迷宮の少女
鍵はかかっていない。慎重にドアノブを回し、頑丈な作りの迷宮ドアをゆっくりと開く。
黒服は半身で中を覗き込んだ。
誰かいる。
中は殺風景な部屋だ。
今いる部屋と同じぐらいの大部屋。おそらく巡洋艦の中から奪った様々なものが整理もされずに積み上がり、乱雑に散らかっている。
角には台座があり、迷宮の魔法の明かりが灯っているようだ。
部屋の隅に、ひしゃげた簡易ベッドがある。その上になにかがいる。
迷宮モンスターだろうか。
(子供…女の子…?なんでこんなところに)
長い銀髪の少女はこちらに背を向けて、なにかカチャカチャと細かい作業をしているようだ。
(ここはダンジョン、油断はできない。何かが化けているのかも知れない)
黒服は懐中電灯を消し、腰からナイフを抜いてドアが閉まらぬよう歯止めをかける。
そしてアサルトライフルを構え、少女にゆっくりと忍び寄っていった。
ライダースーツは静音性に優れ、衣擦れの音も立てない。
「両手を上げてこちらを向け」
見知らぬ男の声に、銀髪の少女はビクッとした。動きが止まる。
「…両手を上げてこちらを向け!」
黒服の男は鋭く警告する。
銀髪の少女は、ぬらりと振り向く。冷たくもうつろな、幽鬼のような瞳を黒服に向けた。
美しい。
少女の姿は、まるで作り物であるかのように整っていた。
昏い瞳を彩る濡れたまつげは長く、スッと整った鼻筋、柔らかそうな薄桃色の唇。ゆるくウェーブの掛かった銀の髪がきらめき、ふわりと舞う。
華奢な体つきだが、制服のような可愛らしい衣服を身にまとっている。靴はベッドの下に脱ぎ捨てられ、靴下も放り出されている。短いスカートから白い生足が、スラリと艶かしく伸びていた。
男は驚き、見惚れ、そして自身の欲望を認識した。
あふれる唾をゴクリと飲み込む。
「…ダンジョンに攫われてきたのか?俺が助けてやる。さあ、こっちへ」
銃を下げ、片手を差し出して歩み寄ろうとする。
その時少女が、ボソリとささやいた。
「…どうして入ってきたの?」
「えっ」
男は動きを止める。差し出した手が宙をさまよった。
少女は暗くうつろな表情のまま、冷たく乾いた声で続ける。
「ねえ、どうしてあなたは入ってきたの?私とあの方との、愛を育むこの場所に」
カサカサ、カサカサ。
少女の影からなにか小さなものが這い出してくる。
蜘蛛だ。
否、それは金属でできていた。
こぶし大の金属の蜘蛛は、なめらかな動きで少女と黒服の男の間に割って入る。
キュイイと小さな作動音とともに、赤い小さなふたつの瞳が黒服の男に向けられた。
男は静かに半歩後ずさり、アサルトライフルを構え直した。
少女は澄んだ声で、言った。
「…攻撃」
蜘蛛は跳ね、異常な速度で黒服の男に飛びかかった。
「モンスターか!!」
アサルトライフルの引き金を引く。デミブレイバーの装甲をも貫く強装弾が、激しい爆音と爆炎を上げた。
少女の周りを囲む透明で丸い力場は、そのすべてを弾き返した。弾丸は乱反射し、火花をちらして固いダンジョン壁を跳ね回る。
男は驚愕し、唖然とした。
同時に胸にチクリと痛みが走る。
見ると、蜘蛛の足に取り付けられた銀色の刃がミスリル鋼線入りのスーツを切り裂き、蜘蛛がスーツの中に潜り込もうとしているところだった。
「うぁっ!!」
背中に怖気が走る。
男は慌てて蜘蛛を捕まえようとしたが、蜘蛛はするするとスーツに潜り込んだ。
スーツの盛り上がりを叩く。固い。
中で蜘蛛が男の胸の肉をえぐったのがわかった。
「痛い!!」
