花売りの娘。
さて、あおむしにくらげを探すように教えてもらった黒ねずみの少年でしたが、黒ねずみの少年はくらげを見たことがありませんでした。それに時計の国は歯車があるばかりで薄暗く、同じような景色が続きます。しだいに黒ねずみの少年は自分がどのくらい歩いたのかも分からなくなりました。
(ふぅ、あれからけっこう歩いたと思うのだけど…。くらげさんは見当たらないな…。)
ふらふらと行くあてもなく歩いていると、どこからかフワリと甘い香りが漂ってきました。
(クンクン。なんていい香りなんだろう。)
ひくひくと小さな鼻を動かしていると、足は自然と香りの強い方へと向いて行きます。
「時計の国の皆様~♪ お花はいかがですか~? 甘~い香りの美しい花♪ 命のように可憐なお花♪ 魂の時間が刻まれた、時計の国の不思議なお花♪ 」
どこからか鈴が転がるような、楽しげで可愛らしい声が聞こえてきました。甘い香りが強くなるにつれてその声の持ち主の正体もはっきりとして来ました。
その声の主はねずみの天敵でもある犬にも似たすらりとした鼻を持っています。大きな帽子とワンピースを着ており、いたる所に淡い青色や白色のお花をつけていました。手元を見ると白い布がかけられたバスケットいっぱいにお花があふれています。そして、なんと言っても彼女は犬でいう後ろ足だけで歩いていました。
「あら、初めまして♪ こんにちは♪ 可愛らしいねずみさん、お花を一輪どうですか? 」
ころころと楽しげな声色と甘い香りに黒ねずみの少年はあ頭が揺れるような感覚を覚えました。それはとても心地よく、不思議な感覚でした。
「こんにちは。綺麗なお花だね! ところで君は誰なんだい? 」
「私は時計の国の花売りよ♪ このお花は時計の国にしか咲いていないお花なの。あなたとの素敵な出逢いの記念に、時刻蝶の花をどうぞ♪ 」
そう言って花売りの娘は淡い青色の花を一輪黒ねずみの少年に手渡しました。
「えっ、僕にくれるの? 」
「えぇ♪」
「ありがとう! 」
黒ねずみの少年は胸ポケットに花をさしました。
「とても似合っているわ♪ 時刻蝶は時を届ける蝶。この時計の国で生まれて時を知らせる旅にでる蝶。だけどこの国を出る前に死んでしまう蝶もいるの。時計の国で死んだ者の体は歯車となり時の一部に、魂はこのお花になる。つまり、このお花は時刻蝶の魂のお花。時を届けるために生まれながらもこの国から出ることの出来なかった無念の魂のお花なの。だからこそこんなにも美しい! 」
「魂のお花? 」
花売りの娘は陶酔したかのように話しますが、黒ねずみにはよく分かりませんでした。ですが、魂のお花ときいて、なんだかとても不安になってきましたがその不安も花売りの声と甘い香りですぐに無くなりました。
「ところで、可愛らしいねずみさん、あなたはここで何をしているの? 」
花売りの娘は黒ねずみの質問などきいていなかったかのように話を進めます。黒ねずみの少年も、花売りの娘の指摘にハッと我に返ります。
「あっ、そうだった! 僕はくらげさんを探していたんだった! 」
「くらげさん? 」
「そう! くらげさん! 頭が大きくて、黒いマントをはおってて、ふよふよ浮いているらしいんだけど知らないかな? 」
「その方なら知っているわ♪ たまに出逢うのですけれどけっしてお花を受け取って下さらないの……。そういえば、先ほども歯車の間にいるのをみかけたわ。確かあちらの方よ♪ 」
花売りの娘は黒ねずみが来た方角の反対側を指差しました。
「ありがとう! じゃあそっちに行ってみるよ! 」
「えぇ、そうしてみて♪ あちらにはお花畑もあるのよ。そろそろ次の時刻蝶が旅立つ頃だから運が良ければ蝶の群れと出逢えるわ♪ 」
「うん! またね! 」
「えぇ、また会いましょう♪ 」
黒ねずみの少年は花売りの娘に手を振ってその場を後にしました。