歌の章 第3話
ガルベイルの首都がレリアから南西近くに位置しているとすれば、エストランジュ国王城はレリアからかなり西に近い北西の方角に位置している。
ただし、途中には山脈がそびえ立っているし、その上辺境の地に行けばいくほど魔物の数が増すため、相当に冒険慣れしている者でなければ直接エストランジュ国へ向かう事は難しいだろう。通常の観光客や帰郷者などはガルベイル公国を経由してエストランジュ国へ入るのが普通である。
北方からエストランジュ国内へと入れなくもないが、その後過酷な砂漠越えが待っている事を考えれば少々面倒でも二国の国境越えを選択するのは当然と言えば当然だろう。大体にリヴァイアは暑いのが大の苦手なのだ。
「ふんふん、ふふん、ふんふんふんふ~ん♪」
「ユン、またレクイエムですか……」
レリアからガルベイル公国の国境砦へ向かって歩いていたリヴァイアだったが、途中で何故かユンに待ち伏せされていた。自分も行くと言ってきかないユンを説得することは時間と労力の無駄だろうと、諦めてついてくることを許可したリヴァイアである。どのみちついてくるなと言っても後をつけてでも追ってくる性格だという事はとうに了承済みだ。
またしてもユンの音痴な歌を聞かされながらの旅に、リヴァイアは微妙に気が重くなった。
「リヴァイア様、リヴァイア様も歌いたくなってきませんか? リヴァイア様の詠唱も歌のようで素敵ですが、やっぱり歌が聞きたいです!!」
「歌いませんよ……」
リヴァイアは何度目ともしれないため息をつくと、自身の眼鏡を押し上げた。エストランジュに着いたらイリスに押しつけようと固く心に誓うリヴァイアである。
「あーーーー!!!」
いきなり叫び声をあげるユンの声に、びくっと体を震わせながらリヴァイアが振り向いた。
「な、なんですか? いきなり!! どうしたんですか?」
「お財布……忘れてきちゃいました……。お土産買ってくるってみんなに言ったのに……」
ユンがいつも持ち歩いている竜の紋章入りの財布を思い出して、リヴァイアはがくりと肩を落とした。ちなみに竜はレリアでは神聖な生物としてまつられている。貴重品には竜をかたどったレリーフが刻まれている事が多いのだ。
「ユン……。観光のためにエストランジュへ行く訳じゃないんですよ。お土産はあきらめて僕についてくるか、レリアに帰って一人で観光をしに再び来るか選んでください」
厳しくそう言うリヴァイアの言葉に、ユンはうなだれながらもリヴァイアの後についた。お土産はあきらめてついてくるという事らしい。二人のやり取りを理解してなのか、リヴァイアの懐からレコがぴょこんと飛び出してユンの肩に乗った。レコなりに励ましているつもりなのかもしれない。
「レコ……うん、そうだよね! リヴァイア様のような立派な魔術師になるためには試練も必要だよね!!」
立ち直りの早いユンに少々あきれながらも、リヴァイアはほっとした。そのまま歩く歩を速める。途中で馬車を拾い、レリアとガルベイルの国境砦まで一気に辿り着いた。国境を超えるために並んでいる人たちの列の最後尾にユンと2人で並ぶ。
「身分証の掲示をお願いします」
いつも顔パスで通っているリヴァイアの前に、ガルベイル国の紋章入り鎧を着た兵士の手がぬっと差し出された。リヴァイアの目が丸くなる。ガルベイルには毎月のように予言をしに通っているのだ。いつもならば顔を見るだけで通してくれているここでまさか足止めを食うとは思っていなかった。
「掲示を」
兵士がリヴァイアを見下すようにもう一度そう言った。後ろにいたユンがその間に割って入って来る。
「なんて失礼な!! リヴァイア様の顔を知らないなんてどこの新人ですか!! リヴァイア様は偉大な五大魔術師、リヴァイア=ディストランタ様なんですよ!! 今すぐ分かる人を呼んできてください!!」
「あ? 誰が新人だ!! お前らみたいなガキが偉大な魔術師様だ? 騒いで国境を越えようと思っても無駄だからな!」
騒ぐユンと怒り気味の兵士に、後ろに並んでいる人々がざわついた。リヴァイアはユンを引っ張ると列から離れ、目立たないように近くにあった木陰に隠れた。
