黒水晶の章 第11話
ガラガラと音をたて、橋を形作っていた瓦礫が神殿の周囲を囲んでいた湖の中へと沈んでいく。そこから逃げるように、瓦礫を蹴りつつ一つの影がまだ無事である神殿の方へと駆けて行った。ディオである。
「ディオ!!」
無事を確認しほっとしたのも束の間、巨大な羽根の生えた犬型の魔物はさらに彼に向かって突撃しようと再び滑空する。
「リヴァ!! 今のうちに行け!!」
自分たちと合流するより魔物の気を引いた方が早いと判断したのか、ディオは剣を抜き魔物と対峙する構えを取った。
「行けと言われましても……」
橋はすでに壊れ、神殿へと入る道などそこ意外見当たらなかったのだ。周りは湖に囲まれ、深さもかなりありそうだ。
「リヴァイア殿、こっちだ」
ダグラがリヴァイアの腕を引く。どうやら他に道があるらしい。リヴァイアは一度ディオの方を見、そしてすぐにダグラの後に続いた。ディオの力量ならきっとあの程度の魔物に後れを取るはずなどない、そう信じたのだ。
自分を信頼してくれたのか、先を急ぐリヴァイアを確認してディオは嬉しさのあまり笑みがこぼれた。
「リヴァの奴、ようやく少しはオレの力を信じる気になったかぁ? 護衛兵士として少しは成長できたって事かな」
目の前に迫って来た犬型の魔物に向かって、笑んだまま握った剣を一閃する。魔物は殺気を感知したのかすぐに旋回して避け再び襲い掛かったが、ディオにはその動きもしっかりと見えていた。地を蹴って駆け、攻撃する隙すら与えず斬り飛ばした。ドシャリと大きな音が響いたかと思えば、一瞬のうちに静寂が訪れる。
「さ、て……帰り道は崩れちまったけどリヴァ達が何処かへ行ったってことは他にも入り口があるって事、だよな。だったら迷う事はねーぜ」
ディオは崩れた橋に背を向け神殿の中へと進もうとする。ふと、足元に小さな塊が居る事に気が付いた。
「キュ」
「あ? レコじゃねーか!? 何だよ、お前も来ちまったのか!?」
ディオはレコを抱き上げると、肩の上に乗せた。ここに放っておくわけにはいかないと思ったからだ。
「まぁいいや。リヴァも中に行っちまった事だし、一緒に行こうぜ」
そのまま神殿の入り口に足を踏み入れる。中で合流するつもりだった。そう、だったのだ。
大きな扉をくぐり中へと一歩足を踏み入れた途端、その足は地を踏むことなく空へと飲み込まれた。
「へ……?」
ディオの口から間抜けな声が漏れる。レコも良く分からないままディオに掴まれ、お互い予想もしていなかった出来事に体勢を立て直すことなど出来るわけもなく……。ディオはレコと共に穴の中へと落下していった。
その頃リヴァイア達は神殿を囲むように作られた湖を迂回してしばらく歩き、一部分だけ神殿の方へと伸びている道を進んでいた。その道の先は湖の中へと沈んでいたが、ダグラは躊躇せずに歩いていこうとする。
「ダグラ陛下!? まさか、神殿まで泳ぐつもりでは……」
どう見ても湖の中へと入って行きそうな勢いのダグラに、戸惑いながらもそう声をかけるしかなかったリヴァイアである。ダグラがあっはっはと大声をあげて笑った。
「別におれはそれでもいいんだけどよぉ。残念ながら種と仕掛けがあるんだよな」
言うなり水に入る手前まで歩いていき、足を止めるといきなりしゃがみこんだ。よく見てみれば、ダグラが膝をついたすぐ横に古びた小さな……知らなければ気づかないほどに小さなレバーがある。それを引いた途端、地鳴りと共に水が引き神殿へと続く道が現れた。
「ここはエストランジュが危機にさらされた時の避難場所の一つでもあるからよぉ、あちらこちらに仕掛けが施してあるんだ。おれが解除しなきゃ敵としてみなされ色々仕掛けが発動すっから気を付けろよ」
ダグラの言葉にリヴァイアは一瞬固まる。
「それは……ディオを置いて来てしまっても良ろしかったのでしょうか?」
「……………………」
質問には押し黙るダグラである。少し考えぽりぽりと頬をかき、そして口を開いた。
「ま、まぁその~、あれだ、あの青年ならまぁ素早いし大丈夫だろ」
歯切れの悪いダグラの言葉にリヴァイアは呆れるしかなかった。ため息をつき肩をすくめる。
「ディオの事は置いておくとして……ファンを攫った彼女がここに居るという事は、あの方はエストランジュの関係者なのでしょうか……?」
ダグラが解除しなければ作動してしまう仕掛けのある神殿に、そう易々と入れないだろうと考えたリヴァイアの言葉である。関係者でなければ入れないだろうと踏んだのだ。
