和の国
水中から轟く爆音。立ち上がる水柱。それを見ながらガイウスは引きつった頬をかいて甲板の中央にいるマクガイルに視線を向ける。目を血走らせながら船体に対して張られた耐衝撃用の障壁を必死で維持に徹していた。
あの爺さんがいるなら大丈夫だろうと、今までの経験から安堵する。
数度目の水中からの爆発を境に数刻後海は静けさを取り戻した。
「なぁマクガイル……」
浮かんでこない人影を甲板から身を乗り出して見下ろす。
大量の赤い血に染まった水面から目を逸らすようにしながら、
「あいつ、餌とかいう言葉理解してなかったんじゃね?」
ガイウスの言葉に老魔道士は引きつった笑いで頷いた。
「思った以上に好戦的な性格じゃったのかもしれんの」
まさか水中戦で海竜をどうにかするとは考えなかったと遠い目をするマクガイルにデイトリッヒは痛む頭を軽く振って問う。
「あの世間知らずのエルフもどきは帝国の貴族なのか?」
だとしたら下手をすれば国際問題になるな、とこめかみを抑えた。
「城塞都市ロゼの第三位継承権所持者という微妙な立場じゃな」
「んで疑似天使か。指名手配待ったなしだな」
これで賞金額が鰻登りだと開き直ったようにガイアスは笑う。
思わず船から蹴り落としたくなる衝動を必死でこらえてマクガイルに視線を向けた。
マクガイルの足元には幾重にも描かれた魔法陣が明滅している。空気中に魔法陣を描いて詠唱した呪文と複合させた探査魔法を使用しているとのことだった。
言葉の上では理解は示せたものの、この魔道士が規格外のことをやっていることだけはわかる。マクガイルであればおそらくあの少年を見つけることが出来るかもしれない。
しかしマクガイルは首を振った。
「探査魔法には引っかからんかったから近くにはおらんようじゃの。爆発に巻き込まれたか流されたかのどちらかじゃろうな」
お手上げだといわんばかりに両手を上げる。
「ことが露見しないようにしばらく国に帰らん方がいいだろうな」
どこかすまなさそうにガイアスはそういうのをきいて、デイトリッヒは盛大にため息をつくのであった。
気が付くと澄み渡る青空があった。
背中が痛い。
「目が覚めたか嬢ちゃん」
野太い声に半身を起こしてそちらを見ると浅黒い肌をしたマッチョ男がそこにいた。
周囲を見渡して自分が小さな漁船の上にいるのだと気が付く。
「助けてくれたのか」
「ああ、小舟か何かの残骸につかまっていたのを見かけたからな」
「そうか。ありがとう」
「いやいや漁のついでさ」
笑いかけると照れたように漁師は頬をかいた。
またか、と思いながら自身の体へと視線を下す。両目、両耳に異常はないようだった。両手両足を動かしてみるが不都合はなさそうだった。幸い欠損部位はない。
そのことにホッとして、気が付く。
塩まみれだった。
「ピュアディテージ」
洗浄の魔法を使って汚れを落とすと漁師は驚いたように目をむいていた。
そんなに魔法が珍しかったのだろうかと首をかしげる。帝国の国民や平民で魔法を使えないものがいるという話は聞いたことがなかった。農民であろうと四大魔法くらいは使ってみせるのだ。
そこまで考えてから首を振った。
何らかの理由で魔法を禁忌としているがために魔法そのものを知らずに育ってきたものもいないとは限らない。
(迂闊であったかな)
内心で舌打ちして素知らぬ顔で進行方向に頭を向けた。
遠くに陸地が見えていた。
