歌の章 最終話
「……ぁ…………っ……!」
体にかかる重みにリヴァイアは目を見開いた。
「ユ……ン……どう……して……!?」
リヴァイアの鼻先を茶色い髪がくすぐる。ユンの胸から竜の鱗が突き出していた。そこからとめどなく滴り落ちるものが、リヴァイアのローブを赤く染め上げて行くのだ。
「リヴァイア……様。怒ら……ない、で、ください、ね……。僕……守れ、て、幸せ……です……」
「しゃべらないで! すぐ回復します!!」
集中しようとするリヴァイアの視界がぐにゃりと歪んだ。吐き気がこみあげてくる。
「……う、こんな、時にっ……!!」
よりにもよってこの状況で自身の魔力にのまれ、思うように集中ができなくなった。その間にもユンの体からどんどん力が抜けていく。
『次は……外さん』
竜は力の抜けたユンの体から鱗を引き抜くと、再びリヴァイアに向けて尾を振りあげた。
「させるかよ!!」
ファンをサラの元まで送り届けたディオが剣を握って走り出した。そのディオの懐から魔獣のレコが飛び出し、ディオより先にリヴァイアの前に来た。こんな小さな体でリヴァイアを守ろうとでもするように竜を見上げた。
「ダメです! レコっ……! キミまでっ……!!」
歪む視界でレコを捉えたリヴァイアが、ぐったりしたユンを抱えたまま制止の言葉を発する。しかしレコは竜をじっと見つめたまま、そこから動かなかった。
『……な!?』
レコを確認した竜が動きを止める。その隙にディオがリヴァイアとユンの隣に来た。そのまま傍らに膝をつくと、ユンの手を取り小さく首を振った。それを確認したリヴァイアの脳が、何故かぐらぐらと揺れる。まるで魔力が、自身の意識を侵食してくるようだ。
『何故……お前が邪悪なる者と居る……? お前が黒水晶を壊したのか……?』
「きゅ?」
竜の言葉に何を言っているのか分からない、と言った感じでレコは首をかしげた。
『黒い海に呑まれるぞ……』
竜のそんな言葉を遠くに聞きながら、リヴァイアの唇は意識もせずに動いていた。
「悠久より刻みし時の鐘よ、その音を閉ざし、我に随意を与えたまえ。我阻むもの無に帰す者なり……。…………」
リヴァイアがぼそりと呪文を呟くと、竜に流れる時が止まったように固まった。それを見ていたファンとサラが目を見開く。
「うそ……。どうし……て? どうしてリヴァがその魔術を使えるの……? 邪悪なる者って……まさか……」
「サラ。リヴァはアイツじゃない。それだけは分かってるんだろ……?」
サラがうなずいた。だが、ファンもサラも苦々しい顔をしたままだ。
「……ディオ、手を貸していただけませんか……?」
「あ、ああ……」
もうすでに光の消えてしまったユンの体を、リヴァイアはディオの手を借りて自身の背に乗せた。ユンが持っていたインフィニティアロッドと魔導書、それからファンの矢はディオが持つ。レコがあわてたようにリヴァイアの体を駆けのぼり、懐に潜り込んだ。
「……ディオ……。どうして僕は……ユンの未来を見てあげなかったのでしょう……? あんなに、ずっと一緒に居たのに……。変えられたかもしれないのに……」
リヴァイアの頬を滴が伝った。
「けど、変えられなかったかもしれない。こいつは何を言ってもお前にべったりだったからさ」
ディオの言葉を聞いて、リヴァイアはうつむいた。自分の力のなさに唇をかむ。
「リヴァ……。すまない……」
「ごめんなさい……私っ……!」
頭を下げるファンとサラに、リヴァイアは首を振った。
「謝らないでください。キミ達を助けたいと選んだのは僕たちなんですから……」
そこから洞窟を出るまでは、皆、無言で歩いた。あの魔術が何だったのか、竜がその後どうなったのかはリヴァイア自身にも分からないままだ。
私は恐れない
ようやく神の地へ還れるのだ
私の心はあなたの中に
そこに生きているから
思い出せば
すぐ会える
悲しみのない場所で
あなたの歌が届くから――――
「レクイエム……、ね。でも、ユンが歌っていた歌と歌詞が違うわ」
サラがリヴァイアの背に声をかけた。ここはレリアの神殿よりさらに北にある丘の上だ。ここには名を残して亡くなった魔術師たちがたくさん眠っている。ユンもここで眠らせるべきだと連れて来たのだ。
「二番……ですよ」
「そっか」
しばらくの沈黙の後、リヴァイアはユンの墓の前に座り空を見上げた。
「僕は、間違っていたのかもしれません」
「リヴァ?」
