黒水晶の章 第12話
「ファン、実はサラはまだっ……」
「ファンドリガ。あなたの妹、体はまだ無事のようだわ。そこのダグラを殺せば、あの方がどうにかしてくれるかもしれないわよ」
リヴァイアの言葉を遮るようにエリンが口を開いた。ファンもダグラに掴まれていた腕を振り払うと、怒りの表情を消して背中の矢に手をかける。
「ダグラを殺せばあいつが姿を見せる、そうだったなエリン?」
「ええ。あの方が夢で私達にそう教えたのだから」
「ファン! いけません。ダグラ陛下の死はこの大陸のっ……あうっ」
言葉を終えるより先にファンの矢がリヴァイアの太腿を貫いた。それと同時にエリンが指笛を鳴らす。
「どうせ終わってる命だ。出て来たアイツを始末して、世界が滅ぶまでサラと安らかな時を過ごすさ」
淡々としたファンの言葉の後に続いたのは、床を抉るような重い音だ。見れば街道を塞いでいた獣と同型の魔物が、背中に少女を乗せ姿を現した。その少女を見てダグラがほぉ、と声をあげる。
「お前らの望みは確か……エストランジュの破滅、だったか? 偉そうな事を言っていたがなんだ、結局は“あの方”という奴の手駒か」
「何だと!?」
ダグラは相手を挑発するようにニヤリと口元を歪め、それに乗せられた少女はすぐにいきり立ち魔物の背から跳躍した。巨大なリング刀を振ってダグラに襲い掛かる。
「ニーナ。冷静に仕留めるのよ」
「ああ、分かってる、よ!」
エリンの言葉を聞いて少し落ち着いたのだろう、ニーナはリング刀の重みを利用して、剣を引き抜くダグラの右手側ではなく動かない左手側を狙って着地した。その勢いでリング刀を振るう。一方リヴァイアはファンの言葉に小さく首を振った。
「ファン、貴方はサラが今もそれを望んでいると思っているのですか?」
矢が刺さったままのズキズキと痛む自身の太腿を押さえ、だが癒しの術を使うより先にファンに問いかけた。答えを聞いておきたかったのだ。
「サラの……あいつの望みはこれ以上自分のような人間を増やさない事だ。アイツを殺せばすべてが終わる。それが叶うのなら、納得してくれるだろ」
「ファン、貴方は過去に囚われ過ぎているのかもしれません……」
全てを忘れようとしていた以前のサラなら、それを選択したかもしれない。だが今のサラはダグラを……世界を犠牲にしてもいいなどとは言わない気がして……。だからこそ視線をファンに真っすぐ見据えた。
「サラにはまだ希望があります。サラは僕が助けます。ですから、貴方が言う“アイツ”はそれから探しても遅くはないのではないでしょうか」
リヴァイアの言葉を聞いてファンは一瞬目を見開いた後、目元を覆って押し殺すような笑い声をあげた。
「“僕が”……? “僕が”ねぇ」
そのまま戻されたファンの視線はとても冷たいものだった。リヴァイアの背筋に悪寒が走る。
「五大魔術師様に死んじまった人間をどうできるって言うんだ? 弄ばれて結局ダメでした、なんて言われたくねーんだよ。それにこの十数年、アイツは存在すら認識できなかったんだ。そんな奴が出てくるってんなら俺達の目的も達成できる。俺達兄妹の願いが一度に叶うんだよ。もう構わないでくれ」
「うあ!」
言い終えるなりファンは弓に矢をつがえ、動くより先にリヴァイアの矢が刺さったままの太腿とは反対側の太腿を射抜いて来た。両足を射抜かれたリヴァイアは立っていることが出来ず床に膝をつく。その隙を狙って魔物がリヴァイアの腕を引き千切らんばかりに噛みついて来た。
「リヴァイア殿!!」
リヴァイアに気を取られ油断したのか、ニーナのリング刀に切り裂かれ垂れ下がったままのダグラの左腕に裂傷が走る。そんなこともお構いなしにダグラはリヴァイアの元へと駆け剣を一振りすると、切先で魔物を斬り飛ばした。痛みで魔物の咆哮が上がる。そのままダグラはリヴァイアの横に膝をついた。
「無事か?」
「ええ……。ッ!! 堅牢たる光壁よ、我が前に出でよッ」
隙を突いて同時に襲い掛かるファンの矢と風で生み出された槍は、リヴァイアの術によって出来た透明な壁に弾き飛ばされた。
「あんだよ、赤毛の兄ちゃんの説得に失敗したのか?」
両ももに刺さった矢を抜くリヴァイアを見て、からかうようにダグラが言葉を発した。リヴァイアもすぐに癒しの術を自身とダグラにかけながら、視線は相手に据えたまま苦笑した。
「申し訳ありません。彼らを止めます、手伝って頂けますか?」
リヴァイアの質問にダグラは頬をかく。こちらに駆けてくるニーナを視界に捉えながら立ち上がり、ニヤリと笑んだ。
「ったくよぉ。相変わらずアンタは甘ちゃんだ、な!!」
