見えるもの。
伝えたい前日譚がはっきりしないままだらだらと語ってしまったのはただただ申し訳ない。
付き合っていただいた方、つまらなくなかったですか?私みたいな人間の話。
その私ですら、私って存在をなにも理解できていないので許してほしいです。
だってなんとなく決めてしまったアイドルって職業に義務教育からの卒業で社会に出てしまったのですよ。
狭くて特殊な世界しかしらないんです。
たまに、サラリーマンやらOLさんをテーマにしたドラマを目にすると、どんどん昇進してやる!会社を敵にしても私は私のやりたい仕事をする!
みたいなものか、
平凡な毎日、決まったルーティンをいつまで繰り返せばいいんだ。毎朝毎晩満員電車に揺られている。
そんなパターンがお決まりなのか、その2つが印象深く、特に後者のが現実的なのだろうと勝手に思っている。
「あんな大人にはなりたくねぇな」
世の中を知らない若者の言うあんなもの。それが世の中な大多数である事に気付き、あんなものになっている事になるのを人はいつ気付くのだろう。
やっぱり気づいたら慣ってしまっているのでしょう。
満員電車で疲れ切ってるイメージがあるのに駅のホームで傘をゴルフの棒に見立ててスイングしてるイメージもあるのはなぜなのだろう。
そんな電車に乗らなきゃいけないホームでそんな事するスペースなんかあるのだろうか。
考えだしたらきりがないのでサラリーマンの話に戻しますね。
「あんな大人にはなりたくねぇな」
その言葉に対して同じ学生が
「あんなに尊敬できる人達いないよ、それでも通い続けてるんだから、何年も何十年も。奥さんや、子供達の為に」
そんな様なニュアンスで語られた意見。
学生にしては達観している。すげぇ人だな。って思った。ドラマなのに。
大人に言わされてるのに。
大人に作られている中、その台詞を言った彼はどこまで理解してその台詞を演じたのだろう。
私も最近常々思う。お芝居のお仕事も少しずついただくようになったから。
演じてる時には台詞の意味がわからない事もあった。もちろん、わかろうとはしています。ただ間違った解釈をしてしまっていたなー。とか、あぁこれは台詞とは真逆の感情を秘めていなければいけなかったんだ。とか、思うことが多い。
言葉。
ありがとう。
字にしてしまうとなんとも味気の無い。
やっと言えたありがとう。
癖で言うだけのありがとう。
嫌味で言うありがとう。
ありがとう。で済む感情表現を文字ではより詳しく書き出さなければならない。
私は台本をどこまで理解しているのだろう。
私達の曲の歌詞をどこまで理解しているのだろう。
明確なものがなにもない。
アイドル。偶像。
個性が大事だよ。ありのままでいいんだよ。
やっぱり私は私を振舞っているけども、私が望んだ私なのかファンの方が望んだ私なのか、私がわからない。
ライブの演出でバックライトを受け、私のシルエットだけがドン!とONE PIECEみたいな効果音が似合いそうな感じで映し出される事がある。
ファンの皆さんはそのシルエットだけで私を認識してくれ、私の名前を叫んでくれる。
でも私はそのシルエットを観ていつも思う。
これが私の形。輪郭。
なんて歪でなんて小さいのだろう。
崇拝なんてされる理由がわからない。
情報としては知っている。エゴサもたまにはしちゃうし、いつのまにかネットニュースになってたり。
小さいのに力が強いあの立ち姿が良いんだよ!
エゴサで出てきた言葉。私の画像と共にたくさんのイイねをもらっていた。
なんにも意識していなかったのに私はそれを見てから、その時の立ち方を意識してしまっている。
それはとても窮屈だった。
私の輪郭ですらも誰かのイイねで作られてしまっている。
そして、「内腿痛い」「キープ辛い」とか思っている立ち姿や表情が、「どこか儚いのに、力強く、美しい」なんてイイねされたりしている。
見えるもの。
受けてが自分の都合の良いように勝手に解釈してくれている。
そして私はそれを裏切らない私を演じている。
やっぱり私は私ではないのだろう。
私を演じている。
アイドルもサラリーマンもOLさんも日々、その日その場所、その空気に合った自分を演じている。
なにも変わらないと思う。
ただアイドルにはある程度の台本と正解が用意されている分助かる。
私はたぶんOLさんにはなれなかった。
そして改めて思う。
サラリーマンを馬鹿にした台詞、尊敬してる台詞。もっと良い演じ方があったのではないかと。
見えるもの。見たいもの。見えないもの。見たくないもの。見せたいもの。見せたくないもの。見られたいもの。見せたくないもの。
魅せたいのに、見せられてるもの。
見たがられてるのに、絶対見せたくないもの。
イメージ。偶像。アイドル。
私はやっぱり私ではない。
どこかで誰かに作られている。
たまに触れる事のある幼稚園児くらいの子達が羨ましくなる。何にも染まっていない。
無邪気。それが当てはまる短い期間。
なぜだか私は子供が大っ嫌いで好きだ。
嫉妬だと思う。絡む事を考えるとめんどくさいって思ってしまうが、現場ではいくら振り回されて撮影が伸びようがずっと笑ってる気がする。
そしてなぜだか私は子供と接すると脳内で「木綿のハンカチーフ」ってタイトルだったと思う。それが流れるのだ。
なんかわくわく楽しげで無邪気な純粋無垢な旅立ちの歌。そんなイメージだったんだよ。