ここは不思議な時計の国。
黒ねずみの少年はグルグルと目が回るのが落ち着くまで、目を閉じて待ちました。
少し時間が過ぎ、ゆっくりとそのつぶらな瞳を開けると、黒ねずみの少年は全く知らない場所にいました。そこは真っ黒な中にいくつもの歯車がせめぎあい、クルクルと回っている不思議な世界でした。
(不思議なこともあるんだな。ここはどこだろう? )
黒ねずみの少年は驚きましたが、慌てることは有りませんでした。それが何故かは分かりませんが、もしかしたらあの不思議な懐中時計のチクタクという秒針の音が聞こえているからかもしれません。
(うーん…。どうしよう…。このままここに居ても仕方がないしなぁ。)
黒ねずみの少年がどうしようかと悩んでいるとどこからか大きな声が聞こえてきました。
「おや? おやおやおや? こりゃあ珍しいもんを見ちまったなぁ! 」
いきなり聞こえてきた声にびっくりして、黒ねずみの少年が勢い良く振り向くとそこにはひときわ大きな歯車があり、その上に小さなあおむしがいました。
「やあやあ! そこにいるのはもしかしなくてもネズミだな! しかもまだ子供じゃないか! 」
黒ねずみの少年は自分よりも小さなあおむしに子供だと言われてバカにされているような気持ちになりました。黒ねずみの少年にとっては「子供」という言葉は悪い言葉だからです。 黒ねずみの少年が通う学校でも「大人」の先生が言っていました。
「みなさん立派な大人になりましょう。」
すると、同じクラスの白ねずみ君が「先生! 」と大きな声をあげて立ち上がりました。
「僕は何だってできるよ! なわとびだって二重跳びもできるし、逆上がりもできる! かけっこだって一番だ! 僕はもう大人でしょ? 」
と胸をはって言いましたが、先生は
「いいえ、白ねずみ君はまだ大人ではありません。立派な大人はしっかりお仕事をして世の中の役にたってけそなれるものなのです。白ねずみ君はまだ小学生ですね。小学生は立派な大人になるためのお勉強をしているのです」
「えー! じゃあ、先生は立派な大人なの? 」
「ええ、先生は学校の先生という立派なお仕事をしていますからね」
「じゃあ、先生はなわとびの二重跳びができるの? 逆上がりは? 僕より早く走れるの? 」
「そんな事ができなくても立派な大人にはなれますよ」
「へーんだ! やっぱり先生はできないんだ! 先生よりも僕の方ができることがたくさんあるのになんで僕の方がが子供だなんて言うのさ! 」
「小学生はみんな子供です。二重跳びや逆上がりもいいですが、先生はみなさんよりもお勉強ができます。白ねずみ君もそんなへりくつばかり言っていては立派な大人にはなれませんよ! 」
この時黒ねずみの少年は白ねずみ君よりも勉強ができましたが、お勉強ができていてもきっと先生はまだ子供だと言ったことでしょう。つまり、先生はこう言いたかったのだと黒ねずみ君は感じました。「勉強ができても、二重跳びや逆上がりができても小学生は子供だから立派な大人の方が偉いのだ」と。だけど、黒ねずみの少年は白ねずみ君のようになわとびの二重跳びも逆上がりもできません。黒ねずみの少年は勉強ができる事よりもなわとびの二重跳びや逆上がりができる白ねずみくんの方が、かっこよくてよっぽど立派だと思いましたが、立派な大人になれなくなるのはいやなので口にはだしませんでした。だから黒ねずみくんははやく大人になりたがりました。黒ねずみくんから見た大人は等しく立派で強く見えたのです。
「子供じゃ無いよ! …いや、小学生だからまだ子供だけど、僕より君のほうがよっぽど小さくて子供だよ! 」
黒ねずみの少年は出来るだけ大きな見せようと、胸をはって言いました。
「ん? それもそうか? って、まぁ、そんな事はどうだっていいんだ。それよりもお前さんはネズミだろ、こんなところにいるなんて珍しいじゃないか! 」
そういってあおむしはたくさんある小さな足を使わずに顎とお尻を器用に使って近づいて来ました。
「僕ははふつうの黒ねずみだと思うけど、ここでは珍しいの? 」
