透明な怪物
「…速い!?」
横切るように斜めに跳んだ人影は、森の木をへし折りながらも足場にし、角度を変えて着地した。
ピピンが連射するすべての弾丸が空を切る。当たらない。
撃ち切ったサブマシンガンのマガジンを切り離すと同時に、腰から抜いた新たなマガジンを装填する。パワーアシストではない完全魔力操作によって、人間離れした装填速度を実現していた。
だが、そのたった一秒でピピンのゴブリンは、人影に肉薄されていた。
腕が跳ね上げられサブマシンガンが宙を舞った。
そしてすぐさま、ピピンのゴブリンは横に吹っ飛ばされた。
「うわああああああああっ!!」
つる植物の木に引っかかり、もんどり打って地面をすべる。カーキ色の機体を隠すように土埃が巻き上がった。
何が起こったのか理解できなかったピピンは、吹っ飛ばされる前にモニターに映った人影の動きを思い出す。
(…蹴られた!?蹴られただけなのに、なんでこんなに)
ピピンの機体は今や天を仰いでいた。とにかく機体を起こさなくては。
下の方でメキメキと嫌な音がする。
魔力操作で機体を飛び起きさせようとしたピピンだが、その意に反して機体がただもがくだけなのに気づく。
眼の前に、人影がいた。
否、それはもはや人影ではなかった。
いつのまにかその人影だったものは、デミブレイバー並みの巨体に膨れ上がっていた。
巨体の影は、その猿のような長い腕の影に掴まれていた、デミブレイバーゴブリンの両足を無造作に投げ捨てた。
「えっ」
ピピンは状況が把握できずに混乱する。
巨体の影が、前面モニターいっぱいに広がる。
破砕音。モニターがブラックアウトすると同時に、ピピンがいる操縦席の上、頭部があるはずのあたりが大きくへこんだ。機体が大きく揺れる。
「わああああああああああっ!!」
泡を食ったピピンは腕部に仕込まれた無線機のスイッチを入れた。
「透明な怪物に襲われています!支援を!!曹長!!支援をっ!!」
「見えてないんですか!!軍曹!!マユタ軍曹!!」
「返事をしてくれっ!!!」
無線機は、虚しくも激しい雑音を返すばかりだ。
「…見捨てないで…」
ピピンはしゃくりあげながら泣き出してしまった。涙が頬を伝う。
「…大佐…」
それでもアミール大佐のことを想うと、ピピンに勇気が湧いてきた。
涙と鼻水に汚れた顔を引き締め、歯を食いしばる。
狭い操縦席で身をよじりながら、なんとかゴブリンの腕部から自分の腕を引っこ抜いた。
腹を守るように装着されたウエストバッグ。その中にはサバイバルキットとハンドガンが入っている。ピピンはハンドガンを取り出し、その時が来るのを待つ。
眼の前のハッチがミシミシと音を立て、ひずむ。浮き上がった部分に何かが差し込まれ、ハッチはメキメキと音を立てながら跳ね上がった。
ピピンは絶叫とも雄叫びともとれる叫びを上げながら、目の前の影に向かって何度も何度も引き金を引いた。
◇
電子戦でレーダーやデータリンクを潰し、偏光遮蔽迷彩によって透明化して戦うのはレクシアの常套手段だった。
透明な敵に対してはこちらは音や気配、空気や光のゆらぎを頼りに戦うしか無く、ずいぶん苦労したものだ。
透明化が見破られる気分というのは、このようなものなんだな。と、ライオブレイカーは少し愉快な気持ちになる。
この戦闘によって、やはりこの世界の情報が全く足りないことを実感した。
透明化を見破られたこともそうだが、敵機体の情報がないので無力化手段に迷いを感じた。
構造と機体の動きから推察して足には身が入っていないと判断しもぎ取ったが、身が入っていなくて本当に良かった。彼は貴重なこの世界の情報源なのだ。
知らない、わからないという感覚が暴力の予兆とともにあるというのは、透明な怪物に苛まれているようなものだ。徐々に心のリソースを削り取られ、疲れ切って正常な判断力を失っていく。
いくら強い言葉で自分を奮い立たせても、やはりそこには限界がある。こちらに来てからのライオブレイカーの心も、正直疲弊を感じていた。
クローアームでハッチをこじ開けると、不意をついて操縦者がハンドガンを撃ってきた。ガッツがあるな、この操縦者は。パワードフォームの装甲に、虚しくすべての弾丸は跳弾していく。
ライオブレイカーは不意にあることに思いいたり背筋が寒くなる。
(…ここは未知の魔法がある世界だ。拳銃弾ではなくライオシューター並みの魔法攻撃が来ていたら、俺は今、死んでいた)
知らないということもそうだが、戦いから離れていたせいで勘が鈍り気が緩んでいる。引き締め直す必要もありそうだ。
さて、操縦者が撃つハンドガンの弾もつきたようだ。左手のクローアームを押し付けて、彼を逃げられないように拘束する。
彼はなにかを喚いているようだが、まだ【サイレンス】の効果中だ。あと5分は続くだろう。
透明化を提案したダンジョンの声も、ずいぶんと気をもんでいることだろう。
少し申し訳ない気分になる。最初から情報が不足していたし、案を採用したのは俺だ。
そして結果的にはうまく行ったし、透明化は見破られると知ることも出来た。
気にしなくていい、と声をかけてやりたいところだ。
さて、彼には情報源になってもらい、更には我々の未来を切り開くための使者となってもらわなければならない。クローアームに押しつけられた、彼の様子をちらりと見る。
いつしか彼は、白目を剥き泡を吹いていた。…【サイレンス】が切れるまではもってほしかったんだか…。




