黒水晶の章 第5話
「どっふぁーーーっす!!」
ドガアッという轟音とともに正門近くの城壁が吹き飛んだ。その風圧で近くにいたシバニも吹き飛ぶ。
「冗談じゃないっすよ!! バカオ殿は結局見つからなかったっスしいきなり魔物が現れて爆弾のような火の玉吐き出してその爆発に巻き込まれたっス!! これで人生最後ねーなんて歌を思い出して歌いたくなったっスがその先の歌詞が出てこなくて無限ループっスよ!! 人生最後ねーが頭の中でぐるぐる回りながら人生終わらせたくないっス~。誰か俺を救って欲しいっス! せめて歌詞の続きを教えて欲しいっス! ああっでもやっぱりあの魔物の大軍をどうにかしてほしいっス! 歌詞は後で調べるっスから助けて欲しいっス~! うああっ、俺は見習い騎士っス! 見習いなんか食べてもおいしくないっスよ~~~! いや、正騎士でもきっとうまくはないっスが……。あ、馬はうまいかもっス!! おおっ俺今のうまいっス! なんか俺うまうま言ってるっス~~~くくくっ、て笑ってる場合じゃな……どっふぁーーー!!」
延々と口だけが動くシバニを再び爆発が襲った。止める相手が誰もいないせいかシバニの口はいつも以上に快調だ。そんなシバニの横をすり抜ける一つの影があった。
「ククッ、シバニ……だったか? 調子良さそうじゃねぇか」
言いつつ一直線に走り抜け、爆発元の魔物まで一気に間合いを詰めるとその人物は腰からスラリと引き抜いた剣を振り上げた。シバニが目を見開く。
「へ、へへ、へ、陛下ぁ!? どどど、どうしてここにいるっスか!? 城はどうしたっスか!? って聞いてる場合じゃないっス!! 敬礼するっス!! って見てないっスぅ~。おぁ!? そんな上空にいて爆発する火の玉投下してくる魔物を剣で狙ってどうするっすか!? 届かないっすよ!! ほらぁ~空ぶったっス! …ああ!? 剣の風圧が魔物を叩き落したっス! ぎゃあぁっ、こっち来るっス! つぶれるっス~」
まるで実況中継さながらに全てをしゃべりながら、シバニは上空からひゅるひゅると落ちてきた魔物をかろうじて転がって避けた。
「へぶしっ」
身体が地面に打ち付けられた瞬間、シバニが変な声を漏らす。
「何しててもうるせーな、オマエは」
手に持っていた長剣を腰にはいていた鞘に納めつつ、ダグラがゆったりとした足取りでシバニに近づいてきた。辺りの魔物はシバニが騒いでいる間にダグラが倒したのだろう、魔物の死骸しか残っていなかった。
ダグラ=バーン。エストランジュの国王であり、普段は赤いマントに王冠をつけている。今の白いシャツに皮のベスト、皮のズボンに皮のブーツ……という出で立ちは、どこからどう見ても街のごろつき傭兵のようにしか見えない。四十代とは思えない程の筋骨隆々とした肉体と自然にうねって跳ねる亜麻色の髪、口元に蓄えられた無精ひげが更にその印象を強めていく。彼の顔と性格を知るエストランジュ国民でなければ誰も彼が王だとは気づかないだろう。
そんなダグラが威厳もなくシバニに手を差し出した。サッと視線を巡らし、傷の確認までする。
「無事だな」
「ほああ!? へへ、陛下が俺に手を……!?」
騎士とはいえ、たかだか見習いのシバニだ。ダグラのその行動に飛び上がる。
「これは夢っすか!? 夢に決まってるっス! もうすぐ固ぁーい布団の上で起きるっスよ!! それでもって朝ごはん食べるっス! もちろん食堂のスープっスよ!! あそこのスープはうまいっス! 絶品っス!! あれ? でも何で絶品っすか? 品が絶えたら作れないっす。一度調べて…………」
「品が尽きるまで食べるからだろう。ふむ、食堂のスープか。今度食べさせてもらおう」
ダグラはそう言いながらしゃべり続けるシバニの手を取って立ち上がらせると、直後ハッと何かに気付き正門でも北門でもないある一点を鋭い眼光で眺めた。
「まさか……、城壁の補強作業が滞っている場所を狙っているのか!?」
そう呟くとすぐさま駆け出そうとして、だが足を止める。
「シバニ、命令だ……!」
明らかに尋常ではない冷や汗を流しつつ、ダグラはシバニに指示を飛ばした。そして自身はすぐさま駆け出していった。
――――――☆――――――☆――――――☆――――――
光の一閃が空を切り裂いた。前方にいた数体の犬の魔物がバタバタと倒れていく。