「あぁ、珍しいともさ! なんたってここは時計の国。生き物なんて、限られてる。オレみたいなあおむしか、まぁ、時刻蝶は珍しくないが、それ以外の生き物なんてのは花売りの嬢ちゃんとくらげの変人くらいしか見たこたぁねぇな! 」
「えっ、ちょっと待って! 時計の国? ここは時計の国っていうの?」
「そうさ! 時計の国。知らずにきたのか? 」
黒ねずみはコクリと頭を縦に動かします。
「…じゃあ、何時の扉から来たのかくらいは分かるだろ? 」
「ううん、僕は扉なんて使って無いよ。黒色の時計を見てたらいつのまにかここにいたんだ」
「なんてこった! それじゃあお前さん、出口が分からない迷子ってことじゃあないか! 」
そう言うとあおむしはおろおろとし始めました。
「そうだ! あいつだ! あのくらげの変人! あいつは変わり者だか、頭が切れる。扉のことだって詳しいだろう……。おい、ネズミ! お前さん帰り道が分からないんだろう? それならくらげを探すといい! 」
「くらげ……さん? 」
「そうだ。馬鹿でかい頭して黒いマントを羽織っていて影が薄いやつだ。いつも歯車の間をふよふよと泳いでるから何処にあるかも分からねぇ扉を探すよりかは楽だろうよ」
あおむしはにこにことしており、口は悪いですが、人のよさがにじみでています。はじめは子供と言われてバカにされたように思っていた黒ねずみの少年でしたが、小さくても物知りで力強い話し方をするあおむしに対していつの間にか尊敬を抱いていました。
「ありがとう、あおむしさん! そうしてみるよ! 」
黒ねずみは嬉しくなって心からお礼をいいました。
「へへっ。良いってことよ! 旅は道ずれ世は情けってな! 自分のためにやってるようなもんさ! 」
あおむしは見え見えの照れ隠しをします。もしも、あおむしに手があったなら鼻を掻いていただろうなぁと黒ねずみは思いました。そうして場が和んだ所で、黒ねずみは気になっていた事を聞きました。
「ねぇ、所であおむしさん。」
「ん? なんだい? 」
「あおむしさんは足を使わないの? 足を怪我してるの? さっき移動する時足を使わずに顎とお尻で動いてたよね?」
「あぁ、そんな事かい。いやぁ、恥ずかしい話なんだが……。ほら、オレ達あおむしってのはこんなに短い足がたくさん付いているだろう? それがオレには恥ずかしくてな。……というのもオレは花売りの嬢ちゃんにホの字でな。そういやぁ、お前さんは花売りの嬢ちゃんに逢ったことがあるかい? 」
黒ねずみの少年は首を横に振ります。
「無いかい! そりゃあ、良かった! 出逢ったら惚れずにはいられないほどべっぴんさんだからなぁ……。まぁ、その花売りの嬢ちゃんに始めて出逢った時に、オレはびっくりしたんだよ。なんとその嬢ちゃん二本足で歩くんだ! スラリとした綺麗な足でな、それはもうすごい衝撃だったさ! なんてったてそれまでのオレは、あおむしか時刻蝶かくらげにしか会った事がなかったんだからな。時刻蝶ですら足は六本だしあんなに綺麗じゃない。あおむしなんてこんなに短くて醜いあしがうにょうにょとたくさん生えているだろう? あんなに綺麗な足を見たあとじゃあ、恥ずかしくて使えたもんじゃない! だからこうして顎とお尻で歩くようにしてるのさ! これなら醜いこの足を使わなくてすむからね! 」
「そうかな? 僕はあおむしさんの足はかわいいと思うよ? 」
本当は顎とお尻で動いているのはなんだかおかしい思いましたがそこまでは言いませんでした。
「オイ!オイオイオイ!お世辞はよしてくれやい! 過度なお世辞は嫌みにしかならねぇぜ」
「うーん……。僕は本当のことを言ったつもりなんだけど……」
「まぁだ言うのか! これでもこの事は気にしてんだ! ほっといてくれ! 」
「はっ、はい! 」
黒ねずみの少年はあおむしがなぜそんなにも怒ったのか分かりませんでしたが、これと言ってこれ以上あおむしに用もなかったので、もう一度お礼を言うとそそくさとその場を離れました。