黒水晶の章 第10話
揺れる視界の端に、イリスがトルドーに止めを刺しこちらに駆けて来てくれるのが映った。彼も苦戦したのか傷だらけだったが、自身より先に治癒術を使ってくれる。もう大丈夫だとリヴァイアは吐息を漏らした。
その後二体を仕留めてきたのであろうダグラも参戦し、ディオの手助けをして全てのトルドーも動かなくなった。
安心したおかげもあり暫くすると、リヴァイアの吐き気も治まり脳内の揺れもなくなってきた。だがそんなリヴァイアに向かってイリスは小さく首を横に振る。
「リヴァちゃん。この子……サラちゃん、だっけ? ごめん、オレには治せない」
信じられないイリスの言葉にリヴァイアは何故!? と掴みかかる。例え致命傷でも傷を受けてからそう時間は経っていなかったはずだ。ディオの腕ですら治せたイリスに出来ない訳がないと思ったのだ。
「残念だけど、死んでる子に回復術は効かない。……違う、死んでいた、が正しいかな。どういう仕組みで意思を持って動いているのかは分からないけど彼女の体は生きていないよ」
「な……」
絶句するしかなかった。サラが死んでいる? しかも今の傷ではなくすでに死体であったと言っているのだ。とてもじゃないが信じられなくて、リヴァイアはサラに回復術を施した。
「なぜ……!? どうして効かないのですか!?」
よく考えてみれば、サラは一度も回復術を受けようとしなかった。ファンも必ずサラが傷を負わないよう振る舞っていたと、今さらながらに思い出す。それでも納得がいかず混乱するリヴァイアに、ディオが背後から声をかけた。
「もしかして……サラりんが言ってたことと関係あんのかな……。彼女の時が止められてるって……」
「え……」
ディオがそっとサラの首から下げられていたペンダントを取り出す。イリスが物珍しげにそれを眺めた。
「サラりん言ってたんだ。自分とファン兄さんの体には時を止める魔術が施されてるって。その魔力を補ってるのがこのペンダントなんだ、ってさ」
「……魔具、だね。それ」
「それではファンも……?」
そこまで考えて首を横に振った。
「いえ、そんなはずはありません。僕はファンに回復術を施しました。ファンには回復術が効いていたのです」
「どういう事かは分からないけど、話をまとめると彼女は死んだ直後の状態で、そのファンって人は死ぬ直前で時が止められたって訳かな」
「死……。全滅……、ガジュル……」
リヴァイアの中で、恐怖で震えていたサラの事が思い出される。家族も友達も目の前で殺されたのだと言っていた。もしかしたら彼女は自分が死ぬ瞬間すら覚えていたのだろうか? 考えただけで辛くてリヴァイアは自身の腕を掴んで唇を噛んだ。
「……だから……。時が止められ未来がないから、見えなかったのですね……。僕は何も知らずにサラの過去を聞き出そうとしていたっ……!」
リヴァイアの胸中を後悔の色が染め上げる。とても恐ろしい事をさせようとしてしまったのだ。目の前で大切な人を殺され、自分の命すら奪われたサラの気持ちが重くのしかかる。なぜか自然と頭の中に、レクイエムの歌が思い浮かんだ。
私は願おう
あなたが安らかに眠れる事を
あなたは私の心の中で生きている
この心の中に居てくれるから
あなたの生きた地
守り続けていこう
悲しみは胸の奥に
この歌をささげよう―――
彼女は初めこの歌を聞いて言っていたのだ。悲しみなど……死者の事など忘れて笑っていて欲しいと。あれは彼女自身が伝えたかった事なのか……。考えるだけで苦しくなってきた。
「リヴァちゃん、もしかしたら彼女救えるかもしれないよ」
突然のイリスの言葉にリヴァイアは驚いてそちらを見た。
「あ~、救えるってのは変かな。もう死んでるわけだし。でも意識を取り戻してくれる可能性があるかもしれない」
「な、どうすれば!?」
