黒水晶の章 第6話
「エストランジュ城が……落ちた!?」
息を切らせてやって来た兵士からの知らせを聞いたリヴァイアは素っ頓狂な声をあげた。ファンを追いたい気持ちを押さえ、北門を気が気じゃないまま守っていた無意味さももちろんあったが、それ以上に驚いたのはまさかあのエストランジュが……という思いからだ。
「そんな……バカな……」
エストランジュは不落。そうとまで言われるほど守りは堅固で国王ダグラから紡がれる戦略は緻密だ。それを行う戦力も兼ね備えている。今の今まで誰一人としてエストランジュが落ちるなどと考えた者はいなかっただろう。リヴァイアですらそうだったのだ。だからこそ変な声が出た。
「は。魔物が城内まで進入し中に居た者は皆っ……!」
この兵士も城内に大切な人が居たのか、声を震わせながら唇をかみしめつつうつむいて報告を続けた。リヴァイアも顎に手を当て考え込む。
北門の魔物が少なくなって来ていたのはそのためだったんだろう。城を落とせば帰る場所を無くした兵士達は士気を失う。もう攻める必要などなくなるのだ。
そんな事にも気づかなかった自分に今さらながらに腹が立ってきた。
「どうしたの? 全部倒した?」
最後の魔物に止めを刺したサラが軽い足取りでリヴァイアの方へと歩み寄った。サラももちろん負けるなどとは考えていなかったんだろう、リヴァイアが今の兵士の報告をそのまま告げると顔がみるみる怒りで紅潮した。そのまま正門へ向かって駆け出そうとするサラの腕を、リヴァイアが慌てて引き止める。
「放して!! ダグラ陛下を助けなきゃ!! あの人がいなきゃ兄さんがっ……!!」
「今行って何になるというんですか!? 城が落ちるほどの魔物ですよ!? もう……手遅れの可能性が高い……」
リヴァイアも唇を噛んでうつむいた。到底ダグラが無事とは思えなかった。
「いや……、嫌よ。だって兄さんはどうなるの!? ダグラ陛下を水刃の神殿へ連れて行かなかったら……このままじゃ兄さんがっ……!」
殺されちゃう、と小さく呟いてそのままくずおれた。いつもは気丈に振る舞っているサラが珍しくカタカタと肩を震わせている。それを見たリヴァイアはたまらず地面に膝をついてサラの体を抱き寄せた。
「リヴァっ……! 私、もう誰も失いたくないっ……」
涙をこらえてでもいるんだろう、サラはそれを見られまいとしてリヴァイアの顔を自身の体に押し付けただ震えていた。
「サラ……僕がどうにかします……! しますから……」
大切な者を失う辛さは昔ならいざ知らず、今の自分にならば良く分かる。
ファン自身が人質になっている以上どうにかできる気などしなかったが、気休めでもそう言ってあげたかった。それで少しでもサラの苦しみが弱まるのなら何でもしようと思った。
リヴァイアの言葉を聞いて何かのタガが外れたんだろう、サラはリヴァイアの肩に顔をうずめると、小さな嗚咽をもらしだした。
……どれ程そうしていただろう、リヴァイアのローブの肩の辺りがじんわりと暖かく湿ってきた頃、ようやくサラが頭を起こしぼそりと呟いた。
「ごめん、鼻水付いちゃった」
リヴァイアは苦笑しつつサラの背に回していた手をほどく。
「構いませんよ、洗えば済みますから」
サラの頬がほんのり紅潮している。それを隠すように頻繁に目元をこしこしと擦っていた。そんな中……。
「……ぷぎゅう……」
リヴァイアの懐から苦しそうな声を漏らしながらレコが出てきた。どうやら二人に押しつぶされていたらしい。ヨロヨロとリヴァイアの左肩に移動しようとしていた所をサラがひょいとさらっていく。
「きゅ!?」
サラはレコに頬ずりしつつ、リヴァイアをちらちら横目で見ながらレコに話しかけた。
「やっぱりリヴァも男なのね。いきなり胸に顔押しつけてくるんだもん、びっくりしちゃった」
「はッ!?」
サラの突然の言葉に裏返った声が出る。何を言っているんだと、訳も分からずわたわたと慌てた。
「リヴァのスケベ」
半眼になってリヴァイアを見るサラに、リヴァイアの方もむきになって言い返す。
「ど、ど、どうしてそうなるんですかッ!? 僕はただキミをっ……!」