スーツごと掴んで強引に引っ張る。中でキュイイ、キュイイと蜘蛛がもがいているのがわかった。
少女は笑っていた。
昏い瞳はそのままで、可憐な唇を笑いに歪め、男の方をじっと見ていた。
男は悟った。
「お前が…お前がダンジョンマスターか!?」
「違いまーす」
「ダンジョンモンスターが、それほど強力な障壁を張る魔力を持っているのか!?」
「それも違いまーす」
少女はくすくす笑っている。
男は後ずさりながらヘルメットの下で唇を噛み、踵を返して逃げ出そうとした。
激痛とともに足首から力が抜ける。
くにゃりとした感覚とともに、男は前のめりで派手に転倒した。
「ぐわあああぁぁっ!!」
激痛に身を捩り、力の入らない足首を見る。
両足かかとにそれぞれ蜘蛛が張り付き、厚いブーツの背を銀の刃でえぐっていた。
腱を切られたのだ。
そして身体を捩った目の端に、何かが映った。天井だ。
そこには小さな赤い瞳の光が、無数にうごめいてきた。
「あああああああああ…」
絶望のうめき声が漏れる。
少女は投げ出した靴下を履きながら言う。艷やかな白い太ももで短いスカートが際どくめくれ上がり、隠された内ももがあらわになる。
「そやつらはマジックストーンドローンと言ってな。魔石?とやらの力を動力に変えて動く小型作業用ドローンじゃよ」
「名付けて、マジドローン!じゃ。出力は大したことないがの、ずいぶんと長持ちするエネルギー結晶じゃのう」
「細かい作業はどうしても機械がないとイカンからの。地道に作っておるのじゃ。壊すなよ」
少女は靴を履くと、順に両つま先をトントン鳴らす。
マジドローンたちはぽたり、ぽたりと床に落ちてくる。カチャカチャと歩いてよじ登り、男の体の上を蠢き出した。
「…ふふ。でもこの事は私の心のうちにとどめておきましょう。強くて、不思議で、繊細で…優しいかた…きっとお悲しみになるもの」
少女は震える男の上ににかがみ込んで、艶然と微笑む。
「あのかたはきっと私のことを、戦いを前にすると何もできない哀れな小娘程度にお思いでしょうから」
「でも、私はそれでいいの」
少女は陶酔するように胸をおさえ、甘い声を上げた。
「だって、守られてるって感じがするもの!」
男は無数の、自分の上で蠢く蜘蛛に、体をこわばらせただ震えるばかりだった。
「やめ…やめて…」
少女はニッコリと笑った。
「やめなーい」
複数の機械作動音と共に、男の絶叫が部屋に響き渡った。
リドルはスマートフォンを取り出し、ペタペタと触ると、耳と口元に当てた。
コール音はすぐに切れ、相手が電話の先に出る。
「あ、もしもしブロッケイド?ちょっとー、ここまで入ってきたよ人間。…人手が足りない?男の子が泣きごとを言うでない!…まだ5人いる?早く追っ払って…あ、ちょ、ちょっとまって?これデッドエンド様が『リドルー!!』って救いに来てくれるやつじゃない?ちょ、それもゆるパワー凄い!はぁっ、すご、キューンてくる!すっごいキューンてくる!ちょ、ブロッケイドちょっと待ってて!…何?駄目?…なんでじゃ!!」
男の死体は広がり散った血液とともに、光となって消えていく。
「これすごいなー、まほうのちからってスゲー。どうなってるの?ああいやこっちの話。…はいはい、待ってます。待っとるわい。はいまたね」
通話を終えると、リドルは男の残した装備を拾い集め、見分を始めた。
「火薬銃は弾がないとなあ。まあ替えマガジンもあるしなにかに使えるじゃろ」
マジドローンたちはカサカサ、カサカサと壁をつたい、待機場所の天井へと戻っていった。




