黒水晶の章 第9話
体中が痛い、いったい自分は何をしていたのだろう、そこまで考えてリヴァイアはがばっと体を起こした。そうだ、自分はイリスと戦い……そして負けたのだ。
「ディオ、サラ!!」
辺りをキョロキョロと見渡してみる。すでに日は暮れて周囲は闇色に呑まれているが、よく見てみればここは隠し通路があった小さな民家の中のようだ。自分の体の下には柔らかなシーツの感触があり、ベッドに寝かされていたのだと気づく。よく見てみれば反対側にも同じようなベッドがあり、そこにはサラが眠っていた。
「無事……だったんですね!」
ベッドから立ち上がってサラの状態を確認し、安堵と同時に湧き上がってきた申し訳なさが急激にリヴァイアを襲う。
「……勝てなかった……」
勝つつもりだった。勝ってファンを助け、ラブラ城奪還も手伝うつもりだったのだ。それなのに現状はどうだ。負けたうえにディオまで危険にさらし、サラの大切な人を助ける術すら失ってしまったのだ。
「僕がっ……守らなきゃいけなかったのにっ……! 何が五大魔術師だっ……。僕の力では大切な人を守る事すらできないっ……」
ユンの事、目の前で大切な人達を殺されたのだというサラの事、考えれば考えるほど苦しくなってくる。
「それでも……。僕はイリスの言葉を肯定する事など出来ませんっ……」
大切な人達が出来たからこそ気づけた事もあるのだ。作るべきじゃなかったとは、どうしても思えなかった。リヴァイアは少しの間考え、そして覚悟を決めた。
たとえエストランジュ国王に逆らった反逆罪で罰せられようと責められようと構わない。
今度はゆっくり辺りを見回し、自分が寝ていたベッドの横に立てかけてあったインフィニティアロッドを確認して手に取る。そのまま入り口に向かって歩き出した。
「ン……?」
背後でサラの身じろぐ声がした。リヴァイアは一瞬戸惑ったが、すぐに駆け寄っていく。
「リヴァ……? ごめん、私気を失っちゃってたみたい。勝負……勝てた?」
疑う事のない視線で見つめられ、リヴァイアは下唇を噛む。
「……申し訳……ありませんっ……!」
うつむいたまま、ただそれだけしか言えなかった。何かが喉を塞ぎ言葉を紡いではくれなかったのだ。
「うそ……でしょ? ねぇリヴァ!! 嘘なのよね!?」
サラはベッドから降りリヴァイアの肩を掴むと、ガクガクとゆする。だがリヴァイアはただひたすら謝罪の言葉を述べるしかなかった。次第にサラの足の力が抜け、その場にへたり込む。
「嫌よ……兄さんまでそんなっ……」
「まだ……ファンは死んだわけではありませんっ……!」
リヴァイアは唇を噛んだまま強く拳を握りしめる。ぽたぽたと何かが滴る音がした。それがリヴァイアの握り込んだ拳から流れている血だと気づいたサラはそっと手に触れる。
「ごめん。私にリヴァを責める資格なんてないわよね」
「僕が……必ず助けますっ……!」
そのままサラに背を向け扉に向かう。リヴァイアの腕をとっさにサラが掴んだ。
「私も行くわ。そのつもりなんでしょ?」
「いけません!! 僕についてきたらキミまで罪人となってしまうっ……! ファンは必ず助けますからっ……だから……」
リヴァイアの言葉を止めるようにサラがその小さな身体を抱きしめた。
「守るべきものなんて……いらない?」
そこでハッと顔を上げる。否定しておきながら、自分で大切な者を遠ざけようとしていたのだ。守る自信がないから突き放すのだと、言ってしまっているも同然だった。
「僕は弱い……。今度こそ守れないかもしれない。それでも、いいのですか?」
「私は守られるだけなんて御免よ。もう大切な人を失うの見ているだけなんて嫌なの」
サラがリヴァイアより先に動き扉を開ける。振り向いてにっこりと笑った。
「私がリヴァを守ってあげるわ」
ふふっと声を漏らすサラの笑顔を見て、リヴァイアもようやく硬い表情を崩す。
「まったく……。どうなっても知りませんからね……!」
自身の手に治癒魔術をかけると、サラの手を取った。そのまま二人で外へと出て行く。