ここはエストランジュ国、ラブラ城の敷地内。だがラブラ城からはかなり東に進んだ城壁の真横だ。この辺りは門もなく、まるで忘れ去られたかのように木が生い茂っている。人はほぼ通らないと言ってもいいだろう。
「くそっ……キリがねぇっ! いきなり壁に穴が開いたと思ったらなんだよこの魔物の大軍っ……!」
金髪をなびかせながら素早く十字に剣を振ると、ディオの前に次から次へと魔物の死骸が積み重なっていく。
「北門ってこっちだろ? くそっ! リヴァ達はどこ行ったか分からねーし、魔物は超積極的に迫ってくるしよぉっ! 俺、アンタらに興味ねーっての!!」
そう言いながら上空の敵を斬りつける。鳥の姿をした魔物がディオの前にさらに積み上げられた。
「しつっこい子は嫌われるんだぞ!!」
少し前に自分がリヴァイアをつけ回していたことなどそれはそれはご丁寧に棚に上げ、そのまま剣を振り下ろす。光の筋がうねるように数体の毛むくじゃらの魔物をとらえて斬り飛ばした。その魔物が倒れた先に一瞬だが空間が開け……。
「およ? ファン兄さん……?」
かなり小さくではあるが、赤い髪の青年が巨大な鳥の魔物に連れて行かれる姿が目に映った。
「まさか何か!?」
「うあッ」
あったのか、と振り向こうとしたディオの背中に火の塊が叩きつけられた。衝撃で体が吹き飛ぶ。そのまま右肩から地面に叩きつけられ、ゴキッと鈍い音が自身の体の中で響いた。あまりの痛みにたまらず右肩を押さえうずくまる。
「こんな簡単な道がなかなか開けないと思ったら、何だこのゴミ虫は?」
ディオが倒れた目の前、ガサっと地面の草を鳴らしながら一歩ずつ、ゆったりとした足取りで近づいてくる人物がいた。ディオは突然現れたその人物を足元からゆっくりと見上げていく。
編み上げの黒いブーツ。黒のショート丈のスパッツ、その上にはプリーツスカートのような布が巻き付けられており、上半身は胸以外かなり露出が高めになっている。胸と胴部分に幅広の布が巻き付けてある以外何も身に着けていないようなのだ。かろうじて腕に革のベルトが巻き付けてあるぐらいか。
髪はオレンジ色をしていて左上の辺りでお団子にし、そこを一周巻き付けるように小さな花がいくつもついている。キリリと整った眉と意志の強そうな緑色の瞳は、彼女の気の強さを十分に物語っている。
彼女……。そう、女性なのだ。しかも若い十七、八といったところか。
ただ彼女がただの街人でないことは、黒い皮の手袋をはめたその手に握られている大きな、彼女の足元から肩のあたりまであるリング状の武器が証明している。一般の女性どころか大の男でも持ち上げることすら困難そうなその武器を軽々と持ち上げているのだ。あんなものが飛んできたら人間の体など真っ二つだろう。
「なんで……こんなところに女の子が……?」
ディオの質問に彼女がニヤッと笑った。
「ふん。これから死にゆく者に名乗るのも面白いものだ。あたしの名はニーナ。まぁ、覚えたところで何の役にも立たないだろうが……ね!!」
言葉と同時にニーナは手に持っていたリング刀を振るった。
ディオはそれにいち早く気づき右に転がって避けると、反動を利用してすぐに立ち上がる。右肩に痛みが走ったが気にしている場合ではなさそうだ。
先程までディオがいた場所は轟音とともにひび割れていたのだから……。
「オレ、女性はおしとやかな方が好みなんだけどな……」
そう言いつつディオは剣を左手に握りなおし、そこに自身の魔力を込めた。刀身が白い光に包まれる。
左手に持ち替えたのは今の痛めた右手では力負けしてしまうと本能で感じたからだ。
「アンタの好みなんて知るか!!」
ニーナはディオに向かって巨大なリング刀を軽々と振り下ろした。
ディオはそれを避けることもせず両の足を肩幅まで広げて膝を軽く曲げると、光輝く剣に軽く右手を添えて頭上から襲い掛かるリング刀を受けた。ガツッという音が辺りに響く。
リング刀の衝撃はディオの剣から腕を伝い、膝までかかり地面をえぐっていたが、肝心のソレはディオの頭上で光輝く剣に阻まれ止まっている。
「あたしの攻撃を受けるとは……なんのつもり?」
ニーナはブンッとリング刀を振るうと、ディオからすかさず距離を取って構え直した。ディオが二ッと笑う。
「避けてたら力量、分かんねーからな」
「はっ。アンタはバカか」
「よく言われる」
ディオも左手で剣を構え直した。
「アンタみたいなのが一番先に死ぬタイプだ」
「それはどうかな?」
