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マエストロと駆け落ちなんて

作者: 南清璽

「駆け落ち!」

 目が点になるだけ。だって突然持ちかけられたんだから。しかも、まだ公演は残っているというのに。もし、舞台に穴を開けたとなったら、今後オペラ歌手としてやっていけない。

「無理に決まっているじゃないですか。」

「分かっている。だが、破壊するしか無いんだ。すべて!」

 私は、マエストロのこういった哲学的な物言いにいつも戸惑いを覚えた。リハーサルでもそう。こんな訳の分からない言い回しをされるばかりにどう表現すればいいのって自問するほかはなかった。

「一体何を破壊するっていうんですか。」

「僕の生活だ。」

 そして、如何にいい夫を演じなければならないかを語り始めたのだ。

「苛まれるばかりだよ。妻に愛され、何不自由ない生活を送らさせてもらいながら、こうやって君と道ならぬ恋に陥っている。愛妻家を装い、人から妬みを受けるぐらいだというのに。」

 そうよね。令室は確か、とある資産家のお嬢様だったはず。そのお陰で彼は実績にもかかわらず、ギャランティーを安く抑えることができたと。だから、多くの楽団、カンパニーから招聘された。

「いつかは破滅するだろう。しかし、僕は敢えて自ら破壊することを選ぶことにした。そうすれば、自身に潜むあこぎな要素が炙り出されるに違いないからな。そうして安堵を得たいんだ。そのまま醜い一面を衆目に晒し、リセットさせるんだ。」

 もちろん、私だって醜い一面はある。でもそれを正視できるかと問われたら果たしてできると言えるものかしら。現にプリマをもらえたのもマエストロとの力だった。でも、それはそれでという具合でもあるのだ。もし、全てが破壊され、茫然自失になれば、次の瞬間に極めて冷静になれるかもしれない。そうなれば正視できるかも。

「センセーショナルだと思わないか。」

 確かに。マエストロとプリマが失踪し、公演に穴が開くなんて前代未聞。世間の耳目が集まるのに決まっている。

「そうなればマスコミは僕がどれほど仮面を被った人間かを暴いてくれる。その衝撃の強さゆえ、新たなものが構築されるエネルギーになるはずだ。」

「新たなもの?」

「破壊こそが創造に繋がるものなのだ。」


 言語処理能力を超えていた。混乱から逃れようと化粧室へと行くと、幾分かの落着きを取り戻した。そうそう。私は「駆け落ちをもちかけられました。」とラインにメッセージを送った。その相手は誰あらんマエストロの令室だ。数日前だった。お会いし、今後も関係を続けるのか質されたのだ。もちろん、「奥様から奪い取ろうとは考えておりません。」とお答えした。そして、何れ清算するつもりである旨も伝えたのだ。そのとき、告白されたのが、資産目当ての結婚だったということだ。何でもご両親は、一人っ子である娘には自分達と同居してくれる人をと考えていた様だ。そして、お父様がその才能に惚れ、婿にと見込んだところ、マエストロも条件を受けいれ、相成ったのがその次第であると告げられた。しかし、いざ結婚してみると一切の性的な営みを持たず、挙句に私と深い仲になってしまった。

 令室からメッセージが返信されてきた。そこには「懲らしめてやるわ。そうフィガロの結婚の伯爵のようにね。駆け落ちの現場に乗り込んでやる。だからそのままそれに乗って!」と記されていた。それに従うつもりだった。協力は惜しまない。そこに贖罪の意味も存在していた。もっとも感傷めいてはいたが。


 私は、後部座席に横たわり、マップで確認した自動車の位置をラインで令室に告げていた。マエストロは何も気にとめず運転を続けた。公演で疲れているのでという言葉をさもあろうと思ったのだ。たいそう曲がりくねった道を走った。着いたのは藁葺の民家だ。山間部?十月といえども寒々としていた。座敷に通されたものの勝手が分からず、その場にかしこまってただ座っていた。ただ、板間の囲炉裏がやけに印象深く、ドラマで観るものと同じだという感慨に耽けさせた。しかし、そういった静寂は程なく破られたのだ。どうやら令室の自動車らしい。だが、ここからは、ありきたりの修羅場とはならず、作為的といえる程、沈着に話を持ったのだ。ただ、マエストロが狼狽していたのは事実だ。その様子に令室は珈琲でも飲んで気を落ち着かせたらと淹れてくれた。


 だが、珈琲を飲んだ以後の記憶は飛んでいた。気づけばまたしても後部座席に横たわっていた。ただ,運転しているのは令室だった。

「よく眠っていらしたわ。でも、あの人と一つ屋根で過ごさせる訳にはいかないから、こうさせてもらったわ。」

 その言葉に恐縮しつつもその運転が、何かから逃れようとしているみたいで、鬼気迫るものがあった。そして、この山間部にしては、何かざわめいているようだった。


 翌日、マエストロがあの民家で焼死体で発見された。失火が原因だとか。もちろん、私も令室も直前まで一緒にいた人物として事情は聴かれた。ただ、令室は私をかばうため、新たに購入した別荘を披露したのだと取り繕ってくれた。私も、それに同調し、翌日公演が控えていたので、令室と共にその晩そこを後にしたのだと。警察の説明では、囲炉裏が失火元だと。ただ、私がいたとき、そこに火を灯してはいなかった。



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