ブラックボックス
オーディションに受かって、アイドルとしてデビューしてから数年はそれほど忙しくは無かったのに、私はスケジュールの白紙とは裏腹に毎日一生懸命に忙しく生きていた。
暇を見つけては当時のメジャーアイドルの曲を歌って踊ったりしていた。見様見真似で。
自分のスマホで撮った動画で自分の姿をみて、
もっと肘を高くとか、フリがつながって無くてなんか格闘技みたいに音に合わせて必死にビッ!ビッ!って切り取ってるだけで全体的に繋がりがないなぁ。って素人考えでなんとなく日々鍛錬していた。
歌もそうだ。自分で歌って自分で録る。
録音した声と自分の聴いてる声。出してる本人が違って聞こえるんだからなんとも形容し難い感想だ。よくわからない。自分で思ってたより、私の歌声は小さく細く高かった。
家族でカラオケに行った時、よくパパに
「半音高いよー」
と、言われていた事を思い出す。
私の声は自分で聞いているより高い。
それを意識して歌う事を覚えた頃だった。
確かボイスレッスンの先生に初めて
「褒めるまではいかないけど、苦言する事もないかなぁ。」
厳しい先生だったので、そんな言葉ですらも、初めて否定されなかったとか、怒られなかった!となんだかにやにやしてしまう、帰り道。
少し遠回りしながら、イヤフォンの音量をいつもより大きくして、街中の雑音をシャットアウトしながら私はその音に負けないくらい大きな声で歌いながら帰った。
たぶんすれ違った人たちは私を頭のおかしい人だなって思うか、「今日なんかいい事あったのかな?」なんて思っていただろう。
私は初めての不器用な褒め言葉に浮かれていた。
稀有の目を、異質の目を向けるものに対しても「私はアイドル、皆の目を惹きつけてしまう」
そんな風に帰路を楽しんでいた。
もしかしたら、スキップやターン、変なステップを踏んでいたかもしれない。
上機嫌な酔っ払いみたい。
まぁ少し一段階成長した事を他人に、いや、成長を見てくれてる人に褒められた事に酔っていた。
パパやママは、背丈や成績を褒めてくれたりオーディションに受かった時は褒めてくれたが、技術面なんかや、今私が頑張っているところを褒めたりはなかなかしてくれない。
素人ですから。
今日、私はプロの先生に褒められるまではいかなくともひとつ上のステージにあがった。そんな風な口ぶりだった。
早くそれをパパとママに話したい。浮かれた帰路。
落ち込んだふりしてドッキリみたいに話そうかな?とか、ストレートに感情のまま笑顔で話そうかな?ミュージカル女優さながら「たぁだぁい〜まぁ〜」とか歌いながら帰宅しようかな?なんて考えながら、浮足だって玄関のドアを開ける。
同時にママが倒れてきた。
悲鳴と共に私に抱きついてきた。
真っ暗な部屋の中。何も見えない。
「パパが!パパが!」
私の足に必死に抱きつきながらママが叫ぶ。
尋常ではない事態であるのを廊下の灯りに照らされたママの表情が、それを語る。
私は部屋に入れずに119に電話した。
記憶にない。いや、どこかにあるのだろうけどどこに蔵われているのかわからない。
それがパパが死んだ日の今分かる記憶。
ママも血だらけだった。
それぐらい。思い出せる事は。
「うちら、心友だねぇー」
その時の事も思い出さなければいけない。
思い出したくないから、閉まっていたのに。