黒水晶の章 第4話
北門へたどり着いたリヴァイア達三人は驚愕した。それもそのはずだ。辺りは先に逃げたはずの女子供や、兵士達の体によって血の海が作り上げられていた。
「天に集いし風よ、我が敵を切り裂け!」
北門から少し離れた場所から聞き覚えのある声が、切迫した様子で詠唱を奏でている。
「エアカッター!!」
術の発動と同時にその人物の近くにいた魔物が数体切り刻まれる。だがその奥に控えていたさらに倍の魔物が、我先にとその魔術師に向かって襲い掛かった。
「流れ出でる水、落ちよ! アクアフォール!!」
リヴァイアの詠唱とともに魔術師へと襲い掛かる魔物たちに向けて、激流の水が降りそそいだ。その水に押し流されて魔物たちが後退していく。
「イリス、無事ですか!?」
「リヴァ!!」
いつものけだるそうなものとは違い、緊張を含ませた声音でリヴァイアの名前を呼ぶと、イリスは駆け足でリヴァイアの方へ来た。イリスの頬や手指に細かな裂傷が見える。
「あなたにしては珍しい失態ですね」
からかうでもなくリヴァイアは自身の眼鏡を指で押し上げ、そんな感想を述べる。足元の血の海を見る限り、かなりの犠牲者だ。自身の傷の治療をする暇もないなど、イリスにしては本当に珍しい。
「返す言葉もない。まさか知能のない魔物が魔術を使うとは思わなかったよ」
イリスの言葉にリヴァイアは目を大きく見開いた。
「魔物が……!? 魔術を!?」
リヴァイアの魔術で後退していく魔物の大軍をまじまじと見つめる。魔物が魔術を使う……。だとすればこの魔物の大軍はかなり危険だ。リヴァイアは左手に持っていたインフィニティアロッドを強く握りしめると、イリスの顔を見上げた。
「この様子では正門はさらに危ういでしょう。イリス、一刻も早くあちらに向かってください」
囮とはいえここの倍以上の魔物が押し寄せているはずだ。ダグラ陛下が向かったとはいえ……いや、ダグラが向かったからこそ危険極まりない。
「だが、リヴァちゃん一人でっ……!」
躊躇するイリスの前にサラが進み出た。
「リヴァ一人じゃないわ。私達がついてる。魔物は絶対中に入れない。だから行って!!」
サラの横にファンも来て、任せろという視線を送る。
「イリス、これはダグラ陛下に会って話そうと思っていたことなのですが……。僕の予知ではダグラ国王の死によって、このエルシニア大陸全土が戦乱に巻き込まれ破滅すると言っています」
「なッ!?」
リヴァイアの言葉にイリスが目を見開いた。当然だろう。イリスはこのエストランジュ国とダグラ陛下をとても大切に思っている。いわゆる家族みたいなものらしいのだ。
「ダグラ陛下はすでに正門へ向かわれた。すぐに行ってください!!」
リヴァイアの言葉を最後まで聞くことなく、イリスは駆け出した。
「死ぬんじゃないぞ」
リヴァイア達に向かって、それだけを言い残して……。
「イリス、それは余計なお世話というものです」
リヴァイアはそう言い捨ててインフィニティアロッドを右手に持ち替えると、左手の中指で眼鏡を押し上げローブ下の道具袋から魔導書を取り出した。取り出すついでに懐をポンポンとたたく。中にいたレコに出てくるな、という合図だ。レコも承知していたのか軽く身じろいだだけだった。
魔物を押し流していたリヴァイアの術がそろそろ切れる。リヴァイアはそのまま集中を始めた。
「前方に毛むくじゃらの魔物、上空に数十体の犬型の魔物、城壁の向こうには数百の何種類かの魔物。果たして魔術を使うのはどいつだ?」
「考えてるヒマ……ないみたいよ兄さん!!」
言葉と同時にサラが駆け出し、手始めにと言わんばかりに手前にいた数体の毛むくじゃらの魔物をまとめて斬り上げた。先ほどのリヴァイアの術がダメージになっていたのか、そのまま見事に分断される。
「は、全然手応えないわね!!」
「サラッ!!」
叫ぶファンの声を聞き、振り向いたサラの視界に犬型の魔物が飛び込んできた。サラはとっさに体をひねって地面に手をつくと、その魔物を足でからめとりつつ勢いをつけてくるりと反転し、ぐしゃぁっと地面に叩きつけた。魔物がつぶれて動かなくなる。
「うわ……おっかねぇな。さすが凶暴女」
そう言いつつファンは上空の魔物に向けて矢を放った。うまい具合に矢が当たり、次から次へと上空から魔物の死体が降ってくる。
「後で覚えてなさいよ、クソ兄貴」
まるでファンへの怒りをぶつけるかのように、次から次へとサラは魔物を斬り倒していく。
