歌の章 第2話
魔法都市レリアは世界各国から魔術の素質を認められ、魔術師になりたいと望んだ者たちが魔術を学びに来る場所だ。
元々はガルベイル公国の一部であったが、今は完全に独立し一つの国として成り立っている。その国の大きさは徐々に拡大し、今ではガルベイルと大して変わらない程までになっていた。それもこれも、今まで築きあげてきた偉大な魔術師たちの功績であるのだ。
そのレリアの中央には城のように大きな神殿があり、そこには国の政治を担う天主とその天主を支える司祭、彼らを守る護衛兵達そしてさらに名を馳せた魔術師たちが住んでいた。その神殿から十字に走るように大通りがあり、その北側には魔術師見習いたちが魔術を学ぶためのシャリス魔法学校、南側には魔道具や魔石を売り買いするアサ―ル市場、東側には神殿と同等程度の大きな古びた書庫があり、ガルベイルと隣り合っている西側には魔術師以外の人たちも住んでいる一般居住区が立ち並んでいる。
ガルベイルからようやく帰国したリヴァイアは仕事の報告を済まして、自分の部屋へ帰宅するため一直線に中央にある神殿へと向かった。彼も例外なくその神殿に住んでいるのだ。
その神殿に着いてすぐの入り口で、リヴァイアはウザ男の襲撃にあうのである。
「リヴァ!! やっぱお前すげーな! マジでセシリアに新王が誕生したぜ!?」
護衛兵士の鎧をがっちゃがっちゃと言わせながら、それ以上に大きな声で叫んで近付いてくる男がいた。ユンがリヴァイアの背後でまた出たっ……と囁いたが、それはリヴァイアの心情でもある。鎧と兜を身につけていても誰だか分かるほど騒がしい、それがこの男なのだ。
「ディオ、キミは護衛兵士に必要な3つの”れい”を忘れたのですか? 冷厳、礼節、励行。冷静で厳しくあれ、礼儀をわきまえ節度を持って対しろ、決められた事は真面目に実行。今のキミには何一つ当てはまっていないように見えますが」
リヴァイアの厳しい態度にも、ディオと呼ばれた護衛兵士の男はあははと笑って返すだけだった。
「まあまあ、いいじゃん? リヴァぁ。褒めてんだし。ピリピリしてないで喜べって。リヴァって結構いい顔してんだし笑ったらモテるぞー?」
そう言うとディオは頭一つ分低いリヴァイアの左側について、兜ごしでも分かるように顔を覗き込んで肩を抱き、リヴァイアの細い顎を手袋をはめたままの指先で持ち上げた。
横の髪が肩までつきそうなほど長い右側とは違い、全体的に短くカットされている左側からだとリヴァイアの表情がよく見える。ディオはそれを無意識に理解してなのか、かなりの確率でリヴァイアの左側に着くのだ。
「ッ……!」
無言でキッと睨みつけるリヴァイアにもディオは臆していない。後ろでユンが無礼者ーっとわめいていたが、リヴァイアはそちらも無視して一つ嘆息すると、自分の顎を持ち上げているディオの手を払い目線だけでちらりとディオを見上げた。
「キミ、僕の左側好きですよね? 斜め上から僕を見下すのがそんなに楽しいですか?」
嫌みたっぷりに返すリヴァイアにディオは焦ったように返した。
「は!? いや、そうじゃねーよ! リヴァの偉大さを噛みしめてたトコなんだからさ!」
「それではキミは用もないのに仕事を放棄して、さらにはわざわざ僕を待ち伏せしてイラつかせている……とそういう訳ですか」
ディオは確か本日の自分の護衛を請け負っていたはずだった、という事を思い出しチクチクと言葉に棘を込めるリヴァイアである。二人の背後ではユンがおろおろとするだけだった。
「や……、仕事を放棄した訳じゃないんだけどさ……」
「ああ、また迷子ですか」
「ち、ちがッ……迷子ゆーな!! たまたまよそ見してたらいつの間にかリヴァ達がいなくなってて、それでうろうろしても見つからなくて、途方に暮れてたらイリス様に出会ったんだよ」
それを迷子と言うのだ……と言いたかったがあえて言わなかった。
「それでイリスに送ってもらった訳。お疲れ様」
リヴァイアは棒読みでそう言うと、ディオの腕からすり抜けて神殿の中へと歩き出した。ユンもあわてて後をついてくる。
「ちょ、待てって、リヴァ!! イリス様から伝言で、エストランジュ国に来てくれって言ってたんだよ!」
急いでリヴァイアの後を追ってきたディオが、ガッとリヴァイアの肩を掴んだ。イラついたリヴァイアがディオを見上げる。
「キミ、無意識に人をイラつかせる天才ですよね、ディオ。今まで気付かなかったとは、僕とした事がとんだ失態ですよ」
そこまで言うとリヴァイアはディオの手を払い、くるりと一回転して集中を始めた。それに気付いたディオが急にあわてだす。ユンは二人から距離をとって見学者を決めこむことにしたらしい。そのまま柱の陰に隠れた。