上から振り落とされたニーナのリング刀を弾き飛ばし、直後に来た光の輪はしゃがんで避けた。そのままニーナの腹に剣を突き立てる。
「あ……?」
「ニーナ!!」
珍しくエリンが声を荒げ駆け寄ってくる。倒れる直前でニーナの体を支え、ダグラを睨みつけた。
「許さない」
まるで堰が切れたかのようにエリンは怒り出し、腰から引き抜いた鞭を振るうと同時に呪文を呟き出した。
「あの呪文はファイアスネーク!?」
リヴァイアは焦りすぐにアクアドームの詠唱に入る。エリンを止めるより、魔術で防いだ方が早いと思ったからだ。だが発動したアクアドームはファンの矢ですぐに砕かれた。しまったと思ったときにはすでに遅く、生み出された炎にリヴァイアとダグラは飲み込まれていく。焦るリヴァイアに熱風が襲い掛かって来た。
「うっ……流れ出でる水、落ちよ……」
危うく喉の奥を焼かれそうになり、慌てて詠唱を完成させる。危ない所でアクアフォールの水が炎を打ち消しどうにかまる焼けは免れた。ほっと一息をつく。
だがそれもほんの一瞬だった。エリンの怒りは治まらないのか攻撃を止めることなく、鞭でリヴァイアを打ち据えてくる。徐々にリヴァイアをダグラから引き離しつつ、彼女は更に詠唱を続けていた。
このままではまずいかもしれない、そう考え防御壁を展開しようとする。そんなリヴァイアをファンの矢が襲いかかってきた。
「ファンっ!」
「エリン、止めをさせ」
「いけません!!」
エリンはファンの言葉にうなずき静かに詠唱を完成させる。その術は喉を焼かれたのかもしれない朦朧としているダグラの足を切り裂いた。
かろうじて足だったのはダグラがどうにか避けたからだろう。エリンは舌打ちし、息を切らせながらも更に術の詠唱を続けた。ニーナも脇腹を押さえながら、フラフラとダグラに近づいて来る。
「ファン! 分かってください! 僕はキミ達を攻撃したい訳ではないのです!」
「だったらアイツを倒す手伝いでもしてくれ」
何故かファンも怒りを表し始めている。ニーナを攻撃したのは確かだ。だが自分の術ですぐに癒すつもりだった。なぜ彼らはこんなにも怒りを露わにし始めたのか、良く分からずリヴァイアは困惑した表情を浮かべた。それが伝わったのだろう、ファンが冷めた表情でリヴァイアの方を見る。
「エリンもニーナもサラと同じ……回復術の効かない体なんだよ」
「え……」
淡々とそれだけを告げ、青い羽の矢を取り出す。満身創痍のダグラに向かって弓を引き絞った。
「ファン! いけませんっ……!」
止めようと詠唱を始めたリヴァイアに傷を負っていたはずの魔物が襲い掛かかる。ファンを止められる人物など誰一人居ず、放たれた矢は避け損ねたダグラの腹部に刺さり……そして爆発した。
「っ……ぁ……」
「ダグラ陛下!!」
ダグラはそのまま痙攣し、動かなくなる。癒しの術を詠唱するリヴァイアを阻むように魔物が噛みつき引き裂こうとしてきた。
「く、邪魔をしないでくださいッ! ライトニングスパーク!!」
最大の魔力を放出し、魔物を仕留める。早く回復しなければ今のダグラの体力では間に合わないだろう。その間にもエリンがダグラの方へと歩み寄っていた。
「止めよ」
最後とばかりに詠唱を始める。そのエリンの手首にはめられた装飾品の石が、何故か突然ビキリと音を鳴らしヒビが入った。
「え……? ……どうし、て」
「エリン? どうした?」
「エ……リ、ン?」
驚く声をあげるエリンに、気になったのかファンが近づきニーナもフラフラと近づいた。先程よりもさらに荒い息になり、とうとう自身を支えきれなくなったのだろう、エリンはたまらず膝をついた。揺れる瞳で左手にはめられている装飾品の、ヒビの入った石を見ている。
今は敵に同情している場合ではない。だがリヴァイアは気づいてしまったのだ。サラと同じという事は、あの石はサラのペンダントと同じ効果なのだという事を。つまりエリンの命をつないでいる石が割れてしまったのだということを……。
「魔力を注げば今ならまだっ……! うあ!」
立ち上がり近づこうとするリヴァイアの背中に衝撃がはしった。それが魔力の塊だという事に気付いたときにはすでに遅く、奥の壁に体が激突していた。
「なんだ、まだ止めをさせていないではないか……」
咳き込みながら理解できていない頭で声の主を見てみれば、そこには灰白色の髪をし、白いローブに身を包んだ初老の男がダグラを見下ろしていた。ちらりとリヴァイアを見たその目は、赤なのか紫なのか良く分からない色に金色が混じっていた。人の形をしているが、もしかしたら人では無いのかもしれない、とさえ思ってしまう。ニーナが笑みを浮かべ、脇腹を押さえながらフラフラとその男に近づいていく。ファンが舌打ちをした。
