プロローグ
雲一つない夜空にはキラキラと光る星屑たち。月は出ておらず、照らされる星明りの中に一人の少年がいた。プラチナブロンドの髪に整った顔立ち。耳はややとがっているもののエルフ族より耳が短い。
(というのもエルフとのクォーターだからという理由らしいんだけれど)
ガラスにかすかに映り込んだ自らのシルエットを見てそっと息を吸い込んだ。
鼻腔に満たされるのはバラの香り。
彼がいるのは広い庭園の中だった。
城塞都市ロゼ。帝国の辺境伯領。初代伯爵のバラ好きが高じて領内には一般開放された薔薇園があることから薔薇の都と呼ばれることもある。
(この庭園も薔薇尽くしていうのもなんだかな)
嘆息交じりに巨大なガラスで出来た巨大な温室の中を見やりつつ、踊るように歩いていく。別に頭がおかしくなって深夜徘徊しているわけじゃないんだけどなと胸中で言い訳交じりに考えながら注意深く進んでいく。
辺境領ということもあって都市全体に防衛能力に特化した結界を展開しているのだが、領主の館そのものには過剰といえる警備結界が張り巡らされていた。
通常であれば結界の起点にドーム状に結界を張るのが定石であり常識的な使用方法だが、何を思ったのか地面の中まで球状に警備用魔法を展開されていた。
(だけど問題点はいくつかある)
幼いころから何度も聞いた内容を頭の中でそらんじながら目を凝らす。流れる魔力を見通しながら警備網を潜り抜けていく。
一つは消費される魔力と簡素化された術式にある。
常時展開を想定して作られたこの結界は元々、魔道士たちが野営をするのに用いられているものだった。周囲に結界を展開しその内部に警報やトラップの発動を行う術式を結界内で飽和状態にしたものである。
個人で一晩使う分にはそれほどでもないのだが、広大な土地を覆うとなると一気にコストが必要になるためいくつかの機能は簡略化されたり削除されており、感知術式を飽和させずに格子状に編み込むように変更されたり、トラップ機能は有事でなければ作動しない状態になっている。
術者や登録された人間に感知術式が引っかからないように設定されるのが普通なのだが、識別能力の一部をあいまいにすることでコストの削減を行い、館の主の行動すら術式によって監視されるありさまである。
感知術式から逃れたければ格子の中を掻い潜るしか他なく、少年は器用に術式を避けて一歩一歩すすみ、やっとのことで館を巡る城壁にまで到達した。
空を見上げると、雲一つない夜空。
月は出ておらず周囲を照らすは星明り。
わずかな明かりの中でもわかるほど整った顔立ちをしていた。少女じみた容貌の少年。
薄く口元を笑みの形にゆがめてから口の中で呪文を囁く。
エルフ種に似たその名残を見せる短い耳。
クォーターエルフの少年。
「母様ごめんなさい」
その言葉をキーワードに魔法を展開させる。
領主の館にある結界と城塞都市に張り巡らされた結界の一部の力を利用して。
不意に思い出されるこの館での生活。
この世界を旅したいと告げるや否や彼は地獄に叩き落された。
例えば休みなく行われる鍛錬の日々。
剣と魔法とサバイバル。
酷かったときは飲まず食わずの日もいくつかあった。
飢餓を感じる経験しておいて損はないといわれ、なるほどと思いやってみたが思いのほか苦しかった。
これまで貴族として育ってきた。
食べることにも雨風を防ぐ家にも困らない。
それどころか自身の寝室はあまりにも快適だった。
そのせいか飢餓になれる訓練やサバイバルは想像を絶するものだった。
それを思い出して苦笑する。
例えば上の二人の姉に玩具にされる日々。
ああ、これはいつものことか。
無理難題を押し付けてくる姉二人の行動は目に余るものだった。
だが自分を愛してくれているということだけはわかっていたので大人しくされるがままになっていた。
反撃をしてしまえば万倍になって帰ってくるのが分かっていたからというのもあるが……
そのことに気が付いて思わず涙が流れた。
例えば母。
女手一つで育ててくれたただ一人の親。
血の繋がらない養子。
エルフではない子供。
分け隔てなく育ててくれた母には本当に頭が上がらなかった。
一度。
本気で怒られたことがある。
どうしてどこの誰とも知れぬものを育てようという気になったのかと聞いた時だ。
思い出すだけでも背筋が凍る。
そのあたりで少年は思い出すのをやめた。
(そういえば戦闘訓練にも手伝ってくれたんだよね)
鬼のように強かったが……
なぜこんなに強いのかは聞かないことにした。
母には感謝しかない。
そして約束を果たして外に飛び立とう。