「ちょ、リヴァ!? こ、ここで魔術はっ……!」
「安心してください、少しお灸をすえるだけですから」
リヴァイアは極悪の笑みを浮かべると、歌うように詠唱を始めた。
「雲間に出し雷よ、かの地に連花を降らせ」
リヴァイアの周りにパチパチと電気のようなものが集まりだした。ローブが風で翻り、髪飾りがカタカタと音を奏でる。その音で目が覚めたのか、リヴァイアの懐から眠っていたはずのレコがぴょこんと飛び出してきた。
「僕の得物、インフィニティアロッドがここになくてよかったですね、ディオ。残念ながら集中力を高めるための魔導書もないのですよ。レコ、危ないからユンの元へ行ってて」
「キュ?」
「ディオと一緒に痺れたいのなら止めないよ?」
リヴァイアが極悪の笑顔のままそう言うと、レコはあわててユンの元へ駆け出した。ディオもそこから逃げようと思ったのか神殿の廊下を走りだした。
「遅いですよ! ライトニングスパーク!!」
「ぎゃああああっ……!」
逃げて行くディオの背中めがけて、無数の稲妻が火花をまきちらしながらバチバチと襲いかかる。かなりの衝撃だったのかディオはその場に倒れ込んだ。コロコロとかぶっていた兜が転がり、ディオの金髪があらわになる。それを確認したリヴァイアは満足そうな笑みを浮かべると、ディオの方へゆったりと近づき見下ろした。離れていたユンもレコを連れてリヴァイアの元へ駆け寄る。
レコがトトトッとリヴァイアの体を上り、左肩の上の定位置に着いた。
「肩こり腰痛解消の電流マッサージ。血液の流れもよくなるキミ専用の整体ですよ。大した魔力も使わないので、いつでもお越しくださいませ~」
冗談交じりに語尾を伸ばし倒れているディオを一瞥すると、そのまま彼を置いて歩き出した。
「ああッ! お待ちください! リヴァイア様ー!!」
ユンもあわててリヴァイアの後に続いた。倒れていたディオが、身じろぐ。
「リヴァ……痺れるぜ……。いや、マジで……。オレは……、お前と、この街を守る……護衛兵士……なんだ……ぜ……。ぐふっ……。」
それからディオは数時間ほどその場に放置されていたらしいが、正確な時間は本人すら知らない。
「イリスが僕に何の用なのかな……?」
「キュ?」
本日の報告を済まし、ユンと別れて自室に戻って来たリヴァイアは左肩の上に乗ったレコに話しかけた。レコは小さく首をかしげる。
イリスは数十年前からエストランジュ国付きになった魔術師である。治癒や解毒を得意とし、再生のイリスなどと呼ばれていた。そしてこの魔法都市レリアの5大魔術師の一人でもある。
「面倒ですね……。今日はもう疲れているし、明日でいいですか。用があるなら伝言などせず待っていればよかったものを……」
リヴァイアは一人ごちると、たくさんの魔導書が積まれた机に近付いた。そこにある椅子に腰をかけ、積まれた魔導書の中から一冊手に取るとパラパラとページをめくった。リヴァイアはそのまま考え事を始める。
「イリスがここに来たのと、あの夢は関係あるのでしょうか……」
国の大事に関わる事は夢に見る。エストランジュ国の内戦や、そのエストランジュ国の北西方向にあるセシリア王国の新王誕生も夢で見たのだ。イリスが予言をして夢を見たとは到底思えないが、ここに来たのも何か関係があるように思えてならないのはリヴァイアの予言の力のなせる技かもしれない。何しろ夢の内容は、エストランジュ国国王が関係しているようなのだ。
エストランジュ国国王の死、その流れる血が黒いものを動かし、そしてこのエルシニア大陸全土を巻き込む大戦争……。最後に残っていたのは一人たたずむ人と、黒い海だけだった。
リヴァイアはパタンと魔導書を閉じた。肩に乗っていたはずのレコは、いつの間に移動したのか積まれた魔導書と魔導書の隙間で丸くなって寝息を立てていた。
「運命は……変えられるのでしょうか……」
今まで予言はしていても未来を変えようと行動したことなどなかった。だが今回ばかりはこのままではこの大陸の破滅だ。放っておくわけにはいかないと夢を見たときから思っていた。
しかもしつこいほど何度も見ると言う事は、かなり大事の出来事なのだろう。
リヴァイアは一つため息をつくと、眠っているレコを抱えベッドの上へと移動した。
「運命を変える……。言うのは簡単ですが、どう行動したらいいのか分からなかったんですよね……」
エストランジュ国付きのイリスがこちらに赴いてきたのだ。会う意味はあるのだろう。
「しかし、気が重いのも確かなのですが……」
リヴァイアはイリスが苦手なのだ。彼はそのままベッドの中で色々頭を悩ませながら眠りに着いた。