驚きと期待とで混乱しながらもイリスに詰め寄る。イリスはサラのペンダントに触れながら少し考え、口を開いた。
「この魔具、魔力を補ってるだけじゃない。ここに込められた力を流してみるから見てて」
イリスが指差した先には少し砂をかぶったただの瓦礫がある。そこにペンダントを近づけ、指で少し砂利を移動して跡をつけた。その砂利が微妙にだが元の場所に戻ろうと移動している。
「時が……戻っている……のですか?」
「みたいだね。本当に微々たるものだけど。このスピードじゃ彼女の体を完全に元に戻す前にこのペンダントに込められた魔力が尽きてしまうだろうけど、彼女の体が先に全快すれば戻った時で意識を取り戻すんじゃないかな」
そこまで聞いてイリスの言わんとしている事がリヴァイアにも分かった。
「五大魔術師、死霊使いサフィア……」
確かに彼女なら死者の細胞を再構築することもできるだろう。会うのは果てしなく嫌ではあるが、サラの為なら仕方ない。どのみちエストランジュ国を救うにも彼女の力を借りなければならないのだ。会わずに済ます事は出来ないだろう。
「しかし……サフィアの住居は砂漠の向こう、オードリア共和国の東端ですよ? 十回日が沈むまでに水刃の神殿に行かなければファンが……」
リヴァイアの渋い顔に、イリスが表情を崩し答えてきた。
「ん~このペンダントがあれば彼女の体が腐る事もないんじゃないかにゃ~。ペンダント自体の魔力が無くなると危険だから常に込め直さなきゃいけないだろうけど~」
イリスがこの口調の時はとてつもなく嫌な予感がするリヴァイアである。この後は必ずとんでもない事を言い出すのは目に見えていた。
「聞くのはかなり心苦しいのですが……どうするつもりですか?」
「オレはあの地下に戻るからぁ~、陛下とディオ君と三人で行ってきて? だぁ~いじょうぶ~、オレがちゃ~んとこのペンダントに魔力込めておいてあげるよ~」
やはりそう来たか、である。ダグラ陛下の未来を見たことによってイリスも安心したのだろう。どうせリヴァイアが十日後の未来まで見ていたことは、既にお見通しなのだ。こうなったイリスを引き止めることなど誰一人出来るわけがなかった。リヴァイアは渋々うなずく。
「もしサラに何かあれば、僕が許しませんから」
「何? リヴァちゃんってばもう彼氏気取りぃ~? かーわいー」
「誰がですか!!」
真っ赤になって否定すればするほどイリスの罠にはまっていく。いったん冷静になろうと大きく息を吐いてサラの方を見た。
彼女はペンダントを取り戻そうと傷を負えない体でまで竜と戦ったのだ。生きたいと願っている。ならば必ず救わなければ……とリヴァイアは固く拳を握った。
「おう、どうでもいいけどよ。いい加減おれの傷も治して欲しいんだが?」
イリスと話がまとまった辺りでダグラがここぞとばかりに割って入ってきた。二人の魔術師は今思い出したと言わんばかりに顔を見合わせる。直後、同時に噴き出した。
「申し訳ありません、忘れていました」
「ああン!? マジかよ!?」
「そんな傷、陛下なら唾付けときゃ治るでしょ」
「あ? テメェの唾は雑菌まみれだからいらねーよ。どうせ舐められるなら可愛こちゃんに舐めてもらうっての」
冗談とも本気とも取れない口調でそう言うダグラに、イリスはわざと痛めつけるように足を取り恐らくトルドーの爪でやられたのだろう、抉られていた太ももや左腕に治癒術を施した。リヴァイアも呆然とサラを見つめていたディオの手を取り回復術を唱える。
「リヴァ、サラりんは……」
「イリスに任せましょう。まずはファンを助けなければ、サラが目覚めた時に合わせる顔がありません」
リヴァイアの言葉にディオがようやくそうだな、と呟いて笑う。
「さぁて面倒事も押しつけたし、オレは地下に戻って寝るかにゃー。シバニンにスープ運んでもらおっと~」