慌てれば慌てるほど浮気現場を発見された夫のように挙動不審になるリヴァイアである。それを見たサラがアハハッと声をあげて笑った。
「リヴァってばカワイイっ」
「失礼な!!」
サラが抱いていたレコを奪い返して立ち上がると、少し向こうでどうするべきか悩んでわたわたと待っていた兵士の方へ歩き出そうとした。
「リヴァ……」
その背中に、サラの真剣な声がかけられた。振り向くより先に背後からリヴァイアの右肩に重みがかかる。ちらりと横目で見てみれば、赤い髪がそこにあった。
「……ありがと」
その言葉の後、すぐに右肩が軽くなった。隣に歩いてきたサラの顔を見上げる。
「……何か、あったのですか? 昔……」
サラが苦笑を見せ、すぐに向こうに居た兵士の方へと向き直った。
「歩きながら話すわ。これ以上待たせたらかわいそう」
「……そう、ですね……」
二人で苦笑し、兵士の元へと向かっていった。もうすでにいつものサラだ。それなのに気になって仕方がないのは、いつもと違う……笑顔の奥に何かを隠している気がしたからだ。リヴァイアは心に暗雲を抱えたまま兵士の話を聞くべく歩み寄った。
「それで、イリスが生き残った者たちを城下にある隠れ家に集めているんですね?」
「は。陛下の行方については不明ですがどうやら亡くなってはいない模様です。イリス様ならもしかしたら居場所もご存知かもしれません。まずはイリス様の元へご案内いたします、ついて来てください」
兵士の言葉を聞いてサラと二人で顔を見合わせた。二人とも少しだけだが明るい笑顔になる。
イリスがいる場所は城を下りなければならないらしい。ここからなら正門まで突っ切った方が早いが、道中魔物と出くわす確率を考えれば北門から出て城を迂回しつつ行った方が安全で速いと判断した。兵士も納得してくれたようで、リヴァイアの案に従って北門を出ていく。
「……黒い……」
「サラ?」
急に立ち止まって城の方を見上げていたサラがぼそりと呟いた。リヴァイアも何事かと同じ方を見てみる。何千もの鳥型の魔物がワサワサと城周辺にたかっていた。
「まるで……エストランジュ城が黒い海に呑まれてるみたい……」
サラのその言葉に、リヴァイアはハッとして夢を思い出した。
ダグラ陛下の死、黒い海……エストランジュ……。何かが動いているのか、リヴァイアの胸中に嫌な予感が泉のように湧き上がってきていた。
「あ! ごめん、気にしないで? 行きましょ!」
明るくそう言って、サラは駆け足で兵士の後に続いた。ただその表情に陰りがあるのをリヴァイアは見逃さなかったが。
「サラ……。話して……くれるんです、よね?」
無理やり聞く趣味はないがあまりにも気になって、リヴァイアは自身の眼鏡を中指で押し上げながら気まずげに問うてみた。サラが横目でちらりとリヴァイアを確認して苦笑する。
「話さないと……ダメ?」
「………………」
無理強いはしたくない。それでも気になるのだ。反応に困って指で眼鏡をもてあそびつつ沈黙していたら、サラが小さく息を吐いてリヴァイアから数歩下がり、諦めたように切り出した。
「ん、分かった。話すわ。でも、こっち見ないで」
そのままサラはリヴァイアの背後でゆっくりと話し始めた。
「私と兄さん、ガルベイル南端から来たって言ってたじゃない? それ、ガジュルなの」
「なッ!!?」
あまりにも驚愕の事実に、リヴァイアはつい振り向きそうになり慌てて顔を戻しうつむいた。
それも仕方のない事なのだ。何しろガジュルと言えば……。
「ガジュルは生存者もなく魔物に滅ぼされたと報告を受けていますよ!? そんなバカなことがっ……」
ガジュルの全滅はリヴァイアにも予知できなかった事例の一つとして記憶に残っている。調査に行った魔術師の報告からすると、村人は惨殺され逃げ延びた者もいなかったということだ。レリアが管理している名簿に村人の名前が全員記されていたのだから間違いはないだろう。
「魔物……、ね。そうね、あの時はもうダメだと思ってた」
皮肉るように呟くと震える声で続きの言葉を紡いでいく。いったい何があったのだと、リヴァイアの不安がどんどんと膨れ上がっていた。
