海中戦
魂は形によって変異していくものである。
とはこの世界の書物で読んだことがある。
召喚される前の自分は成人式に行く前だったとはずだが召喚前の記憶はおぼろげだった。何しろ召喚先の自分は乳児だったというのだから、召喚時に可逆的な何かがあったのかもしれない。それに伴って体の成長とともに人格も変化していった。
後天的なクォーターエルフとはいえ体組織全体が違うのだろう。異世界である。
見た目が同じでも何もかもが地球と同じ構成をしているとは限らない。
例えば幼い子供が吸血鬼になったとして吸血衝動を抑え続けることが出来るのかと聞かれるとイエスとは言い切れないだろう。はじめはあったかもしれない罪の意識は次第に薄れ、心も体も吸血鬼と変化するはずだ。
種族的な本能や体質に能力。そして生活や教育によって幼子となった体はこの世界に持ち込んだ人格を徐々に蝕んでいった。
「過去の自分の話し方なんてまったくわからないし、生まれ変わったようなものだよね。実際のところ」
大きく伸びをして呟く。
「ピュアディテージ」
光の輪が頭頂部からつま先まで包み込んでいくと汚れが消えていく。
洗浄の魔法で清めてからほっと息をつくともう一度ベッドに潜り込んだ。
揺れる船体。
倒れる備え付けの家具。
ベッドから転がり落ちた少年は目をぱちくりとさせてから慎重にベッドまで戻った。
どうやら海が荒れているらしい。
上下左右に揺られる船の客室で思い浮かんだのが先日ナンパしてきたデイトリッヒの顔だった。
赤毛の男がいるから難破しかかってるんじゃないのか。
不意に過去に遊んだゲームを思い出す。
赤毛の剣士が乗り込んだ船は難破してどこぞの島や大陸に流れ着く。そこで出会った人たちを助けたりしながら巨悪と戦う冒険RPGだ。
「いや、デイトリッヒのせいじゃないよね」
ため息をつきながら対処法を考えて実行してみる。
まず宙に浮かんでみた。最初のうちはよかったが次第に壁や床にしこたま殴られることになった。
自分の周りに防御結界を張ってみると、接触した壁が陥没した。
二つ試したあたりで盛大に船酔いをし始め気休めに酔い止めと精神安定の魔法をかけ続けることになった。
多少魔力を消費するが嘔吐するよりはマシである。
予測不能な揺れに投げやりに身を任せながらベッドにしがみついていると奇妙な気配を感じた。
「ここにいる限りは安全ですよ」
「都市の外は危険ですから」
騎士たちからよく聞く言葉だった。
結界が存在しない町や村の外は魔物が闊歩する危険地帯である。
基本的に街道などは神聖系統の付与魔法で魔物を寄せ付けないようにしてはいるが気休めでしかないと、プラチナブロンドの少年はその身をもって体験していた。
まぁ、安全じゃないですかね?
