薔薇姫 2
散り散りに逃げ出しもぬけの殻となった盗賊団のアジト。
今度こそ廃墟になるだろうな、と他人事のようにガイウスは思いながら目の前にいる赤毛の戦士とにらみ合っていた。
二度、三度と打ち合ってからお互いに動く気配はなかった。
自分たちのこのアジトで立っているのはガイウスとマクガイル。そして祖国の英雄と呼ばれる赤毛の戦士。平民上がりの騎士デイトリッヒ。
デイトリッヒが連れた仲間たちはマクガイルの魔法によって殲滅されていた。
肩で息をして今にも倒れそうな老魔道士の様子を横目にガイウスは戦斧を突き付ける。
「お前の信念は何だ!」
自分一人では勝てないだろう。数度の打ち合いで分かっていた。自分ではこの男に絶対に勝つことはできない。
そう感じさせるものがこの赤毛の男にはあった。
少しでもマクガイルの体勢が整うまで時間を稼ぐ必要がある。
「もちろん、平民が自由に暮らせる世の中を作るためだ」
迷いなく告げるデイトリッヒにガイウスは苦虫をかみつぶした。
この世の中、理想だけで成り立っているわけではない。
事実、国から切り捨てられた元義勇軍。その理不尽さはよくわかっていた。
「仲間にならないか?」
そう続けるデイトリッヒにマクガイルは首を振った。国にしっぽを振る気はないと。
「俺はこの国を変える! そのための力が欲しい!」
「たかだか平民上がりのただの騎士に何ができる!」
「できるさ」
不敵な笑みを浮かべてデイトリッヒは剣を収めた。
鎌の柄頭で打倒した少年を見て漆黒を身にまとった女はうんざりとため息をついた。
「頭が沸いているのかしら」
毒づいて見下ろす。
プラチナブロンドの髪が印象的だった。
わずかに開いている瞼から朱色の瞳が揺れる炎に反射する。
再度ため息をついてその瞼を閉じさせた。
見ていて気持ちのいいものではない。
「あなたが欲しい!」
いわれた言葉を思い出す。
本当にどうかしているとしか思えない。
『姫』である自分に何を狂ったことを言っているのだろうか。
和の国が退魔士として育て上げた部隊。【御霊喰らい】
その中でも戦闘力が高く、騎士団であれば将軍やそれに準ずるもの。あるいは集団行動のとれないものの一騎当千にちかい戦果をあげられる者が姫と呼ばれている。後者であればある意味蔑称であると薔薇姫はそのことを自覚していた。
事実、後者である薔薇姫は攻撃的な性格から扱いが難しいとされている。
姫。
国内からはその高い能力に畏怖を感じるものが多い。
平時であれば姫という言葉を聞いただけでその場から立ち去ろうとする者もいるほどだ。
「霊力が同調しているみたいね……」
気味悪そうに両腕を抱きすくめて少年から数歩後ろに下がった。
二度目のキスで自身の記憶が流れていったのを感じていた。
同時にこの少年の魔力が流れ込んでくるもの感じる。最初は一方的だったものの今では循環するように落ち着いてきている。
自分が自分でなくなっていくような感覚に鎌を持つ手に力を込めた。
──今ここで殺すべきか──
このままでは脅威である。
鎌を持つ腕を振り上げてかぶりを振った。
霊力が循環してしまっているのなら、この少年を殺してしまっては自分に不都合が起こりかねない可能性もある。
「連れて帰るしかなさそうですわね」
嘆息し、ポケットの中に手を入れる。
お気に入りのハンカチが一枚。
ゆれる炎に浮かび上がる銀髪の少年。
手にしているのはお気に入りのハンカチ。
「仕方がないですわね」
猿轡にして縛り上げると大鎌を舞うように振り下ろした。
「────っ!?」
激痛に覚醒しのたうち回る少年を蹴り転がして仰向けにするとその胸部に踵で踏み抜く。
目を見開いて声にならない絶叫を上げる少年の端正な顔を見てゾクりとする。
(加虐趣味に目覚めてしまいそう)
そう強くそう思考すればこの少年には伝わるだろう。
折れてブランとした左足を峰でえぐる。
ちゃんと思考が伝わったのだろう。自分を悦ばせまいと必死で痛みに耐える姿がいじらしく感じる。
「じゃあ、もう一本ですわね」