「ユン、そんなに騒がなくても身分証を見せれば済む話でしょう。少し待っていてください」
そこまで言うと、リヴァイアはインフィニティアロッドを構えて転送魔術を発動した。残念ながら身分証は部屋に置いたままだったのだ。まさかこんなに早く転送魔術を使う事になるとは思っていなかったが、再びレリアに戻る手間を考えればこちらの方が何倍も楽だ。転送魔術用の魔方陣が空に描かれる。
「朝から無駄な魔力使わされすぎですよね……」
ちらりとユンの肩に乗ったレコを見、そうつぶやいた。それから自身の眼鏡を押し上げて魔方陣に手を伸ばしかけたところで、リヴァイアの顔が2つの饅頭にムギュッと押しつぶされた。
「見つけた! 見つけたわ!!」
2つの饅頭はそう叫びながら、さらにリヴァイアの顔を押しつぶす。あまりの衝撃に持っていたインフィニティアロッドと魔導書を取り落とし、さらに集中が切れてわざわざ発動した転送魔術の魔方陣がふっと消え失せた。
「ちょ、な、なんなんですか? いったい!!」
リヴァイアは饅頭の隙間からぷはっと顔を出すと、その饅頭の持ち主を見上げた。
「かっ……」
リヴァイアの顔が一気に赤く染まる。心臓が今にも爆発しそうだ。深紅の髪は短く、強気な青色の瞳はリヴァイアを一直線に見据えている。ごつごつした肩当てとは裏腹に、かろうじて巻かれたような胸や腰の布は、自分を誘っているのかと誤解してしまいそうなほどだ。すらりと長い脚を惜しげもなく出しているショートパンツの上にはきゅっと引き締まったウエストがあり、そこから下がっている剣で彼女が剣士だという事が見て取れた。
「今の、魔術よね!? あなた、魔術師なんでしょ!? 結構大がかりっぽい魔術だったし戦力になりそうだわ! 来て!!」
それだけ言うと、女の人とは思えないような力でリヴァイアを引きずっていく。引きずられながらガルベイル兵の方を見たが、完全無視を決め込んだようでこちらには見向きもしなかった。しばらく呆けていたユンは我にかえると、リヴァイアが落としていったインフィニティアロッドと魔導書を拾い、引きずられていくリヴァイアの後をあわてて追った。
「ちょ、キミ、離してください。僕には行くところが……」
「そうよ! 行くのよ!! うふふ……。レリアで張ってたかいがあるわ。これで……。うふ、うふふ……」
「ああ! リヴァイア様っ……!リヴァイア様を離してください! リヴァイア様~!」
赤い髪の美女は怪しい笑いをもらしながら、リヴァイアが元来た方面へと戻っていく。速足でわたわたとついてくるユンも追いかけるだけでいっぱいいっぱいのようだ。国境砦からかなり引きずられて、雑木林のような場所に入った時にはそろそろやばいと感じたリヴァイアだった。
何があってもいいように、引きずられながら集中を始めた。
「また拉致してきたのか? サラ」
しばらくその雑木林を歩いていた……もとい、引きずられていたリヴァイアだったが、いきなり頭上から降って来た声に集中しかけていた意識が引き戻された。リヴァイアを引きずっていた赤い髪の美女が上を仰いで答える。
「拉致じゃないわよ、ファン兄さん」
サラと呼ばれた彼女の真横に、どこにいたのかザザザーッと上から人が降って来た。あまりの驚きにリヴァイアは身を固くしてその上から降って来た人をまじまじと見つめた。
赤髪の彼女が深紅だとするならば、その青年は少しくすみがかった赤い髪をしている。色で例えるなら朱色と言ったところか。少し癖のある長めの髪は、上の方だけ一房青い羽のついた髪飾りでまとめられている。服装を見る限り貴族ではなさそうだが、それなりに丈夫そうな革製の胸当てをして背中には質のよさそうな弓矢が覗いている。優しげに見える瞳は、だがその奥の方で獣の光を宿しているようだ。リヴァイアより頭一つ分高いサラと呼ばれた彼女よりも、さらに額一つ分背が高い。
「リヴァイア様~! ああ! いましたぁ!!」
見失っていたのか、今更ながらにユンが追いついてきた。リヴァイアの横で膝に手をつきゼハゼハと言っている。
「どこが拉致じゃないって?」
半眼でそういう青年に、美女がポリポリと頬を掻いた。
「やぁねぇ。この子とはちょーっとはぐれただけよぅ」