こんな小さな船でここまで移動するのかと感心する。
「この若さで陰陽士だったのか」
そんな独り言が聞こえてくる。
オンミョウシ。
なんだそれはと思ったものの聞こえなかったことにする。
違う言葉で置き換えられているだけなのか。
あまり目立って魔法を使わない方がいいだろう。
港に着くまで当たり障りのない会話を漁師としながら、それとなく情報を仕入れていく。
漁師は和の国の人間種らしい。陰陽士とは護符や香を媒体に魔法を扱う者。魔道士というものは存在しなさそうだった。
話を聞く限りでは生活水準は低くはなさそうで、平民であろうとそれなりに生きて行けるらしい。魔物への対処は自警団と王の特殊部隊である女性たちが行っているらしく、それの影響か女尊男卑といった風潮がある。
殴り合いの喧嘩で妻に勝ったことがないと笑う漁師をみて、小さなころに姉たちに理不尽な扱いを受けていたことを思い出した。
帝国では貴族の義務の一つに徴兵制度がある。
もちろん男女問わずだ。そのためなんの訓練を受けていなかった当時、年の離れた姉たちにいいように玩具にされた記憶が思い浮かぶ。
若干憂鬱になりかけたところで港が見えてきた。話題を変えてとりとめのない話をしていると港に辿り着いた。
漁師に礼をいい何か礼にと差し出そうとしたところで気づく。
着の身着のままで海に飛び込み、海竜と戦闘を行うなかで気絶して漂流していたのだ。何一つとして荷物を持っていなかった。
自分の姿を見下ろすと戦闘服の上にコート。投げナイフが二本。金目のものはない。
ナイフしかないか、と一本のナイフを鞘ごと取り外して漁師に差し出した。
「礼がほしくて助けたわけじゃないぜ」
キラリと歯を輝かせながらどや顔する漁師は丁重に受け取りを辞退した。
そしてこそっと、ほかの女に色目を使ったり贈り物をされると妻にひどい目にあわされる、と本当の理由を教えられた。
それならば仕方がないかもしれない。
仕方なく頷くとその場で漁師と別れた。
漁港から町に向けて歩いていくとまず市場が姿を見せた。
海産物をメインとしたものが軒先に並べられ、屋台からは魚を使った料理のにおいが漂ってくる。男性女性問わず売り子をしている様を見る限りほかの国と変わりはなさそうに見える。
歩き進むたびに屋台から漂ってくる匂いにつられて腹の虫が鳴き声を上げた。
金がない。
ため息しか出ない。
早急に何とかしなければならなかった。
なにか依頼を請け負っているところはないかと通行人に聞くと酒場に行けばいいと告げられる。道順を聞いて酒場に向かうことにした。
潮の香りが少なくなり、代わりに喧騒が大きくなる。
活気づいた街並みを見る限り、漁師に聞いた通りにいい街のようだった。
きっちりと区画整理されているおかげで、思った以上にあっさりと酒場に辿り着くことが出来た。
酒場の外からも喧騒が聞こえてくる。
昼間だというのに酒場は賑わっているようだった。
そういえばデイトリッヒたちは無事だろうか、などと物思いにふけりながら入口に近づいたところで酒場のドアが開いた。
(横に?)
キョトンとしながら酒場から立ち去る男たちを見送る。
ドアは閉まっていた。
よく見るとドアノブはなく、手をひっかけるための窪みがあった。
それに指をひっかけて開けるのだろう。
恐る恐るといった風情でドアを開けてみる。
(そういえば前の世界でもこういうのがあったような……。引き戸だったっけ?)