リヴァイアは首をかしげてこちらを見るサラの顔を見上げた。
「レクイエムは、ずっと死者に捧げるための歌だと思ってました。でも、もしかしたら、自分を慰めるために歌うのかもしれないですね」
そうしてリヴァイアは、再びレクイエムを歌いだした。
「でもユンにはきっと届いてるわ。だってあの子、ずっとリヴァのレクイエムが聞きたいって言ってたもの」
「そう……ですね。そうだと、嬉しいです……」
ユンの顔を思い出しながら、リヴァイアはふふっと笑った。サラも、リヴァイアの隣に座る。
「ユン、こんな大魔術師達に囲まれて緊張してないかな?」
サラの言葉に、リヴァイアが真剣な顔で首を横に振った。
「ユンは、立派な魔術師ですよ。僕よりよほど……」
そう告げるリヴァイアに、サラも「そっか」と呟いた。リヴァイアが、再びレクイエムを歌う。
「私も……、二番を聞いてたらレクイエムに対する感想が変わったわ。全然悲しい歌じゃなかった」
サラもリヴァイアの隣で膝を抱えて空を見上げた。
「……亡くなった人の心を大切に想う、暖かい歌だったのね……」
サラの言葉に、リヴァイアがうつむいた。
「そう……ですね……」
そんなリヴァイアの頬を、サラが両手で包みこみ、顔を持ち上げる。
「サ、サラ……?」
「私だったらそんな顔してたら呪いに来るわよ!?」
真剣にリヴァイアの瞳を見つめながらそう言うサラに、一瞬あっけに取られ、その後可笑しくなってきてしまった。
「ふふっ……。サラらしいですね……。確かにこんな顔していたら、ユンにも怒られてしまいそうです」
リヴァイアは顔を自分の意思であげると、サラの瞳を見つめた。
「キミは……ファンと共にガルベイルへ帰るんですよね?」
リヴァイアの質問に、サラがうなずいた。
「ええ。リヴァ達のおかげでペンダントも取り戻せたし、リヴァの護衛も必要なくなったみたいだし故郷の街へ帰るわ。リヴァは……エストランジュ……よね?」
サラの言葉にリヴァイアがうなずく。変えられる未来なら変えたい、前以上にそう思うようになったのだ。
「あの竜が言っていた黒い海に呑まれる……という言葉が気になるんです。僕の夢にも黒い海が出てきていたから……。関係があるかどうかは分かりませんが、エストランジュとは何か関わりがありそうな気がするので、とりあえずはイリスの元へ向かおうかと思っています」
決意の表情でそう告げるリヴァイアの体を、サラがいきなり抱き締めた。
「サ、サラ!?」
リヴァイアを抱きしめる腕に力がこもる。
「リヴァは、邪悪なる者なんかじゃないわ……。だって、こんなに暖かいんですもの」
「サ、サラ、く、苦しい……です……」
リヴァイアの顔が真っ赤に染まる。フニャリと当たる柔らかい感触がリヴァイアの男心をくすぐり、複雑な気分だ。そんなリヴァイアの懐から、苦しそうなレコの鳴き声が聞こえた。
「あー。俺、お邪魔虫だわ―。すげータイミングだわ―。ありえない光景だわ―」
リヴァイアの真横から、低い、今にも呪われそうな声が聞こえてきた。
「ファ、ファン!!」
「兄さん…」
照れたリヴァイアがサラからがばっと離れた。その瞬間、リヴァイアの懐から解放されたレコが飛び出してくる。そしてそのままリヴァイアの鼻に噛みついた。
「いったぁッ!?」
「あははははっ!」
痛みに悲鳴を上げ、鼻にぶら下げたレコをぶんぶん振り回すリヴァイアを見て二人が笑い声をあげた。
「ぷうっぷうーーーッ!」
「あははははっ」
「ちょ、笑ってないで何とかしてくださっ……、レコッ痛っ……離せよーーーーーッ!」
必死でレコをはがそうとするリヴァイアを見て、ファンとサラはただ笑うばかりだった。その向こうからディオがリヴァイアの眼鏡を振り回しながら駆けてきた。
「リヴァー! お前の眼鏡修理できたから持ってきた……って、うおっ……!」
「あ、ディオくんこけた。あれ、リヴァの眼鏡完璧体の下敷きだなぁ」
淡々とそう告げるファンに、リヴァイアがレコをぶら下げたままディオの方を振り向いた。
「ちょ、何してくれるんですか! バカオーーーー!」
恒例のリヴァの魔術が発動する。ディオに直撃だ。ファンとサラは大笑いだった。リヴァイアも二人につられていつの間にか笑いだした。
(ユン……。僕はいつか、あなたより立派な魔術師になって未来を変えてみせますよ。見ていてください)
リヴァイアはそう心の中で呟いた。
そのために今できる事を……。
そう、まずはエストランジュへ……。