「ふふ、まるで愛の逃避行ね。……ディオ、大丈夫かな?」
しばらく街道を歩き小さな民家から離れると、サラがいたずらっぽくリヴァイアをからかい直後ぽそりと呟いた。リヴァイアは一瞬真っ赤になったものの、すぐ我に返り答える。
「イリスがラブラ城奪還の戦力だと言っていましたし、助ける以上は彼が自分で治せない傷など負わせるはずもありません。恐らく無事でしょう」
「そか、良かった」
ほっとした声を出すサラだったが、リヴァイアは道の先に居る人物を見て身体を強張らせ、足を止める。サラも何事かとそちらを見た。
「キュ! キュウゥ~~~!!!」
ちょこちょこと白い塊がこちらに駆けてくる。どう見てもレコだ。嬉しそうにリヴァイアの肩に上りペロペロと頬を舐め始めたが、リヴァイアは先に居る人物のおかげで構うどころではなかった。
「イリス……」
「あ~、ようやく来た~。待ちくたびれちゃったよ。そろそろ帰ろうかと思ってたとこ~」
戦いの事などなかったかのように近づいて来るイリスだったが、リヴァイアは身体を強張らせたまま動くことが出来なかった。今彼らに捕まってはファンを助けられなくなってしまうのだ。緊張の面持ちで固まるリヴァイアに、もう一人声をかけてきた。
「おう、こいつを引き止めんのがどんだけ大変だったか、アンタなら分かるだろ? リヴァイア殿」
「ダグラ陛下も!? なぜっ……」
「おれぁ始めからアンタらに付き合うつもりだったからな。けどイリスも口うるせーし、保身で残る程度の覚悟だったんなら諦めさせようと思ってた訳よ」
ダグラがニヤリと笑う。自分たちがイリスに負けることは既に分かっていたような口ぶりだ。しかも負けた後に、罪を背負うほどの覚悟でファン救出に向かうのかさえも試されたという訳か。
「性格の悪い方達ですね」
「おいおい、性格悪いのはイリスだけだぞ」
ダグラの言葉にイリスの表情が途端にゆがむ。大きく息を吐いて少し体をずらした。先には恥ずかしそうに切り落とされたはずの腕で頭を掻くディオの姿がある。
「ディオ!! 腕は!? 無事なのですか!?」
「ああ、わりぃ……。心配、かけた……」
見た限り嘘ではないと分かり、リヴァイアはほっと息を吐く。
「いえ、いいのです。後遺症もないようで安心しました」
「ああ。すぐにイリス様が対処してくれたからな。ってか、戦闘中からずっとイリス様の術も発動されてたぜ? だからオレは大丈夫だって言ったのによぉ」
イリスの術が発動されていた……? ついイリスの方を見る。
あの時隙だらけだったのはそのせいか。さすがのイリスもディオに回復術をかけながら攻撃術を使う余裕はなかったのだろう。イリスがわざとらしく肩をすくめた。
「君はまだ誰も信頼できてないんだよ。だから冷静さを欠いて必要以上に無駄な力まで使うんだ。本気で守りたいなら相手の力量を知って任せるトコは任せなきゃ、君の方が先に命を失う事になるよ」
大切な人を作るべきじゃない……言葉の裏にそんな意味が込められていたのかとリヴァイアは目を見開いた。言われてみれば確かに自分はサラやディオの力量を把握しているわけではないし、信頼して何かを任せるような事もしないだろう。イリスはそれを教えようとしてくれたのか。リヴァイアは眼鏡を押し上げようとしてない事に気付き、ため息をついた。
「貴方らしい荒っぽい授業ですね。言ってくださればいいものを」
「頭で理解するのと体感して理解するのとでは成長が全然違うでしょ。何事も経験だよ」
イリスから経験などという言葉を聞くとは思っておらず、リヴァイアは苦笑した。
「そうですね……。もう少し彼らの事を理解したいと思います」
「ま、そういう訳だから。そろそろ出発しようか~。ほいっ」
イリスはポケットからリヴァイアの眼鏡を取り出すと、投げてよこす。
「それがないとお子ちゃまに間違われちゃうもんね~、リヴァちゃん」
「な、誰が子供ですか!!」
ムッと眉を寄せ文句を言いつつも眼鏡をかけた。そのままサラとディオの方へと向き直る。