目を泳がせながらそう答える赤い髪の彼女を半眼のまま見つめた後、青年はリヴァイアの方に向き直った。
「すまなかったな。俺達ずっと力の強い魔術師を捜していたんだ。無理矢理拉致してくるのはやめろと言っておいたんだが……」
「だから! 拉致じゃないってば!! ちゃんと合意の元で来てもらったんだから!!」
「僕達がいつどこでどう合意したのか、記憶が全くないのですが……」
力づくで引きずられてきた記憶しかないリヴァイアが即座に答えた。そのリヴァイアの唇にサラと呼ばれた彼女の人差し指が押しあてられる。
「お願い……。あなたの力が必要なの……」
目をうるませて見つめる彼女の瞳に、心臓をドキリとさせるリヴァイアである。何しろリヴァイアは、魔術師以外の女性にあまり耐性がない上、これほどリヴァイア好みの女性に出会うのは初めてだった。なんとも言えない気分になり、リヴァイアは彼女から目をそらした。
「な、勝手なことを言わないでください! 僕には行くところがあると言ったでしょう!」
うつむき加減にそう答えるリヴァイアに近付いてくる気配があった。ファンと呼ばれた男だ。
「本当にすまない。……だが、もしよければ俺達に手を貸してはくれないだろうか?さっきも言ったように俺達には力の強い魔術師が必要なんだ。……と、自己紹介が先だよな。俺はファンドリガ=スリュー。で、こっちが妹のサライメル=スリュー。呼びづらいだろうから俺達の事はファンとサラでいい。で、ガルベイル南端の海辺の町から来たんだ」
青年、ファンは懇切丁寧に自己紹介をすると、リヴァイアに向かって右手を差し出してきた。ガルベイルは羽のついたアクセサリ類が主流だと聞いたことがある。ファンの髪飾りや、赤髪の彼女サラのイヤリングを見る限り嘘は言っていないようだった。ここまで丁寧に自己紹介してくる相手を無視することはさすがに礼儀に反するだろうと、差し出された手を見つめながらリヴァイアは簡単に自己紹介をした。
「リヴァイア=ディストランタ。僕の方も呼びづらいと思いますのでリヴァでいいですよ。で、こっちがユン=ローダと、魔獣ラヴィスのレコ」
「魔術師見習いのユンです!!」
「キュ!」
それぞれが元気に自己紹介をした。疑う事を知らないようである。サラが二人に向かってカワイイーと言っているのを聞いて、リヴァイアが少しムッとしながらユンの肩に乗っていたレコを抱き上げた。
「しかし僕達にはこれからエストランジュに向かうという用事があるんです。残念ですがキミ達につき合っている暇などないのですよ。大体……」
リヴァイアがそこまで言ったところで、サラに言葉を遮られた。
「身分証がなくて困ってたんでしょ? 私達、用があるのはこの先の山脈にある洞窟なの。エストランジュに向かうならそっちの方が近道じゃない? 護衛の見返りは魔物退治で手を打ってあ・げ・る!」
サラがリヴァイアの手をとり、瞳を覗き込んだ。リヴァイアはうろたえながらも、ふと気になって疑問を投げかけた。
「魔物退治……? いったいキミ達は何をしてる人達なんですか? それに見たところキミ達二人でもそこら辺りに居る魔物なら十分太刀打ちできるぐらいの力量があるように見受けられますが……?」
「そこらに居る魔物なら……な」
リヴァイアの質問にファンが渋い声で答えた。どうやら訳ありらしいと悟る。
「魔物は街の兵士や傭兵さんが退治してくれてるからほとんど辺境の場所にしかいないですし、何で魔物退治なんですか?」
ユンが二人に向かってそう問いかけた。リヴァイアも聞きたかったことである。サラとファンは渋い顔のまましばらく押し黙った。
「魔物に……命と同じぐらい大切なサラのペンダントを盗られたんだ。取り戻そうと思ったんだが、その魔物……物理攻撃が効かなくて……」
先にファンが口を開いてそう言った。ファンに続いてサラも苦々しく吐き捨てる。
「この先にある洞窟に身を潜めたところまでは分かってるの。でも、二人で行った所でまた返り討ちにあうだけだわ」
二人の言葉を聞いて、ユンが鼻息も荒く返事を返した。
「行きましょう!! リヴァイア様!! 困っている人を助けるのも魔術師の務めです!! イリス様ならきっと分かってくださいます!!」