振りまわされた大鎌が右足を砕く。
「わたくしの純潔を奪ったお礼として両腕も潰しておきますので覚悟してくださいましね」
うっとりとした表情で囁くと薔薇姫の持つ大鎌が夜空の下で舞い踊った。
ぐったりとした様子で薔薇姫は自身の屋敷の座敷の上でへたり込んでいた。
足を負ったことを後悔しながら隣に転がっている少年を軽く睨む。
各所で彼女が所属する【御霊喰らい】が利用する転移の方陣を利用して自宅に戻ったものの、やはり担いで歩かなければならない箇所もある。
例えば、野営をしていた場所から設置された方陣までの道。転移先の方陣から自宅までの道。
少年の見た目だけならそれほど重そうには思えなかった。
が、彼の纏った衣類のせいだろう。と彼女当たりをつけた。
香術を使って身体能力を向上させていたのにこのざまかとため息をついて隣で気絶している少年を見やった。
あの嵐の海の向こうからやってきたのだろう。
たまに漂着する漂流者。
顔だちと顔色をみるからにそれなりに身分は高い方なのではないかと思う。手足を砕かれているせいで顔色が青ざめているのは仕方がないであろうが。
「どうして持ち帰ったのかしらね?」
嘆息交じりに自問して額に手をやった。
あのままあの場所に放置していても良かったはずだ。しかし、
「私の霊力と同調したことも確かですわね。なのに私はこの者から情報を引き出せない」
霊力の流れは一方通行なのだろうか。
そう思うが違う。
これに似た力を持つものを彼女はよく知っていた。
御霊喰らいの統領。姫。
黄泉姫。
女性だけで統括された戦闘部隊。
魔を狩る者たち。
その統領である黄泉姫が持つ特別な能力。その魂に同調するように。その霊力に適応するように調整された少女たち。
「私はこの男の寵姫にされたというのかしら」
どう見ても男に見えないが、担いで連れてきたときにはっきりと分かった。
これは間違いなく男だ。
だとしたら不愉快である。
御霊喰らいの、黄泉姫には劣るとはいえ姫たる自分を、たかだか男如きに寵姫にするなどと冗談ではない。
ここで殺してしまおうか。
身を起こしながら懐に忍ばせていた短刀を取り出す。
──あなたが欲しい──
その言葉を思い出して激情に駆られて短刀を抜き放った。
不愉快だ。
振り下ろした短刀は広げられた少年の手のひらを座敷に縫いとめた。
痛みに目を覚ましたのだろう。
悶絶しながらのたうち回る少年を見て暗い笑みを浮かべる。加虐心が鎌首をもたげてきた。
少年の頭に手を伸ばし猿轡にしたハンカチをほどいた。
「叫んでもかまいませんわ。助けを求めても誰も助けには来ませんけれど」
両の頬を包み込みながら濡れた声音で告げる薔薇姫の目を見てレインは動くのをやめた。
ごくりと唾を飲み込む。
二重になった視界のうち、目の前の女の視界を意識の外に追いやるように息を吐く。
香術。
香を触媒にした魔法なのであろう。呪文というものが存在するだろうかと痛みに喘ぎそうになるのをこらえる。
視界を下に落とすと掌に刃物が付き立っていた。歯の向きは外側。肉だけを貫いている。
四肢の骨は砕かれていた。
いざというときに使う治癒魔法のスクロールはない。
四肢欠損した場合にも有効な治癒魔法は一応覚えていた。だが一瞬で回復させられるほどの力量ではないと少年は自覚していた。
どんな魔法でも「一瞬」では治すことはできない。
添え木なしで完全治療。できるか?
痛みに術式の制御を行うだけの精神力はないと、なけなしの冷静さで考えながら薔薇姫と名乗る女に視線を戻した。
「あら? もう叫ばないんですの? 痛みにもだえ苦しんでも良くってよ?」
にっこりと。
本当ににっこりとほほ笑む。こんな状況でなければ目を奪われそうだとどうでもいいことを思い浮かべて胸中で頭を抱えた。
(こんな時に何を考えている!?)
「ねえ? どうやったのか知らないけれど私を隷属させようとしたみたいね?」
「隷属?」
思いもしない一言に訝し気に眉を顰める。
「私を寵姫にしたいのではなくって?」
ちょうき? なんだそれは?