「チッ。ようやく姿を見せやがったか」
「ジ、ヴァル。アンタの、言う通りっ……ダグラを連れてきてやったぜ……! なぁ、アタシらの願い……叶えて、くれるんだろ? エリン……エリンも救ってくれよ……」
嬉しそうに近づくニーナに、ジヴァルと呼ばれた初老の男は無表情のまま視線を移す。静かにニーナに向け手を差し出した。何者なのか、何をしに来たのか、それは分からなかったが、気が逸れている今ならダグラを癒す事は出来るだろう。エリンには申し訳ないがリヴァイアは隙を突いてダグラの元まで駆けた。
「輝ける光、彼の者を癒したまえ。ヒーリングライト」
素早く詠唱し、ダグラの傷を癒す。
「うっ……」
「うああ!!」
ダグラが声を発し目を開けたのと、ニーナの悲鳴が響き渡ったのは同時だった。何事かと振り返れば、ニーナの腹部の傷が倍に広がり床に倒れている。ファンが止血を施しているが、あのままでは恐らく持たないだろう。
先程手を差し出したのは、受け入れるためではなく術を発動する為だったのだと分かり驚きで身を固くするリヴァイアに、こちらに気付いたジヴァルの冷酷な視線が据えられた。
「ただの駒が……。余計な事をしてもらっては困るな。……だが、苦しませながら屠るのも一興か。終わりだ」
「ぐ、う!?」
目覚めたばかりのダグラが、今度は心臓を押さえながらのたうち回り始めた。
「リ、ヴァイ……ア殿っ……! な、んだ? 心臓がっ……ぅ……」
「陛下!? いったい何がっ……」
「心臓を握りつぶし、やがて内部で破裂させる魔術だ。生体の時を止めた者には効かぬが、ただの人間であるお前にはよく効くであろう。神殿の封印解除、感謝するぞ」
淡々と言いながら、背後から放たれたファンの矢をひらりとかわす。そのまま静かに歩み寄った先は巨大な黒い水晶だ。
「く、陛下っ……! 癒しの術ではダメなのですかっ!?」
いくらヒーリングライトをかけても苦しそうに呻くダグラに、リヴァイアも焦りを感じていた。黒水晶を壊してはならない。だがこのままダグラを放っておけば、恐らくこちらも命が尽きてしまうだろう。焦るリヴァイアにファンの声がかけられた。
「あいつを倒せば上手くいく話だろ!! 力を貸せ!!」
言いながらジヴァルに向けて矢を放つ。それは全て避けられてはいたが、リヴァイアが冷静さを取り戻すには十分だった。
「そうですね。時間がありません、とっとと決着をつけましょう」
立ち上がって見てみれば、まるで水晶の黒い部分が全てジヴァルに吸い込まれているかのように、徐々に白く変色していっている。もしかしたらエリンの嵌めていた石のように、全ての力を失うと壊れてしまうのかもしれないと感じた。
「風刃の槍よ、敵を貫け」
出来るだけ大量の魔力を込め、詠唱時間の短い集中の少なくていい魔術を詠唱する。ファンなら最後の一本の青い矢を放ってくれるだろうと信じたからだ。ファンもリヴァイアの考えを読み取ったのだろう、何を言うでもなく青い矢を弓につがえていた。目を合わせることも、言葉を交わすこともなく、二人の攻撃が同時に放たれる。水晶が全て白くなった直後、ジヴァルの腕を破壊するようにウィンドランスに乗ったファンの青い矢が突き刺さり破裂音をまき散らした。
「ぐ!? 小癪な……!」
だが焦った様子を見せたのも束の間、二人の攻撃は何事もなかったかのようにジヴァルに吸収されていく。何故かダメージも残っていないようであった。
「ほう……」
「な、どうして……」
焦るリヴァイアをよそにジヴァルは余裕の笑みを浮かべる。ゆっくりと突き刺さっていたファンの青い矢を抜き、床に放った。
「く……クク。所詮は駒にすぎぬか。お前の力は私が見せた夢なのだから……」
それだけ言うと、ふとダグラの様子を見てニヤリと口元を歪める。
「……死んだか」
「え……」
動揺までし始めたリヴァイアをよそにジヴァルはダグラに歩み寄ると、片膝をついて心臓に触れた。死を確認したのだろう、そのまま高らかな笑い声をあげた。気分すら良くなったのか、立ち上がって今は白くなってしまっている水晶に向かって手を伸ばす。
「竜の気配が近づいてきている。ここは早々に破壊しておこう」
「させるかよ!!」
矢を全て放ってしまったのか、ファンは拳でジヴァルに襲い掛かる。リヴァイアの方は動揺と混乱で集中などしているどころではなかった。ミシリと床に亀裂が走る。
「リヴァ!!」
ファンの声にハッと意識を引き戻されるリヴァイアである。そうだ、今出来ることをやらなければ。
「好きにさせる訳にはいきませんっ……!」
自分の術で倒せるかは分からない。だがリヴァイアはそれでも必死で術の詠唱を始めた。