「行きましょうっ……!」
「ああ!」
「ええ!」
二人の返事を聞き、すぐに足を動かした。行き先は水刃の神殿、そこにある広間だ。ファンを攫った女性……確かエリンと言ったか。彼女の指定した十回日が沈むまでにはまだ余裕がある。たどり着くまでに何日かかかったとしても、まず遅れることはないだろう。
「そうだ、ダグラ陛下!」
しばらく歩いたとき、ふとディオが思い立ったようにダグラに声をかけた。その先は何故かリヴァイアの方をチラチラと見ながら言いづらそうにしている。
「ちょっと……いいっすか?」
「ああん? なんだ、おれに告白かぁ? そういやお礼も貰わなきゃだしなぁ」
にやにや笑うダグラにディオがたじろいだ。
「いや、そういう訳じゃなくて……」
またリヴァイアの方をチラチラと見ている。内容はとても気になるが、これ以上ここに居たら延々同じことの繰り返しだろうとリヴァイア自らその場を離れた。
「僕に言えない事なんて、いったい何をやらかしたんでしょうね。まったく」
イラつきながら、行くあてなどなくどんどん歩いていく。気が付けばいつからか、血の匂いが徐々に濃くなってきている気がした。
「なぜこんなに濃い血の香りが……。いえ、確かこの辺りには小さな町があったはず」
そこまで言ったところでハッと顔を上げた。
「! まさか町をっ……!?」
嫌な予感が膨れ上がってくる。近くにある町はエストランジュ領だ。城だけでなくもし町まで襲われているのだとしたら、このまま放っておくことはできないだろう。もしそこが落とされれば今逃げのびている人たちがまた危険にさらされる事になるのだ。思考を一旦中断し、すぐにダグラたちの元へと戻った。
「気づいた?」
辿り着いてすぐ、イリスが答えてくれる。尋ねるまでもなかったようだ。
「ええ。先程少し先見の力で見てみたのですが、魔物が五体居るようです」
「五体? だけ?」
「五体です。しかしあれは恐らくトルドー……」
リヴァイアの言葉にその場に居た全員の顔が険しくなる。
「マジかよ……」
ディオがぼそりと呟くのと、ダグラが走り出したのは同時だった。イリスが呆れた顔で後に続く。
「あの御方はっ……!」
「陛下!!」
イリスよりもさらに大きな声で珍しくもリヴァイアが引き止める。ダグラも何事かと一旦足を止めた。
「貴方の未来を確認させてください」
あまり人に対して先見の力を使うのは好きではないが、もし死の未来が見えるのならこのまま進ませるのは危険だ。有無を言わせずダグラの手を取り、力を発動した。
死の色は見えない。ほっと息をついてダグラを見上げる。何故かニヤニヤした顔と視線が合う。
「悪ぃなぁ、リヴァイア殿。アンタがいい年だってのは理解してるんだがよ、見た目子供じゃ犯罪っぽいじゃねーか。夜のお供はお断りさせてくれ」
「……何の話ですか」
見た目子供、の辺りで急に不機嫌になるリヴァイアである。サラが兄妹特有の笑いでぶくく、と口元を押さえていたのはあえて見ないふりをした。
しかし、死の色が見えなかった事には安心した。余計かとも思ったが十日後までの未来もこっそりと見ていたのだ。相変わらずファンとサラの事は見えなかったがダグラが殺されることはまずないだろう。
「急ぎましょう!」
リヴァイアの言葉に、予言を聞いたイリスも安心したのだろう、うなずいてダグラとともにすぐに駆けだした。
辿り着いた町は壮絶だった。五体のトルドーが好き放題に暴れまわり、家々は叩き潰され瓦礫が散乱し、その上にも下にもゴミの様に町人が転がっていた。
「くそ、おれが不甲斐ないばかりにっ……!」
ダグラは血まみれで倒れていたすでに事切れている町人に駆け寄り、膝をついてその手に触れると悔しそうに唇を噛んだ。怒りのまま立ち上がりスラリと剣を抜く。だが直後、すぐ冷静になり皆に指示を飛ばした。
「おれが二体を引き受ける。イリスで一体、リヴァイア殿達で二体、引き受けてくれるな?」