その言葉を合図のように、お互いが同時に駆け出した。ニーナがリング刀を横に振る。それをディオがしゃがんで避けるとニーナに足払いをかけた。
「くっ!」
ニーナは一瞬バランスを崩したものの、すぐに体勢を立て直し手に持っていたリング刀を軸に弧を描くようにディオの顎を蹴り上げた。ディオの脳がぐらりと揺れる。
だがすぐに剣を握りなおすと、着地する直前のニーナを狙ってその腕を突き出した。うまい具合に入りニーナの脇腹が切れて鮮血が散る。ニーナが咄嗟に距離を取った。
「悪ぃな。手加減してる余裕、ねぇみてぇだ」
「誉め言葉だね」
ニーナはまるで痛みを感じていないかのように巨大なリング刀を肩に担ぎあげると、ディオに向かって駆け出した。ディオもすぐに剣を構える。
ガッと剣同士が当たる。その隙をついてニーナが反対の手で拳を繰り出すとディオもそれを右手で防ぎ、ニーナの鳩尾に向かって膝蹴りを繰り出した。ニーナが後ろに下がって避けニヤッと笑った。
「アンタ……」
そのままニーナは体を回転させ、全身の力を使ってリング刀を投げた。そのリング刀の後を追うようにディオに向かって駆けていく。
ディオはそのリング刀を左へ体をひねって避けると、直後に右からきたニーナの蹴りを右腕で防ぐ。そのままニーナを突き飛ばし剣を顔の真横に突き立てた。威嚇に怯んでいる隙を見て、すぐさま伸しかかる。
両手を動かせないよう自身の足で腕ごとしっかり挟み込み、ニーナの両肩を押さえつけ全体重をかけた。
「お前の目的は何だ?」
「さぁ? アンタみたいな乱暴な男に答えるとでも思ってるのか?」
上から押さえつけられているにもかかわらず強気なニーナの言葉にハッとしたディオの頬が紅潮していく。
「こ、これはっ…!」
直後、背後からきたリング刀に慌てて体をかがめた途端、くるりと世界がひっくり返った。目の前にある地面にあれ?っと思った瞬間、右腕を強引にひねり上げられる。
「うあぁッ」
ゴキッと、痛めていた肩がさらに怪しい音を立てた。確実に骨の何本かはいっただろう。指先にすら力が入らなくなる。
ニーナのリング刀はまたブーメランのようにこちらへ戻ってくると、ディオを押さえつけている方とは逆の手でそれを取り、先ほどの仕返しと言わんばかりにそれをディオの顔の横にゴッと置いた。
「ダグラの前にアンタの処刑が先のようだ」
ニーナはディオを押さえつけたまま片手でディオの首を鷲掴み、後ろに思い切り持ち上げた。エビぞり状態の姿勢でニーナの手に首を徐々に締め上げられ、だんだんと息が苦しくなる。唯一無事だった左手ですら空を掻くばかりだ。
「……っぅ……かはっ……」
だんだん意識が朦朧とし、ディオの体から力が抜けていく。このまま死ぬのか……。薄れていく意識の中そんなことを考えていた。
「………………!」
「……あッ!?」
声だったのか音だったのか、いきなりニーナが小さな悲鳴を上げるとバタリとディオの真横に倒れこんだ。急激に入り込んできた酸素にディオはゲホゲホとむせ返る。
「き、貴様っ……何を……した!?」
凶悪な瞳でニーナはディオを睨みつけていたが、ディオ自身にも何が起こったのか全く分かっていなかった。いや、それよりも迫りくる酸素を落ち着いて吸えるようにする方が必死で、それどころではなかったのだが。
「唯一俺が使える魔術だ。悪いが手足の筋力を奪わせてもらった」
ゲホゲホとむせ返り、気管がある辺りをさすりながらその声の主を見上げ……たとたんディオの下顎がかぱっと下がった。以前リヴァイアに護衛兵士としてついていた時、見たことがあるその顔……。
「ダ、ダグラ陛下!?」
ディオの素っ頓狂な声が辺りに響く。ダグラが苦笑いした。
「ダグラ……!?」
「おいおい、敵に正体バラしてどうすんだ青年」
ディオが慌てて口をふさいだが、今さら出てしまった言葉は戻らない。ニーナが地面に転がったままダグラを見上げニヤリと笑った。
「餌の方からのこのこ出向いてきてくれるとはね。探す手間が省けて助かるよ」
そう言ってダグラを見上げるニーナの瞳は獰猛な獣のようであったが、その手足はピクリとも動いていない。先ほど言っていた筋力を奪うというダグラの魔術が効いているのだろう。
「さて、牢に繋ぎたいのはやまやまなんだが、生憎城は今喧騒の真っただ中でな。ふむ、どうしたものか……」
ダグラは自身の顎髭を撫でながら暫く考えていたが、嘆息すると厳しい眼差しでニーナに近づき見下ろした。