そこまで考えたところで転移魔法が発動した。
淡い光があふれて消える。少年の気配も完全に消え失せていた。
キラキラと舞い降りる星明かり。
月のない夜はどこまでも星屑たちを呼び寄せて。
楽しそうに茶話会を始めていた。
燦々と降り注ぐ日の下で突如爆音とともに火柱が天を衝く。
上がる火柱からやや離れたところに男が二人立っていた。
戦斧を担いだがっしりとした体躯も皮鎧を着こんだ男とローブ姿の老人が一人。腰は曲がっておらず、眼力も鋭い。
熱でぱちぱちと爆ぜる砂の音を聞きながら男は周囲を見渡した。
元々森の中にある村が放逐され廃墟となった場所を何とか補修し改築して住めるくらいにしたばかりだった。建物から出てくる者たちは殆どのものが武装していることを誇りに思い、にやりと笑った。
皮や木などを素材とした武装をした者が金属製の甲冑を着込んだ者を引き連れて配置についていく。
これには各自のセンスの問題があった。
一部を除いて金属は魔力を通しにくいという性質があるからだ。
たいていのものは魔法を使いながら戦闘を行う。そして魔法を使うには呪文を覚え詠唱をする必要があり、高位の魔法となるとそれに見合うだけの制御能力が必要となってくる。棒立ちしての制御はできても、動き回り死線をくぐりながらでは例え下位の魔法制御であっても困難になる。それを可能にするための訓練と実戦経験が必要となってくる。
もちろん魔法が使えない特異体質の人間もいるにはいるのだが例外中の例外で、ここにいる金属製の装備を身にまとった者たちはいわゆるルーキーか集中が続かない者たちのどちらかだ。
「見つかってしまったようじゃの」
上がる炎の向こう側に襲撃者がいた。四人の騎士装束の者たちだ。それを注意深く見やって老人は嘆息した。
それを聞きながら隣にいる男は肩をすくめる。
彼らは盗賊とよばれる者達だった。
盗賊といってもピンキリというものがある。
普通盗賊といえば作物の不作や飢饉などで生活に困った農民が徒労を組んで強盗を行ったりすることが多く、何もなければ農家業にいそしんでいるただの農民である。
対して職業的に盗賊を行っている者もいる。
こちらの場合民間の自警団や傭兵。あるいは騎士団が動いても対抗できるように武装していることが多く、条件さえかみ合えば派遣された一国の騎士団を全滅させるだけの力を持つ盗賊団すらいる。
「勝てば官軍負ければ賊軍か」
騎士たちを見やりながら男は半ば恨みがましく呻いた。
戦争に勝てば自由に暮らせる金が手に入る予定だったが敗戦してしまったからには仕方がないともいえる。理由はともかく敗戦国は戦勝国に賠償金を支払う義務があるからだ。
国土を占領されてしまわなかったことと、命が助かったことだけは救いかと慰め交じりに自分に言い聞かせていると隣の老人が首を振った。
「平民に人権があるのか疑問じゃな」
最初から反故にするつもりであったと続ける。
「爺さんが言うと真実味があるな」
「元貴族じゃからの」
喉の奥で笑いながら術式を展開し周囲の者に強化の恩恵を与えると陣形を整えながら盗賊たちは突撃を始めた。
「洒落になんねぇよ」
「ああ。洒落にならんよ。奴ら『祖国の英雄』を投入してきおったわ」
皮肉気に向ける視線の先には二十台半ばの剣士がたった一振りの一撃で六人ほどの盗賊をなぎ倒した
元平民でありながら騎士に上り詰めたという男だった。
赤髪が印象的な男でがっしりと鍛え上げられた肉体が見て取れる。魔法による自己強化がされているのだろう。よっぽどの力量差がない限り基本的に他者から与えられた強化魔法よりも身体能力が跳ね上がることが多いとされている。
「英雄なんて呼ばれたくはなかったんだけどな!」
「っ!」
一足飛びに距離を詰めて放たれた一線を何とか戦斧で受け止めた。
恐ろしく重いと思う。
押される力に抵抗せずに、後ろにそれかけた体を地面すれすれに回転させながらふくらはぎをめがけて振り回す。
が、あっさりと回避された。
体勢を立て直してにらむ。
「おい、爺さん! 俺たちが殿をやる! 残りを退却させろ!」
そういって獲物を構えると英雄と呼ばれる男を見やった。
圧倒的な魔力の流れが見える。
ここで負けるわけにはいかなかった。後ろには守らなくてはならない者もいる。
体内にめぐる魔力を身体強化につぎ込んだ。
「俺の名はガイウス。尋常に勝負!」
「盗賊に名乗る名前はないな」
英雄は笑うと剣を弓の弦で引き絞るように構えた。
鳴り響く剣劇と爆音の中に生まれた一瞬の静寂を合図に両者ははじかれたようにぶつかり合った。