月日が経つにしたがって曖昧になる記憶達。引き戸のように何らかの切欠がなければ思い出せなくなっていることに気が付いて苦笑する。
カランカランと金属音を立てる入口を踏み越えて周囲を見渡す。
酒場の奥にあるカウンターの横にいくつかの張り紙があった。
おそらくあれであろう。
「こんにちは」
張り紙の近くにいる黒髪の女性に声をかけてみると不審げに顔を向けられた。
「どうしたんだい?」
近づいてみてわかる。細マッチョといえばいいのだろうか。
しっかりとした肉付きの女性だった。不愛想に値踏みしてため息をつかれた。
「海の上で荷物をなくしてしまって一文なしなんだ。仕事を探している」
「そう」
どうでもよさげに頷くと張り紙に視線を向けた。
「外人さんだろう? 外の国では識字率が低いというけどあんたは字を読めるかい?」
視線を追って張り紙の一枚に目を通す。
若干の癖はあったが読めないことはなかった。
頷く。
「それなら対応できるものであるなら好きに選ぶといいよ。ああ、紙ははがさないでおくれよ? うちでは達成出来たらはがされるようになっているんだ」
誰かと依頼が被ってしまっても達成したもの勝ちだという女性に頷く。
「依頼者の名前があるものに関しては交渉に関しては依頼者に直接掛け合うといいよ。名前がないものは私が請け合おう」
「ならこれを」
依頼の内容は街道に現れるコボルトの討伐だった。
金額的にも悪くないだろう。
「武器は持っていないようだが大丈夫なのかい?」
注意深く全身をなめるように見られ身震いしそうになるが耐えて頷いた。
「陰陽士……じゃないね。外の国では魔道士かなにかかい?」
「一応魔法も使える。どちらかというと剣の方が得意だけど」
苦笑して肩をすくめて魔法でも対処できるから構わないと告げるとそうかい、とにこりともせずに頷くと
「それなら討伐してくるといい。討伐したコボルトの左耳を集めてきな。集めるための袋は……仕方ない。貸してやろう」
そういうとカウンターの下からぼろぼろの麻袋を取り出してくる。
準備がいいものだと思いながら、礼を述べると気にしなくていいと彼女は手を振った。
「ところで僕の名前とか……」
「いらないよ。結果を出してからで構わない」
「なら結果を出させてもらうね」
にこりと微笑んで、折りたたんで丸めた袋を腰の後ろにある金具に留めると依頼現場の場所と方角を聞き、最後に礼をいって酒場を後にした。
日はまだ高い。
現場に辿り着くまでそれなりに時間はかかるだろう。おそらく行くだけで一日費やすであろう。
街で野宿するか町の外で野宿をするかの二択を考えて後者を選ぶことにした。
まず金がないこと。そして空腹であること。支払うものがなければ食べるものも寝る場所も確保できない。
街の外であれば動物を狩ることもできるだろうし、川があれば魚を取ることもできなくはない。
つくづくサバイバルの経験があってよかったと苦笑して街の外に向かった。
「さっきのは?」
いつからこの酒場にいたのだろう。
プラチナブロンドの少年が酒場を出ていくのを視線だけで見送りながら漆黒に身を包んだ女がカウンターにいる女性に声をかけた。
「薔薇姫様……!」
驚いて敬礼を取ろうとする女性を手で制す。
年は二十前後だろうか。綺麗というよりもかわいいといった印象の女性だった。背中まで伸びた黒髪に癖はなく、すとんとまっすぐに下りていた。
漆黒のワンピースから色白のすらりとのびた手足がのぞく。
姫。
「教えて頂戴。桜」
怪しげに口元を歪める薔薇姫と呼ばれる女に問われてさっきまでのポーカーフェイスはどこに行ったのか狼狽した様子で、首を振った。
「詳しくは聞いていません。ただ、海の上でなくしものをしたという話と雰囲気から漂流者ではないかと」
時期からして密航してきたわけではないだろうと。
ここ半年外部から船がやってきたという話は彼女の知る限りはない。
「受けた依頼はこのコボルトの討伐かしら?」
笑って手を振ると文字が剥がれ落ちて踊る。
その後ろには九尾狐の討伐とあった。
それを見てゾッとした顔で薔薇姫を見た。
姫。
この和の国の特殊部隊の中でも上位の実力者に与えられる称号。
「あの子、面白そうよね? 遊んできてもよろしいかしら? ね、桜」
言外にこの件にかんして黙っていろと流し目を送ると身震いしながら頷くのが見えた。薔薇姫は満足げに微笑むと身をひるがえす。
ざぁっという音とともに漆黒の女の姿が消えうせる。
「……っ」
この場からいなくなったのを確認した途端、緊張が抜けて膝から力を失って桜は床にへたり込んでしまった。