「捕らえる前に質問に答えろ。あの大量の魔物たちはお前の差し金か?」
「だったら何だ?」
ニーナにごまかす気はないのかハッキリ『そう』だと言葉の端々に臭わせた返答だ。
「目的は何だ?」
ダグラの質問に、ニーナがフンッと笑う。
「は。どいつもこいつも同じ質問しかできないのか。あたしらの目的はエストランジュの破滅だ。あたしらの国を滅ぼしたエストランジュ……この国の滅亡なんだよ!!」
徐々に興奮してきているのかどんどんニーナの目が血走っていく。そしてさらに言葉を続ける。
「まもなくエストランジュは黒い海に飲まれる。あとはアンタを殺すだけだ、ダグラ=バーン!!」
叫んだ直後にニーナはピュウッと口笛を吹いた。直後ニーナの近くにあった壁がドガアッという轟音とともに崩れ去る。
「う、そ……だろ!? あ、あれ、トルドーじゃねーかっ……!」
もうもうと砂埃を上げて崩れ去った壁の向こうにソレはいた。
巨大な……ディオの二倍はありそうな体躯のカンガルー型の魔物だ。しかもそれはただの魔物ではない。護衛兵士殺しと有名なトルドーという名の魔物であった。
スピード、腕力、獰猛さ、どれをとっても魔物の中でトップクラスに近い。奴と出会った魔術師は護衛兵士ともども戻らないと噂になっていた程だ。
そのトルドーは倒れていたニーナを口にくわえると、腹についていたポケットに押し込んだ。魔物を操っているとでもいうのだろうか。
「ふん。トルドーか。出会うのは二度目だ」
ダグラがゆったりとした動きで腰にはいていた長剣を抜き去る。何かを言おうとしたディオだったが、トルドーを見るダグラの視線のあまりの獰猛さに言葉が出せず、とっさに左手で自分の剣を拾って構えた。勝てる自身など全くなかったが。
「いきなりこんな強敵と対峙させられるたぁ、そこの青年の尻一つでも貰わなきゃ割に合わねぇな」
「おうっ! 尻の一つや二つくれてやるぜっ!」
反発か、軽蔑か、そのどちらかの返答しか予想していなかったダグラはディオの予想外の返答にキョトンとしたのも束の間、大声で笑いだした。
「あっはっは! まさかそう来るとはな! これは早く終わらせねーと」
目の前のトルドーに集中しすぎていて何を言ったか全く覚えていなかったディオを置いたまま、ダグラは笑いを引っ込めると視線を再び凶悪なものに変える。一つ鳴いて突進してくるトルドーを正面に捕らえ、剣を逆手に持ち替えた。トルドーの長い爪が一直線にダグラを捕らえる。
「ダグラ陛下っ!!」
ディオが叫んだのと、ダグラが動いたのは同時だ。走りこんでくるトルドーの足めがけて剣を薙ぐ。その剣筋はディオでも目で追うのがやっとなぐらいだ。
トルドーの爪はダグラの右肩に深々と突き刺さっていた。だが気をそらせるためにわざとそうしたのだろう。一瞬でトルドーの足と胴はお別れし、トルドーの悲鳴が轟いた。そのままドシャアッと前のめりに倒れる。
「おっと。中の子はつぶれてねーだろーな」
ダグラが自身の肩からトルドーの爪をゆっくり外して簡易的に止血し、地面に転がっていたトルドーの胴体に止めを刺すと、ひっくり返して腹にあったポケットをこれでもかというほど広げた。
ディオも剣を鞘に収め、痛む肩を押さえつつあわててそちらに近づきポケットの中を覗き込んだ。
ダグラと二人でキョトンとする。
「いない……」
ぼそりとディオが呟く。ダグラは顎の不精髭を撫でつつしばらく考えた後、一つの答えにたどり着いた。
「そういやぁ『トルドーには転送能力が備わっている可能性がある』って言ってる学者がいたな。それが事実ならばあるいは……」
「逃げたならまずくないっすか?」
先ほどニーナが言っていたことを思い出し、ディオはダグラに問いかけた。トルドーほどの強敵ですら操る能力があるとすれば……危険すぎる。エストランジュがまもなく黒い海に飲まれる……というニーナの言葉も気になっていた。
「リヴァなら……何か察知してるのかな……?」
予知が得意なリヴァイアならもしかしたら……と考えディオが呟く。その横で……自身の不精髭を撫でつつ考え事をしていたダグラが、鞘に剣を収めて一つうなずいた。
「三十六計逃げるに如かず、か。城を捨てるのも悪くはない」
「は!?」
そう言ってゆったりとした足取りで突然歩き出したダグラを、ディオが王が城や城下の人たち見捨てて逃げんのか!?と信じられない思いで追っていった。