(おかしい……。この程度の魔物でイリスが苦戦するなど……)
魔物が倒されれば倒されるほど、リヴァイアの胸中に何かはわからないもやもやが立ち込めていく。
イリスは五大魔術師の一人だ。エストランジュ兵もこの大陸一といっていい程洗練された戦力だ。数は多けれどもこの程度の魔物に苦戦するはずがない。それにイリスが言っていた魔術を使う魔物……。
リヴァイアは集中しつつも、ぐるりと辺りに視線を巡らせた。
「気のせい……でしょうか……?」
全く分からない、もやもやした気持ちに少々苛立ちを覚えた。
「すべて片付ければいいだけの話……ですよね」
リヴァイアはそうつぶやくと頭を振って集中する。
「二つの堅き絆よ、赤き炎で包み込め」
リヴァイアの詠唱とともに、インフィニティアロッドがまばゆく輝きだした。左手に持っていた魔導書が集まってきた風でパラパラとめくれ、綺麗な音を奏でる。
「シェルファイア!!」
インフィニティアロッドの先から貝の形をした炎が飛び出し、正面の門付近にいた魔物たちを飲み込んだ。それと同時にリヴァイアの目の前数センチのところを一陣の風が走り抜ける。その風はリヴァイアの髪を斬り飛ばし、一直線にサラに向かっていった。
「サラ!!」
ファンとリヴァイアの声が重なる。風はものすごいスピードで走り、リヴァイアもサラも反応が一歩遅れる。唯一叫びと同時に駆け出したファンがサラの前に飛び出した。
「くっ……!」
ファンの左腕にその風が突き刺さる。突き刺さったかと思えば分散し、ファンの体を切り刻んだ。
「ぐ……うっ……」
「兄さんっ……!」
ファンは切り刻まれて血だらけになった自身の腕を押さえ、その場に膝をついた。サラが慌ててファンの体を支える。リヴァイアは顔面蒼白になったまま二人の元へ駆けつけた。
「この形……、この動き……、まさかウインドランス……!」
混乱したままの三人に向かって、今度は四方から炎が巻き上がった。
「くっ……、清蓮なる水球よ、我らを包みたまえ。アクアドーム!」
リヴァイア達を包むように薄い水の膜が張り巡らされた。防御術でセイクリッドウォールにはかなり劣るが、そちらが前方一面しか防げないことを考えると今はこちらの方が効率がいいだろう。
ただ敵の術、おそらくファイアスネークは先ほどの術アクアフォールと同様、発動時間が長い。その間にアクアドームを破壊できる高威力の別の術か、物理攻撃を繰り出せる術師であるなら危険だろう。
アクアドームは物理攻撃に弱いのだ。
「アクアドームを維持しながらのセイクリッドウォールは、かなりの集中力と魔力が……」
できないことはないがやりたくない、というのが正直なところだ。魔力がいくらあっても足りない。
そうこうしているうちに、敵の放ったファイアスネークの威力が徐々に弱まってきた。その時背後にいたファンがすっくと立ちあがると、血だらけの腕もお構いなしに矢をつがえた。
「どうし……」
「兄さん」
不思議がるリヴァイアとは別にサラが何かを察したのか、すぐにスタートダッシュができるような格好で剣を構える。
ファンは震える自身の腕に苛立ちながらも、城壁の近くにある木のある一点に向かって矢を放った。傷ついた腕で撃ったとは思えないほど一直線に矢が飛んでいく。
「きゃっ……!」
ファンの矢がうまく当たったのか、小さな悲鳴が上がる。それと同時にリヴァイア達を囲んでいた炎が消え、サラが駆け出した。
一瞬で間合いを詰め、木の上から落ちてくる術師に向かって剣を薙ぐ。
「未熟」
落ちていたはずの術師はどうやったのか、サラの振る剣を軽く蹴るとそのまま上空でくるっと回り、すとんと地面に片足で着地した。その着地もつかの間、すぐにファンの方へと駆け出す。走りながら腰に巻き付けていたのか、しゅるりと鞭を取り出した。
「雲間に出し雷よ……」
詠唱を始めたリヴァイアに術師の鞭が振り下ろされる。とっさによけたが一瞬詠唱が中断された。その鞭はこちらに向かって来ようとしたサラまでもを襲う。ファンはどうにか矢をつがえようとしていたが、腕の痛みに苦戦している間に術師にガッと首をつかまれた。
「兄さん!!」
敵に斬りかかろうとしたサラだったが、それより先に敵の鞭が舞い、サラが握っていた剣を弾き飛ばした。
「女性には迫られるより、迫る方が好きなんだが……」
「男性には迫られたいってこと……かしら?」