「いつそんな勤めができたんですか……」
リヴァイアはそうぼやきながらも、これ程困っている二人を放っておくことは出来ないだろうと、ついて行くことを決めた。ついて行くと伝える前に、罠ではないことを確認するため、まずはサラの手を取った。皆には内緒で先見の力を発動する。得意分野だけあって、集中するだけで発動できるものだ。
「?」
不思議そうにリヴァイアを見つめるサラだが、それ以上にリヴァイアが首をかしげた。
(あれ……? おかしい……。先が見えない……)
これから亡くなる人だったとしても数時間後のビジョンぐらいは見えるものなのだ。それなのに何故かサラの先は何一つ見えてこなかった。リヴァイアは頭に?を浮かべながら、今度はファンの手を取った。やはりこちらも何も見えてこない。
「いやん、リヴァったら。サラとアタシ、どっちとよろしくしようか悩んでるぅ?」
他事を考えてファンの手を握っていたリヴァイアの頭上に気持ちの悪いオカマ声が降って来た。リヴァイアがあわててファンの手を離す。
「んな!? なに、バカなことを言っているんですか!?」
「そんな!! リヴァイア様はボクを選んでくださるはずです!!」
何故かユンが対抗意識を燃やし、しゃしゃり出てきた。話がさらにややこしくなる。これ以上話がややこしくなる前にリヴァイアは自身の眼鏡を押し上げ、ユンの方は完全無視を決め込みつつ、二人について行く旨を伝えた。
それを聞いたファンとサラがうれしそうに顔を見合わせる。その顔を見てリヴァイアの方までうれしくなってきてしまった。イリスなどどうでもよくなってきてしまったリヴァイアである。
1週間でも2週間でも存分に待っているがいい。リヴァイアは心の中で悪人のようにそうつぶやいた。
「ありがとう、リヴァ。頼りにしてるわ」
サラはそう言うと、リヴァイアを抱き締めてきた。ふくよかな饅頭……もとい、胸がふにゅんと当り、リヴァイアの心臓が大暴れを始めた。その暴走をおさめてなんとか冷静さを取り戻すと、リヴァイアはサラの体を押し返して言い放った。
「い、色仕掛けで僕を落とそうと思っても無駄ですからね!!」
「あら、ばれちゃった。兄さん、リヴァには色仕掛け通じないみたい」
「果てしなく色気のないお前が悪いな、サラ」
「にゃんですと!?」
サラはリヴァイアから離れると、ファンに向かって鞘ごと剣を構えた。いつものことなのか、ファンは飄々としている。ゆっくりとした足取りでリヴァイアの背後に隠れると、リヴァイアを羽交い絞め……もとい、抱きしめた。リヴァイアが抱いていたレコがファンの腕に押しつぶされてグキュッと変な声をもらす。
「何……してるんですか? キミ……」
「ああ! リヴァイア様を離せー!」
騒ぐユンは当然放っておいて、首だけで後ろを振り向きながら半眼でファンを見た。ファンは口元だけをニヤッと歪めると、リヴァイアの耳に唇を近づけて囁きこむ。
「守ってくれた報酬は、山脈越えの護衛で手を打ってあ・げ・る」
サラの真似なのか、かなり気持ちの悪い声だ。リヴァイアの全身に鳥肌が立つ。サラのように色仕掛けでもしているつもりなのだろう。する相手が間違っている感は否めない。
「ファン兄ぃ覚悟ーーーーー!!!」
「は!? ええ!? ちょ、待っ……」
「うわあああ!」
ファンとごちゃごちゃしている間に、リヴァイアの上にサラの影が覆いかぶさる。誰よりも先に二人の近くにいたユンがかけ離れた。ファンはリヴァイアの背後に居る。いくら背が高いとはいえ、リヴァイアより低く身構えていては当然サラの鞘付きの剣はリヴァイアを襲う訳で……。
ゴツンッ……という鈍い音とともにリヴァイアの目の中に星が散った。視界がくるくると回る。
「ちょ、リヴァ!? リヴァ!!」
「あああああ! リヴァイア様~!」
叫ぶユンの声が聞こえる。自分を放置して逃げた者の行動とは思えないぞ……と思ってしまうリヴァイアである。目の前のサラの顔がくるくると回る。覗きこんで来たファンの顔も同様に回った。まるで回転木馬にでも乗っている気分だ。全くもって愉快でもないその回転木馬に乗りながら、リヴァイアは自身の意識を手放した。