言っている意味が分からない。
ちょうきなどという言葉など生まれてこの方聞いたことがなかった。
「あなたのいっている意味が分からない。まず、ちょうきというのは何なんだ?」
苦悶を浮かべたままそう問うと不機嫌そうに
「この期に及んで寵姫を知らないとぬかすのかしら? 寵姫としたものの五感を共有させ術者に隷属させる方術。私の美しさにそのすべてを奪いたいと思うお気持ちは……そうね。わからないでもないですけれど。姫たる私を隷属させようだなんて……ふふふ」
狂気に染まった薔薇姫の表情を見た瞬間にレインは覚悟を決めた。
逃げ出さねば尊厳すらも許されない目にあわされるだろう。
頬を挟まれた状態では呪文は詠唱できないし唱えれば即座にばれるであろう。歯を食いしばり睨むでもなく彼女の目を見つめる。
一節も詠唱できない。
「覚悟はお決まりかしら?」
かわいらしく首をかしげて見せる薔薇姫に心底恐怖を覚えながら叫ぶ。
「決まるわけないじゃないか!」
その言葉を呪文にして開放する。八対の翼と天使の輪が顕現すると翼をはためかせてその場から飛びのいた。ぶちぶちと音をたてて掌が避けていく音が体内から響くのを聞いて嘔吐しそうになるのをこらえて薔薇姫を見据えた。涙ににじんだ視界は薔薇姫だけを捉えていた。
二重に映る視界ではない。
自分だけの視界!
その現象に絶句している薔薇姫を尻目に早口で呪文を唱えて開放する。
「ハイリカバリ!」
ぶらんと垂れ下がった四肢と掌に激痛が走る。鈍い音ともに内部から噴き出す血液。内出血した血液を無理やり外に吐き出した音だった。
すぐに動けることを優先して神経から治癒させた自分の考えを呪いながら翼から溢れる余剰の魔力を術式に流し込んでいくと数秒のうちに四肢の痛みが引いた。掌の痛みもない。
刺された箇所を見下ろして、掌を握ったり開いたりして確かめてみる。
多少引きつる違和感があるものの無事に回復させることが出来たようだった。
顕現を解くと自由落下をはじめて座敷の上に降り立った。
着地の衝撃にカクンと膝が折れた。
本調子ではないらしい。
「悪いけど抜け出させてもらったよ」
告げると目を見開いた薔薇姫が面白そうな表情をして。
刹那、獰猛な表情を浮かべた。殺気が室内に充満する。
視界はダブらない。
自分だけの視界の中で凄絶な微笑みを浮かべて座敷に転がっていた大鎌を持ち上げる薔薇姫をみた。
「それならばもう一度四肢を砕いて今度こそ屈服させてあげますわ」
一息にそう宣言する薔薇姫にプラチナブロンドの少年はナイフを取り出した。
構える。
「ですが──」
ふぅ、と息を吐いて薔薇姫は首を振った。
手にしていた鎌を放り投げると自身も座敷の上に転がった。
「私もいい加減疲れましたし、わが家がこれ以上汚れるのも嫌ですの。そこでここは一時休戦としませんか? 部屋数もそれなりに多いですし一つ隣の部屋を使って休んでいただいてもかまいません」
先ほどと打って変わってそんなことをいう薔薇姫に目を白黒させていると彼女はそのまま続けた。
「もちろん、寝込みを襲うなどと下種な真似をしたならば男として生きていけない体にしてあげますが」
「するわけないじゃないか」
完全に毒気の抜かれた声音で答えるレイン。
先ほどの殺気は何だったんだと手持無沙汰になったナイフをしまうと数歩身を引いてレインも座り込んだ。
寝転がってこちらを見上げてくる薔薇姫。その中に若干のあどけなさを感じて若干の戸惑いを浮かべて宙を仰いだ。
木造の天井。
木造の家屋。
見たことのない床。
「あ、靴を脱いでくださいませ。あなた方の国の風習は知りませんけれど私たちの国では室内土足厳禁ですの」
そんなことを口にする薔薇姫からはすでに緊張感が抜けていて年相応といった困ったような表情を浮かべていた。
ここ何話か主人公気絶が続いてましたが今回は意識があります(笑)。