よく見てみれば、その術師は若い…十六、七歳のスレンダーな女の子だった。水色のミディアムボブの髪の左側の一部を小さな花の飾りで結い、ひらひらのワンピースに白黒のダイヤ模様のタイツをはいている。
物腰は柔らかく、上流出身の雰囲気が醸し出されていた。
「冗談は……よしてくれ……」
見た目は可憐な女の子であるのに、ファンの首をつかむその力は尋常ではなかった。ギリギリと締め上げられ息をするのもやっとだ。だんだんと酸欠になり、腕の流血も相まって意識がもうろうとしてくる。力が入らず振りほどけない。
「大地のうねりよ……」
「リヴァイア=ディストランタ。抵抗するならこの男……。どうなるか分かるわね」
「ぐうっぅ……!」
術を詠唱しようとしていたリヴァイアに見せつけるように、水色髪の彼女はファンを持ち上げた。決して軽いわけではないファンが軽く浮き上がる。
「くっ……」
リヴァイアは動くこともできずその場に固まった。これ以上大切な人を失いたくない。その想いがリヴァイアの足を地面に縛り付けていた。リヴァイアの向こうでサラも固まっている。
「情け……ね……ぇな……。足……引っ張って……んのが、俺……な、んて……」
そう言うファンに向かって少女はクスリと笑うと、持ち上げていたファンを少しだけ下ろし、その耳元に唇を近づけた。
「ならわたしがそのいたたまれない気分を救ってあげる」
そのまま少女は、ファンにだけ見えるように手を持ち上げた。
「これ……、なんだかわかるかしら?」
少女の左手首にはまっている青い石のついたレースのアクセサリ。それを見せつつファンの首をつかんでいた指の力を少しだけ弱めた。
「ま……さか、……魔具!?」
ファンの言葉に少女はふふっと笑った。
「そう、あの子と同じ」
少女はサラの方に視線を送り、そう言う。
「……いや、待て。君は魔術を使っていたじゃないか!!」
あの魔具は時を止められた肉体を維持するために魔力のない者が持たされるものだ。どう考えてもおかしい。
ファンの質問に少女がまたふふっと笑う。
「そうね。でも私はコレから魔力を引き出すすべを見い出した。それだけよ。」
少女はそれだけ言うと、何かをつぶやきだした。
その直後、腕にはめていた飾りの青い石がまばゆい光を放ったかと思うと、少女の足元から風が巻き起こった。
「ファン!!」
「ファン兄さん!!」
術を発動すると気づいたらしいリヴァイアとサラが悲鳴に似た声を上げる。
「ヒーリングライト」
だが少女が発動した術は回復術だった。ファンの腕の傷が痛みとともにスーッと消えていく。
「わたし、あなたたちの探し人の居場所知ってるわ。賢そうなあなたならどうするべきか……分かるわね?」
これは危険な賭けだ。ファンにもそれぐらいは分かる。だが今までは居場所どころか奴の存在を見つけることすらできなかったのだ。長い間探し求めていた相手……。みすみす逃したくなどない。
「……俺を連れて行け」
今はまだサラを巻き込むわけにはいかない、と少女にだけ聞こえる声でそう告げた。少女がにこりとほほ笑んだ。
「賢い選択ね」
そう言うと少女はファンの首を再び強くつかみ、リヴァイアの方へと向き直った。
「リヴァイア=ディストランタ。あなたに交渉を持ち掛ける。わたしの名はエリン。この男を返してほしくば、エストランジュ国王ダグラを連れて水刃の神殿の広間に来なさい。そうね……ゆっくりされちゃ困るからあの太陽が10回沈む前までに来て。もしダグラを連れて来なかったら……この男の首、エストランジュの城壁に吊り下げてあげるわ」
「ッ!?」
エリンと名乗った少女の言葉にファンは驚きの声を出そうとしたが、あいにく首を絞められていて声すら出せなかった。腕を振りほどこうと彼女の手をつかんだところで、エリンがサラの方へと視線を送った。
「あの方は必要なものがそろわない限り姿を現すことはないわ。もし抵抗するならあの子……今ここで切り刻むこともできるのよ?」
リヴァイアがそんなことはさせないだろう。だが……ここで抵抗してはすべてが台無しだ。ファンはぐっと我慢して両手を下げた。
「行くわよ」
エリンがピィィっと指笛を鳴らすと、上空からひと際大きな羽の生えた犬型の魔物が下りてきた。その魔物はファンを掴んだままのエリンを背に乗せると、上空へと飛び立っていった。
「兄さんっ……!」
「ファン!!」
小さくなっていく魔物を見上げながら二人は叫んだ。だがその声も虚しく空に消えていくだけだった。