「いや、おれの知る限りではおれ以外この神殿の仕掛けを解除出来る奴なんて知らねーな。先王時代の頃は知らねーけどよ」
「先王時代……ですか」
リヴァイアは顎に手を当て少し黙考する。ファンを攫った彼女はどう見てもサラと同じ年の頃だった。魔術を使っていたのならば彼女は魔術師だろうか? だが、リヴァイアはレリアで彼女を見たことなどなかったのだ。
「考えていても仕方ありませんよね……」
いつまで経っても答えの出ない思考をいったん区切り、ダグラに先へ行けと促した。ダグラも黙ってうなずくと神殿の方へと歩を進める。
「なぁ、リヴァイア殿。アンタは何でおれを……世界を救おうとしてんだ? まさか正義のヒーロー気取りじゃねぇんだろ?」
「え……」
神殿に入りしばらく続く静寂の中、突然ダグラが質問を投げかけてきた。その問いにリヴァイアは固まる。
「奴らはおれを殺そうとしてる。そして大陸を、世界を破滅させようとしてる。……そうだったよな?」
「……はい、僕の夢からすれば恐らく」
「けどアンタにとっては世界も……国もおれもそこまで大事に感じてないように思えるんだよな。家族も居ないって言ってたしよぉ。俺の寝首を掻いて奴らに献上した方が楽にあの赤毛の兄ちゃんを助けられたんじゃねーのかと思ってな。なのにどうしておれを……世界を救おうとしてんだ?」
「それは……」
その問いには答えを出すことが出来ず押し黙る。確かに世界を大事だと感じた事など今までなかったし、だからこそ行動して来なかったのだ。何故と問われれば答えることなど出来なかったが、今正直な気持ちだけは伝えられる気がした。
「世界が……大切に思う彼らが生きる場所が、今さら大事になってきた。……それではダメでしょうか?」
リヴァイアの答えを聞いて、ダグラがポリポリと後頭部を掻く。
「いや、悪くねぇな」
ニカッと笑った後、リヴァイアに背を向け先に歩き出した。
「おれはよぉ、元々王族として……次期王として生まれたんだ。だから何の苦労もなく王になるもんだとばかり思ってた。だが親父は親戚のクソジジイに殺されちまった。っと、アンタはその辺り知ってるよな」
「ええ……」
返事はしたものの言葉を遮ることはせず、話の続きを待った。きっと何か思う事があったのだろうと感じたからだ。ダグラもそれが分かったのだろう、背を向けたまま言葉を続けた。
「高貴なオウジサマも貶められて一気に下民になるワケよ。そこで出会ったのがおれの妻だ」
振り返ってニヤリと笑い、左の薬指にはめられた指輪を見せてくる。
「あいつと…周りに居た奴らのおかげで親戚のクソジジイを打ち倒せたようなもんだ。だから礼に王妃にしてやった。特別な指輪を送ってな。あいつはいい女だったぜ、病気で死んじまったけどよ……。だからおれはエストランジュと……そこに暮らす民が好きなんだ。家族なんだよ」
ダグラにしては珍しく、昔を思い出してでもいるのか柔らかい笑みを浮かべている。そのままダグラはそっと自身の胸の辺りに触れ、感慨深げに呟いた。
「運命ってのは……面白ぇな」
「ダグラ陛下……」
「っかー! 真面目な話ししたら痒くなってきたぜ! とっとと赤毛の兄ちゃん取り戻しに行くぞ。お礼の一発でも貰わなきゃ割に合わねーからな」
そのまま奥にあった扉を開け進んでいく。普段のダグラらしいセリフに呆れてため息をつき、リヴァイアも後に続いた。
そこから三つほど仕掛けを解き四つほど扉をくぐったところで、ようやく開けた場所に出た。真っ白な部屋、天井は三階分程突き抜けた遥か彼方に見え、装飾品などは一切なく青い柱が四本角にあるだけだ。通路は自分達が入ってきた場所以外には奥に一つあり、二階程の高さにもそれぞれ出入り口がある。どうやってそこを利用するのかは不明だが、何か仕掛けがあるのかもしれない。だがそれよりも別の事でリヴァイアは目を見開く。いや、正確にはそこにあるものを見て……だ。何しろそこにあったのは巨大な……。
「黒い……水晶……!?」
そう、リヴァイアの身長の二倍ほどはありそうな黒水晶が、部屋の中央にそびえ立っていたのだ。リヴァイアの脳裏に洞窟で対峙した竜の言葉が思い出される。竜は確かこう言っていた。
『お前が黒水晶を壊したのか……? 黒い海に呑まれるぞ……』
と。つまりあの世界破滅の夢とこの黒い水晶は何か関わりがあるかもしれないという事だ。ともすれば、ここに居るのは危険ではないかと察した。