サラを抱き上げ立ち上がったイリスの言葉を聞いて果てしない不安がさらに膨れ上がったが、今は任せるしかないとリヴァイアも立ち上がった。
「イリス、頼みましたよっ……!」
イリスは無言で背を向けたまま器用に手を振って町の外へと出て行く。ダグラとディオも見送るように立ち上がって近づいて来た。
「っは~。ようやくこうるせぇジジイが居なくなったぜ。これでおれも自由ってわけだな」
「残念ですが小うるさいジジイでしたらここにも居ますのであしからず」
リヴァイアの言葉にがっくり肩を落とすダグラである。ぼりぼりと後頭部を掻きながら、しょうがねーなと歩き出した。
「水刃の神殿の後はオードリア、ですね……」
ダグラとディオ、三人で街道を歩きながらリヴァイアはふと同じ五大魔術師サフィアの事を思い出し胃が痛くなる。ディオが聞き慣れた地名に即座に反応した。
「オードリアかぁ。母さんたち元気でやってっかな……」
「ん? なんだ、青年はオードリア出身なのか?」
ダグラの質問にニカッとディオが笑って返す。
「ああ、うち兄弟が多くて貧乏なんっすよ。なもんで護衛兵士として稼いだ金は必要分だけ抜いて全部送ってんです。リヴァのおかげでクビになった時はマジでヤバかったんすけどね」
「僕のせいではないでしょう」
呆れ半分の口調で責めるように睨みつけるリヴァイアの視線を受けて肩をすくめるディオである。
「苦労人かぁ。いいねぇ。リヴァイア殿はさすがに家族は死んでんだよな? 子孫とか居るのか?」
「……いえ」
ダグラの質問に急に表情を曇らせる。家族などというものは知らないのだ。
「僕は、レリアに捨てられていたそうですから……」
リヴァイアの言葉にダグラはすまないと眉を寄せ、それ以上聞く事はなかった。
だがリヴァイアは脳内で今の質問を反芻する。家族……か。あえて言うなら拾ってくれたレリアの天主様が親なのだ。だが物心ついた頃には力を認められ、すでに勉強を強いられていた。だから家族の愛というものは知らないのである。うつむくリヴァイアの懐からレコがちょこんと顔をのぞかせ、何かを感じ取ったのか左肩の定位置まで来ると頬をペロペロと舐めだした。
「そうだね。君はずっと一緒に居てくれてる家族だよね」
思い出せば、レコは自分が物心ついたときにはすでにそばに居てくれたのだ。レコの励ましに嬉しくなり顎の下を撫でる。気持ちよさそうに目を細めキュウキュウと鳴いた。
「安心しろよ! 俺もリヴァの家族になってやるぜ?」
「お! 告白かぁ?」
「お断りします」
遠慮もなしに肩を抱いて来るディオの手を叩き落とし、即座に拒絶するリヴァイアである。ディオが何でだよ!? と詰め寄って来たせいでさらに足を踏む。
「いってぇ~。リヴァ……最近物理的に攻撃しすぎ……」
踏まれた足を撫でさするディオを見下ろし口元に笑みを張り付ける。
「魔術を効かなくしてしまいましたからね。諦めてください」
「お、おう……」
何故かしどろもどろになるディオにダグラが割って入ってきた。
「まぁまぁ、お手柔らかにしてやれよ? 一応生きてんだからよ」
「一応っすか……」
何を言っても無駄だと判断したディオは肩を落としとぼとぼと歩き出した。それも束の間、すぐにバカオに戻るわけだが。
「お、おお? なんか青い建物が見えてきた!?」
街道を歩き続け、暫くすると湖の中央に荘厳と建つ真っ青な建物が見えてきた。あれが水刃の神殿だろう。
「すっげー! めちゃくちゃ綺麗だな!!」
ディオが真っ先に神殿へと繋がっている橋の上を駆けていく。
「ディオ! 勝手な行動はっ……!」
「青年!! 上だ!!」
リヴァイアが止めるより先にダグラが叫んだ。上空に羽の生えた犬型の魔物が居る。いつも見るものより数十倍は大きい。その魔物がディオのいる橋めがけて急降下した。
「ディオーーーーー!!!!」
衝撃でメキリ、とディオが居る場所の橋が折れた。