などという行商人の言葉に、大丈夫であろうと一人で街道を歩いたのが間違いだった。
十数匹の野犬に襲われ撃退し、ワイバーンにブレスを吹かれて撃退した日は街道から大きくそれたところで戦闘が終了し、ほっと一息ついたと思ったらコボルトの巣穴に足を突っ込んでいた。
「つくづく運がないというか、最後のは間抜けとしか言いようがなかったたよね」
嘆息して探査魔法を構築すると船体の下に何やら大きな反応があった。
客室にある窓に視線を向けると晴天。
明るい日差しが窓から客室に滑り込んで舞い踊っている。埃だが。
「運がない。デイトリッヒじゃなくて僕の運のなさが原因かな」
歯ぎしりしながら荷物に視線を向ける。
剣術指南と魔法指南に来ていた二人の教師から指導と協力を得て作った戦闘服が入っているはずだった。
「アポート」
簡易詠唱で荷物を引き寄せると中に入っていた黒地の素材に強化の魔法陣で構成された魔法銀の刺繍の入った戦闘服に着替えて装備を整えていく。投げナイフ二本を取り付け、防御障壁をかけた純白のコートを羽織った。
剣を手にしようとしてやめる。
船客がいるまえであからさまに武装しては走り回るわけにはいかないだろう。
右手の中指にはめられた黒い指輪をなでながら立ち上がる。
揺れにもだいぶ慣れてきた。気分は悪い。慣れてきたと思い込む。船酔いはしていない。絶対に。
何度も言い聞かせながら通路に転がり出ると強化の魔法陣に魔力を流す。これといって光るなどの反応もせずに付与魔法が発動した。
(戦場で馬鹿みたいに光るとかありえないよね)
ゲームはゲーム。あれは演出だ。
実際に光られたら格好の的だ。
デッキに向かって走っていると赤毛の男が目に入った。
「気が付いたのか?」
ドラゴンの素材でつくった軽装の鎧と長剣で完全武装したデイトリッヒの隣に辿り着くと彼の後ろには魔道士姿の老人と大柄で屈強そうな戦士が控えていた。
斧を持った男が鼻を鳴らす。
「海竜がいるようじゃの。詳しい種類はわからんがの」
「と、いうことらしい。お前は危ないから客室に戻ってろ」
デイトリッヒがにやりと笑うと船が大きく揺れた。
拍子に後頭部を壁にぶつけるが何事もなかったように戻れと通路の奥へと指をさした。
若干涙交じりになりかけているところを見るとそれなりに痛かったのだろう。
「女みたいな奴がいても役に立たねえよ」
「ガイウス」
たしなめるように魔道士が声をかけた。
「こやつは戦力になりそうじゃしの?」
そういって骨ばった指をレインの右手に向けた。
ガイウスとデイトリッヒはどういうことだと魔道士に視線を向けた。
「話をしている場合じゃないでしょ」
右手を隠すようにしてレインはデッキに向かうのを再開すると、ふんと息を吐いて魔道士がそれに追従する。一泊遅れてデイトリッヒとガイウスがそれに続いた。
「お主疑似天使じゃろ」
背後から魔道士が囁いてくるのを聞いてレインは首筋をぞくりとさせた。
「一度見たことがあるんじゃよ。疑似天使の力を行使する人間をな」
「それで?」
努めて冷静な声を出しながら並走し始めた魔道士を見る。
「実戦経験はあるのかの? かわいい坊ちゃん」
そういってちらりと後ろの二人に目をやると魔道士は鋭い目で見つめてきた。
「少しだけでこの力を戦闘に使ったことはないよ。それと僕の名前はレインだ」
その言葉に軽く目を見開いてかぶりを振る。
そんなわけがないと呟いてちらりとクォーターエルフの少年を観察してもう一度かぶりを振った。甲板と通路をつなぐ扉の前に障壁を張ると魔道士は意外な脚力で先行し始めた。
「マクガイルじゃ。戦闘はわしの指示に従ってくれよな?」
甲板に転がり出ると大荒れな海とは対照的に雲一つない青空が広がっていた。
海水が容赦なく船に襲い掛かっている。
沈没していないのが不思議なくらいだった。
「で、どんな作戦を出すんだ爺さん!」
ガイウスが戦斧に手をかけながら声を上げる。
「釣りじゃよ」
世間話のように言うマクガイルに三人は眉をひそめた。
「エサはそこの嬢ちゃんじゃ」
「……」
笑えない冗談に思わず半眼になる一同。マクガイルは続ける。
「そやつは天使だかなんだかと契約をした疑似天使じゃ。海の中でも大丈夫じゃろ」
「この海の中とか……耄碌したか……」
うなだれるかかるのを必死でこらえて、海面を睨んだ。