「目の前で……みんな殺されたわ……。父さん、母さん、友達も親戚もっ……! 私、兄さんと逃げようと思ったの。でもあいつはっ……!!」
サラの声がどんどんか細くなっていく。
「結局逃げられなかったのよ……。目の前で、また一人……。あいつは兄さんにまでっ……!」
そこまで言うといきなりいやあぁぁっと悲鳴をあげ、そのまま膝をついたのか土の擦れる音がした。先程の言いつけを守っている場合じゃないと、リヴァイアは慌てて振り返り地面に両手をついてガタガタと震えているサラの体を抱きしめた。
「もう……、もういいですっ……! 分かりましたからっ……。もう思い出さなくてもいいんですよっ……!」
ガタガタ、ブルブル震えるサラの体を抱きしめ落ち着かせようと、リヴァイアはレクイエムを歌い出した。こんな時にレクイエムなどどうかとも思ったが、歌える曲がそれしか思いつかなかった。
いや、今のサラにはこのレクイエムが必要な気がしたのだ。
私は願おう
あなたが安らかに眠れる事を
あなたは私の心の中で生きている
この心の中に居てくれるから
あなたの生きた地
守り続けていこう
悲しみは胸の奥に
この歌をささげよう―――
私は恐れない
ようやく神の地へ還れるのだ
私の心はあなたの中に
そこに生きているから
思い出せば
すぐ会える
悲しみのない場所で
あなたの歌が届くから――――
震えていた体が徐々に治まり出した頃、リヴァイアの腕の中でサラがフフッと笑いをこぼした。
「私もまだまだね。2度もリヴァに慰められるなんて……」
いつものサラだ。リヴァイアは安心して、サラから手を離した。なぜかこちらをじっと見つめてくる。
「サラ?」
「ん。リヴァも男なんだなって思ったの。見た目は小さくてかわいい少年なのに、頼もしく感じるなんて……」
その言葉についムッとしてしまうリヴァイアである。
「キミは……僕をバカにしているんですか?」
「違うわよ」
サラはそこで一旦言葉を切ると、いきなりリヴァイアの左頬に口づけた。あまりの衝撃にリヴァイアの目から星が飛び散る。
「んなッ、ち!?」
突然すぎてリヴァイアの口からは言葉にならない擬音が飛び出してくるばかりだ。サラはそんなことにはお構いなしに立ち上がると、数歩歩いてくるりと振り向きフフッと笑った。
「自分でも良く分からないんだけど……」
そのまままたくるりと回り、リヴァイアに背を向ける。
「リヴァがカッコ良く見えちゃった」
背中からでも伝わってくるサラの照れた様子に、リヴァイアまでつられて真っ赤になってしまった。言葉も出せずにただ口だけがぱくぱくと動く。
「ね、リヴァ。私、ずっとずっとあの時の事忘れようとしてた。これは夢で、本当は目が覚めたらいつものベッドで眠ってるんじゃないかって。でも……でもね」
そこまで言ってもう一度振り返り、リヴァイアの顔を真剣な目で見つめた。リヴァイアの背中も自然と伸びていく。
「今は夢じゃなくて良かったって思えるの。だって、リヴァと出会えたんだもの。……ここにはもう……リヴァが居る」
そのままサラは自身の胸に手を当てにっこりと微笑んだ。リヴァイアも硬い表情を崩し同じようにほほ笑む。
「レクイエムって聞くたびに印象変わるね。だからユンもあんなに聞きたがったのかな?」
「……そうかも……しれないですね」
リヴァイアの返事を聞いてサラが笑みを深めていった。その綺麗な笑顔にリヴァイアの胸は早鐘を打つ一方だ。ドキドキと治まらない動悸を押さえようと必死になっているリヴァイアの真横から、遠慮がちに声がかけられた。
「あ、あのぅ~……。そろそろご案内してもよろしいでしょうか……?」
ずっと二人の会話を見ていたのだろう、気まずげに頭を掻きつつ先を歩き出した。リヴァイアとサラ、二人の顔が一気にゆで上がっていく。
「い、急ぎましょうっ……!」
「そそ、そうねっ……」
それからしばらくは皆無言で歩いた。照れと気まずさで目を合わせることもできなかったのだ。イリスの元へたどり着くまで、それはそれは長い道のりに感じたのは言うまでもない。