そうだね。君のいた時代から数百年前であっても、人々は普通に人間だったし、服装とか建物とかは多少見た目が違っていても、根本的な違いはあまりなかったはずだしね。それよりもっと何千年、何万年前や後であっても、そうそう違いはないはずだよ」
「…………」
その口ぶりを聞いていて、笑湖は、まるで彼がその何万年昔のことをさも知っているみたいだわねと心でひとりごちた。
そうこうするうちに、その彼が「ここだよ」と言って、立ち止まった。
立ち止まったところには扉があり、彼らが立ち止まるとすっとスライドして扉が開いた。
中は広かった。
それでも様々な機械類が設置してあり、何人かの人が座ったり立ったりして作業している。
そんな人たちの中の一人が二人に気付き近寄ってきた。
「ナァイアス、会えたのか?」
その男性はナァイアスと同じ年頃の青年でチラリと笑湖に視線を向ける。
「ああ、彼女が芳山笑湖くんだよ」
「そうか、よかったな」
それからナァイアスは笑湖にその男性を紹介する。
「芳山くん、彼はコウ・シルク。私の親友で同じラボの研究員なんだよ」
「初めまして、芳山笑湖くん。僕はコウ・シルク。君の事は彼から聞かされてたよ。いろいろ大変だったね」
コウ・シルクという青年はナァイアスと同じくらいの背丈でナァイアスよりは柔和な雰囲気を醸し出していた。
「初めまして。私が過去からきたっていうこと、あなたは知っているの?」
「もちろん。僕は彼の親友だからね。これからよろしく」
彼は普通に彼女に握手を求めてきた。
「………」
それを少し複雑な表情を見せつつ、笑湖はコウ・シルクの手を握り返す。
それから、彼女は周りを見回して、小首を傾げて質問する。
「そういえば、あなたたちの研究って何の研究をしてるの?」
コウは柔和な微笑を浮かべて答えた。
「ロボットの研究なんだよ」