「ダグラ陛下、ここはさっさと抜けましょ……」
「ぐあっ!?」
リヴァイアが振り向いて声をかけるのと、ダグラの呻き声、爆発音と閃光が奔るのは同時だった。リヴァイアの足元に爆発の衝撃で倒れたダグラが転がる。意識が飛んだのか、動かないダグラに駆け寄ろうとしたが、その左肩に刺さった青い羽根の矢を見てリヴァイアは愕然とした。それは間違いなくファンが所持していた青い矢だったからだ。
「どう……して」
「チッ。さすがに素早いな。極力殺気は消したつもりだったが」
そう言いつつ自分たちが入って来た扉から姿を見せたのは紛れもない、いや声だけでも分かる、彼は……間違いなくファンドリガ=スリュー。攫われていたはずのファンだった。
「ファン!? どうして……!?」
「私達と居た方が目的を果たせる。そう理解したからよ。ダグラ=バーン、リヴァイア=ディストランタ、ここまでの案内感謝するわ」
リヴァイアの質問に答えたのはファンではなく、彼の背後から姿を現した……現状の事態を引き起こした張本人、水色の髪をした少女エリンだ。案内とはもしや、自分たちに仕掛けを解かせるためここに呼び出したという事だろうか。そうは考えたが、それよりもリヴァイアはファンの方が気になった。どうしてそちら側に居るのか、その理由を本人の口からどうしても聞きたかったのだ。
「貴方の目的とは何ですか?」
「俺の目的を話した所でアンタに理解できるとは思えねーけどな。……サラはどうした?」
一瞬操られているのではとも思ったが、ファンの問い返しにそうではないと思い知る。リヴァイアの中で小さな希望が打ち砕かれ、更にはその問いの内容にも答えることが出来ずうつむいた。サラは自分をかばって命を落とし……いや、命を危険に晒したのだ。
「あの子は本当の意味で死んだわ。私のトモダチが教えてくれたもの」
「な……!?」
「ち、違います!! サラはっ……!」
慌てて否定するリヴァイアの胸ぐらを素早く近づいたファンが左手で掴み上げる。何事かと思う前にリヴァイアの頬に熱が走った。殴られたのだと理解した時には床に手をつき呆然ファンを見上げている状態だった。カラカラと床を滑る眼鏡の音だけが響く。
「ファン……」
「今の言葉は、本当か?」
ファンの質問に答えられる訳などなかった。それは事実だったからだ。黙ったままのリヴァイアを見てファンも察したのだろう、表情を歪ませリヴァイアに近づいて来た。
「あいつはッ!!」
怒りのままに再びリヴァイアの胸ぐらを掴み上げると、二度三度と殴りつける。リヴァイアが血を吐いても気にせず、さらにその頬に拳を叩きつけた。
「あいつはガジュルで、俺をかばって死んだんだッ! 元々は剣を持ち上げることすらできない、ただの元気が取り柄だけの普通の女だった。俺はッ……」
息を切らせながらもさらに殴りつけてくる。だがリヴァイアは抵抗しなかった。出来る訳などなかった。彼女に二度目の死を与えてしまったのは自分だったのだから。
「俺はただあいつに普通の女として……今を過ごして欲しかっただけなんだよ……。あいつの願いを叶えた後はただ静かに暮らせればそれで良かった、それで良かったんだ……」
平和でつまらない、ただ過ぎ去るだけの日常で……とかすれた声で続ける。それと同時に幾度目かの拳が振り上げられた。リヴァイアは静かに目を閉じる。ファンの気が済むまで殴られる覚悟を決めたのだ。
だがいつまで経っても来ない衝撃に、リヴァイアは薄く目を開けた。
「おいおい、それ以上殴ったらこいつが死んじまうだろが」
ダグラの声だ。どうやら目を覚ましたらしい。目を開けて見上げれば、左腕をだらりと垂れ下がらせたまま右手一本でファンを止めていた。
「ダグラ陛下」
「アンタはおれの国を、家族を救う希望だ。つまりおれはアンタをここで見捨てねぇ。言ってる意味は分かるな? おれが戻らなかったら、イリスがどうするかも」
ファンの腕を掴んだまま、視線はリヴァイアを捉えている。ダグラが自分を見捨てないという意味はすぐに理解できた。つまりダグラは自分より先にリヴァイアを死なせないと言っているのだ。もしダグラを死なせてしまえば、イリスは間違いなくサラを見捨てるだろう。リヴァイアはダグラの視線を受け止めてうなずき、立ち上がってファンを見た。ダグラのおかげで思い出したのだ。
まだサラには希望がある、それをファンに伝えていなかったという事を。それを伝えるため、リヴァイアはファンを真っ直ぐ見据えたまま口を開いた。