カンガエカタ
今でも思い出すその時のカンペ。
それが出されたロケの直後だった。パパが亡くなったのは。
事故だった。そう聞かされた。幼かった私は魂の亡くなったその体を目にする事をひどくこばんだ。らしい。
大事な事なのにその辺りの細かい記憶を私はすっぽり失くしている。
お葬式でも棺桶は閉じられていたので、恐らくひどく苦しそうな顔をしていたか、原型を留めていなかったのであろうと、今になって思う。
初めてのお葬式だったのでそこに違和感なんてなかった。って言うか身内の死でそんな細かいことなんかわからないし、ただただ悲しい感情に流されてた。
あるべき姿だと思う。
後に通常のお葬式であれば、棺桶の顔付近に小窓が付いていて、ご尊顔を参列者の方が拝めるようになっているらしいです。
私は最初のお葬式が特殊だった為に、亡くなった方の顔を見ても辛く悲しいだけだと思うが。
世はそこで死を受け入れるのでしょう。サヨナラの儀式なのだ。自分にもうこの人はいなくなった。そう言い聞かせる為の。
ただそれは遺体が綺麗な状態の時だけだと思う。
もし献花を捧げる際に、頭部の多くの骨が砕け、糸で紡がれた傷跡だらけの顔を見たらトラウマと恐怖だけが脳裏にこびりつくであろう。
確か、遺体確認?かなにかで警察に行った時、ママは顔ではパパだとわからなかった。
鎖骨にある2つのホクロや、身につけていたものなどで「旦那である可能性が高いです」認めたくないのか、いろいろなとこを見てその言葉をなんどか繰り返していた。
私にも鎖骨に2つのホクロがある。グラビアなどで鎖骨と一緒に褒められてるのをエゴサで良く目にする。
一部の男性はホクロとホクロを線で結び、星座のようなものを作り楽しんでいるらしいが、それは理解し難い。もはや、ドン引きをとおり越して笑えてくる。
よく教科書に出てくる人物に落書きする感覚なんだろうか。ポスターの目やおデコに画鋲を指すような。
それならばなんとなく気持ちがわからなくもない。
私も会社に貼られてる私達のグループのポスターに鼻毛を描いたりイタズラしている。
のちに、ブログ等でそれに触れられていると
「ふふっ」
と、笑ってしまう。