「痛ぁぁぁぁッ! 噛むな! 引っ掻くなってばッ!!」
「プウップウゥゥゥゥゥッ!!」
神聖な神殿の一室で、毎朝恒例の悲鳴が響き渡る。悲鳴の元凶は、リヴァイアの鼻の頭に噛みついて、ぶんぶん振り回しても離れない小さな小さな飼い魔獣のレコだ。はがそうともがけばもがくほど、レコの歯や爪が顔に食い込み痛くて仕方がない。
リヴァイアは暴れるのをやめて、顔にレコをぶら下げながら小さな戸棚へ行き、中から箱と皿を取り出して皿の中にその中身を開けた。カラカラと固いものが当たる音と同時にレコはリヴァイアの顔から飛び離れると、すぐさまその皿の中に顔を突っ込んだ。部屋中にカリカリといい音が響き渡る。
「お腹がすいているならもっと可愛らしくお願いしてほしいよ……」
リヴァイアは痛む自分の顔に手を当てると、治癒術の詠唱を始めた。傷ついた顔中の傷がきれいに消えていく。リヴァイアが自身の顔を治癒している間にレコは皿の中身をぺロリと平らげると、ちょこちょことリヴァイアの左肩に乗りぺろぺろと頬を舐めた。
「……何? ご機嫌取りのつもり?」
リヴァイアは不機嫌そうにレコの鼻先をなでると、ベッドの横に置かれた自身の得物、インフィニティアロッドと机の上に置かれた魔導書を一冊手に取り部屋の出口へと向かった。
「僕のご機嫌をとりたいなら、エストランジュまで付き合ってもらうからね。」
レコを自身の肩からはがして胸元へ押し込むと、転送魔術を施して部屋を出た。人間を送る事は出来なくとも、これで小さなものなら持ち出したり置いたりできるようになるのだ。荷物は出来るだけ少なくしたいと考えたリヴァイアの作戦である。
「リヴァぁぁぁぁぁッ! どうしてくれるんだぁぁぁぁぁッ!!」
部屋を出てすぐ、リヴァイアは今日もウザ男に襲われた。もちろん昨日の金髪護衛兵士のディオだ。本日は鎧のみ着用している。リヴァイアはため息をつくとその場で足を止めた。リヴァイアの前で、ディオが急停止する。
「さっそく整体のお願いに来たのですか? ディオ」
「ちげー!! お前のせいで護衛兵士クビになったんだよ!! 魔術をくらって気を失うなど言語道断! なんて言われてよぉッ!」
「え? あれ、本気で気絶していたのですか?」
冗談ではなく真剣に驚いている様子のリヴァイアに、ディオはがっくりと肩を落とした。リヴァイアが驚くのも無理はない話なのだ。何しろ魔法都市レリアの魔術師や神殿を守護するための兵士である。それなりに魔術を防ぐ能力や、もしくは装備がなければなれない職業なのである。ましてやたかだか雷の下級術で気絶するなど、本当はあってはならない事なのだ。本当であれば。
「どぅせ……俺は運だけで成り上がった護衛兵士ですよぅ……。その運も今日で尽きたのさ……」
「うざ……」
ぶすぶすと腐っているディオを置いて、リヴァイアは歩き出した。これから気が重い旅立ちだというのに暗雲を落とさないでほしいとそう願うばかりだ。
「ちょ、勝手に行くなって、リヴァ! お前には責任とってもらうからな!!」
グイッと肩を掴まれ振り向かされた。ディオと目があった瞬間、ピシッとディオの近しい未来がリヴァイアの意思とは関係なく勝手に流れ込んできた。
「ウザイ……ですね!!」
言葉と同時に小さな衝撃がディオを襲った。魔術と言えるほどのものではなかったが、魔力増幅器のインフィニティアロッドを持っていたためか、ディオには十分な衝撃だった。ディオがその場にばたりと倒れる。リヴァイアは掴まれていた方の肩をパンパンと払うと、倒れたディオを置いて歩き出した。
「リヴァ……ぜってーあきらめねー……」
そしてディオは今日もその場に放置されていたのであった。
「気持ち悪い……」
しばらく平然そうに歩いていたリヴァイアだが、柱の陰を見つけるとそこに隠れ、その場にうずくまった。原因は先程の現象だ。時折自分の魔力が制御できずに勝手に暴走する時があるのだ。
他の魔術師はどんなにすごい力を持っていたとしても自分の力である以上制御できないことなどないというのに、リヴァイアには何故か時々こんな事が起こる。その時は決まって気分が悪くなるのだ。
「ディオ……。自分の非力さを棚に上げて僕を恨むなんて、お門違いも甚だしいですよね……」
気分を晴らそうと意味もない事をぼやくと、リヴァイアはひとつ身震いをした。リヴァイアの懐にいたレコがちょこんと顔をのぞかせる。
「大丈夫だよレコ。自分の魔力にのまれただけ。こんな事……他の魔術師にはないっていうのに……」
リヴァイアは目をつむって一つ深呼吸をすると、すっくと立ち上がった。インフィニティアロッドと魔導書を持つ手に力を込めると、神殿の出口へと向かった。