魔物とはいえそれなりに知能はある。海竜は水棲でありめったに海上に姿を現さないことが知られている。
危険を冒して海中から姿を現すより、水面下から攻撃をした方が安全であることくらいは海竜も理解している。擬似天使としての能力を使えば、恐らくは海中戦も出来るのではないか? とマクガイルは告げる。
ゆれる船体の上で津波のように押し寄せる海水を被りながらガイウスも何とか納得したようだった。
「よし、いってこい!」
味方が一人減った。
嘆きながら恐る恐るデイトリッヒを見やる。
視線が合うと首を振って海面に視線を投げた。
「満場一致じゃの」
にやりと笑うマクガイルをみて頭を抱えた。
「実家じゃこの力ほとんど使ってないからぶっつけ本番なんだよ……」
呻くレインに飄々と非情な宣告をする。
「どうせわしらが行けば即死じゃし生存確率が上がるだけましな方じゃて。それに疑似天使はどうであれ精霊使いは見たことがあるじゃろ? 伯爵公子殿」
「気づいていたのか」
「これでもお隣さんの元貴族じゃからの」
驚いて目を見開くと老魔道士はわざとらしくほっほっほっと笑い出す。
「しかし伯爵公子殿の反応素直すぎじゃな。偽名も使っとらんし、もう少し慎重にならんと生きづらいと思うがの」
あっさりと認めたことに苦言を呈されて思わず苦笑いしそうになる。間違いない。確かにマクガイルの言う通り慎重さが足りないだろう。
仕方なしに認めると親指で指輪をなでながら甲板の先端にゆっくりと歩いていく。
「うまくいけばいいけど」
呪文を詠唱しながら柵の上に飛び乗って数年ぶりに疑似天使の力を解き放つ。同時に呪文も完成させる。
「アクアブリーズ」
とたん息苦しくなる。
水中で呼吸ができるようになることの引き換えに空気中での呼吸が出来なくなる魔法。素潜りの漁師などがよく使う魔法だが、駆け出しの若い漁師は水面から顔を出して酸欠になって死にかけ、意識を失った拍子に術式が解け海の中で溺死するといった事故が年に数件発生している。
背中と頭上に魔力素子でできた八対の光の翼と天使の輪が顕現していた。
軽く宙に浮かび水面を見つめる。
肺の中の空気を絞り出すようにして水中呼吸の魔術を念のためにバックアップ用に待機状態に設定すると海中に飛び込んだ。
翼をコントロールして前に進む。
空中でなくてよかったと心の底から思う。
今の制御の仕方だと勢い余って地面に激突するだろうと分析する。
船体の下方にいるのは海竜だろうか。三匹ほどの小さな竜種が暴れていた。
「というか、あれ。喧嘩だったりしないよね……」
頭を抱えたくなるのをこらえて展開していた翼と輪を霧散させる。
そのエネルギーを掌に引き寄せてレインは囁いた。
「ヴァニティ」
使い慣れた大きさの両手剣を構え、余剰分の魔力素子を利用して海竜たちに突進した。
さすがに争いあう海竜たちもクォーターエルフに気が付いたのか首を向けると大きく口を開いた。何か光るものが見える。
「断ち切れ!」
水中で放たれた光線を勢いに任せて切り裂いてそのまま海流の一匹の顎を斬りおとす。
何とも言えない動きで暴れる海竜から逃れるために翼を展開させてなんとか回避して左腕を突き出しかけるのを必死でこらえて叫ぶ。
「アテフレイム」
神聖魔法の一つ。浄化の炎などといわれている。その効果を体感して何が浄化だと破壊後を見て思ったものだった。異世界の記憶のせいだろう。なにしろ宗教がないがしろにされている国家だったし、宗教戦争はもちろん新興宗教はろくなことをしないと意識させられる事件が起こっていたからだ。
さておき神聖魔法というものは見た目の通りに物理的な効果を発揮しない。例えばこの魔法の炎は熱量を持たないから対象を燃やすこともない。
ただ攻撃性を持たせるように術式を組めば破壊するだけの魔法だ。
暴れる海竜と絡まったもう一匹とを巻き込んで破滅の炎が飲み込んだ。
海水ごと焼失し引き寄せられるのを必死で逃げ出しながら一瞬真空状態の空隙に飲み込まれてもがく海竜を見据える。展開した翼を魔力素子に可逆変換をし、それを剣にまとうと発光し始めた剣を振り絞った。
「悪く思わないでよ」
放たれた魔力刃が海竜に直撃し爆発する。
そして
自分の起こした爆発に巻き込まれてあっさりとレインは意識を手放した。