ちょうどいい力配分なのだろう、誰一人意見を出すことなくうなずいてすぐに駆けだす。ダグラが左側に居た二体に向かって行ったため、リヴァイア達は右側に居た二体に集中した。奥に居たトルドーにはイリスが迫っていく。
「一撃が重そうね。避けなきゃすぐ殺られちゃうだろうけど、スピードが速すぎて見切れないわ」
「そうだな、リヴァの詠唱時間を稼ぎつつ攪乱するしかねーか」
「イリスと戦った時のように突っ走らないでくださいよ」
リヴァイアにくぎを刺され苦笑いのディオである。すぐに自身の剣を引き抜き魔力を込めたが、珍しくも指示を待つ。
「今なら二体に距離があります。まずは手前に居る一体を仕留めましょう。サラが気を引き僕が防壁で守ります。ディオは背後に回り込んで腕に傷を負わせてください。そこに気を取られている間に僕がエアカッターで足に傷をつけます」
「そこを私が斬り落とすのね」
にこりと笑むサラにリヴァイアはうなずいた。サラの力なら間違いなく切断できるだろう。足を失えば動きを制限できる。魔術で仕留めるのも容易いはずだ。
「んじゃ、行くぜっ!!」
剣を握り直し、ディオが駆けて行く。リヴァイアもインフィニティアロッドを構えて集中を始めた。
「さぁ、来なさい!!」
サラは挑発するように一体のトルドーの前に躍り出ると、手始めにと斬りつけた。すぐに爪で弾き返され反対の手の爪が迫ってくる。
「速いっ!」
自己判断でとっさに後ろに飛んで避けたが、一歩間に合わず太ももを切り裂かれた。
「堅牢たる光壁よ、我が前に出でよ! セイクリッドウォール!!」
直後、爪を弾き飛ばすように光の壁がせり上がりサラを守る。のけ反った隙を狙ったディオが、回り込んでいたトルドーの背後から踊りかかった。
「思ったより硬いわ!! 倍力を込めて!!」
「うあああああ!!」
サラの叫びと同時にディオの剣の輝きが増す。斬り落とす勢いで剣を薙いだ。
「!! ウィンドランス!!」
リヴァイアの唱えた術にサラが疑問を抱き振り返る。確かエアカッターで傷をつけると言っていたはずだ。だがその疑問もすぐに打ち消された。もう一体のトルドーだ。ディオめがけて迫っていた爪を寸前の所で風の槍によって軌道をずらしていた。脇腹を切り裂かれたディオだったが、すぐに宙で一回転すると膝をつきながらも着地する。そのままもう一体の気を引くように駆けて行った。
「彼のスピードなら……大丈夫、ですよね。……天に集いし風よ、我が敵を切り裂け」
リヴァイアの詠唱を聞いてすぐにサラも地を蹴る。もう一体はディオに任せることにした。
「エアカッター!!」
「あああああ!!!」
リヴァイアの術がトルドーの左足を切り刻むと、そこにサラの留めの一撃が加えられる。支えを失ったトルドーがその場にくず折れる。
「二つの堅き絆よ、赤き炎で包み込め。 シェルファイア」
隙を与えずすぐに体ごと焼き尽くす。だがその後の経過を見ている暇はない。すぐにディオの援護に向かった。サラも同時に駆け出しついて来る。
「がっ!!」
「ディオ!! く、ヒーリングライトッ」
ちょうど辿り着いた時、鋭い爪で切り裂かれていたディオをすぐに癒す。遅かったら危なかっただろう。
「サンキュー!!」
ディオの礼を聞いて駆けて行く背中を見ながら、だが急にリヴァイアの脳内がぐらりと揺れた。
「……え?」
まさかこんな時に、と揺れる視界で辺りを見る。まだ駄目だ、今魔力に呑まれては二人が危険にさらされてしまう。そうは思っても揺れる視界を戻すことなど出来るわけもなく、急激な吐き気に襲われた。
「はあぁ!!」
サラがトルドーに斬りかかっている。ディオが補助するようにトルドーの前に躍り出て攪乱していた。そのトルドーの目が、何故かリヴァイアを捉える。
「リヴァ!! させない!!」
駄目だ、これ以上自分の為に傷つかないでと祈りながら、だが思いを裏切るように、揺れる視界がその光景を映し出す。
「あうっ……」
サラの腹部から、トルドーの爪が突き出ているように見えるのは幻だろうか……?
「イリスーッ!!」
揺れる視界で、そう叫ぶことしかできなかった。




