僕のそばに(相澤恭弥)
「あら、結構早く気づかれたのですね」
自分のマンションに戻り問い詰めると、亜希さんはあっさりと認めたのだった。
※※※※
亜希さんは、僕に断ってから瀞のお土産に買ったケーキを皆に分けて出してくれた。どうせ皆で食べるだろうとホールを買っていたけれど、綺麗に5等分されるとああ、ここに瀞はいないんだなと思い出される。フォークで切り分けて口に含むけれどやけに甘ったるくて食べる気をなくす。初めて買うお店ではなくて、前食べた時はもっと甘くなかった気がする。フォークを持て余して小さく息をついた。
「で、どうなさるおつもりですの?若様」
「ん?できれば居場所教えてほしいなって。保月の実家ではないんでしょう?」
「ええ。私の実家である柑奈のほうに預けましたわ」
「教えるの早いなぁ!怒ってないのかよ亜希さん!」
柑奈の実家ってどこだっけ、と考えようとしたら隣から麻人がわめきだした。いいじゃん、教えてくれたんだからさー。というかその辺あまり普通の親と同じように考えたらダメだって。なにしろ瀞の母親だよ、外見もそっくりだけど中身もそっくりだからね。
ただ、教えてくれたからって怒ってないわけではないのはわかってる。ちゃんと謝って……
「怒るもなにも……私どもはお相手がだれなのか存じませんもの。そりゃあ、娘にもそのお相手にも思うところはありますけど……ねえ。若様や如月様に怒ってどうしますの」
「ごめん、亜希さん。わかってると思うけど相手、僕」
そうか、瀞は言わなかったのか。それはさすがと言うべきか、申し訳なかったというべきか。
「ええ、そうだとは思ってますけど、断固として娘はお相手がだれか言いませんの」
「うん、だから……」
「ええ、ですから。」
「うん、だから、なんだろう?なに?」
瀞もそうだけど、さすが母親。こういう反応が常識だろうというこちらの思いを完全に斜め上方向にズラしてカウンターを仕掛けてくるのが得意だ。
それを思い出して、続きを促してみた。続きがあるものとみた。これを聞かなければ、なんか、後で笑い者になる気がする。そんな麻人を過去に何度もみてきた。
「ええ、ですから、相澤の旦那様がとにかく産んでDNA鑑定で相澤の血をひいていればそのまま瀞の元で育てて、相澤の血がなければ施設にいれろとご指示ですわ」
待って。今とんでもない話を聞いてしまった。女子陣はもちろん、麻人まで無言でどういうことか考えている。
つまりなに。瀞の意思は関係なく、産んでからのDNA鑑定で僕の子供だったら相澤に二人とも迎え入れないけれど瀞の元で育てる。で、僕の子供じゃなかったら施設にいれるってことは、瀞と引き離すってことかな。ちょっと待って。瀞も産まれてくる子供も可哀想じゃない?
「それ、どうなの。人間的に」
「若様、ご自分が蒔いた種でしょう?言えた話しじゃありませんわ。それに、娘はわかりましたと即答しました。……と言ってもまあ、恐らくは柑奈の家から脱走する気でしょうけれどね」
なんで、わかりましたって言ったら脱走が決定なのか、やはり瓜二つだけあって考え方も瓜二つなのか。
「若様、なんで娘が脱走する気なのがわかるのかって思いましたね?甘いですわ。あの子のことなんでもわかってるつもりで、わかってないのですね。ふふふふ」
笑い方も瓜二つだ。保月(この場合は父親のほう)のDNAはどこにいったのだろう。なんか腹立つなー。
「せっかく若様の子供って隠し通したのに、DNA判定なんかされたら一発でバレちゃいますもの。私も娘を産む時に邪魔されてなるものかとばかりに柑奈を脱走しましたわ!」
親子だった。本当に保月のDNAはどこいったのだろう。
「あ?亜希さんと旦那さんもでき婚なんですか?」
思わずと言った風に口を出したのは麻人。この二人ができ婚だということは知らなかったらしい。保月夫妻の結婚騒動は今や伝説になりつつある。僕の中で。
「ええ、そうですわ。まあ私のことはいいんです。どうしますの?柑奈があれを捕まえていれるのはもって3日ですわよ」
短いなあ!でも、とにかく会いたい。会って話をしたい。
「会いに行きます。すみません亜希さん。こんなことになってしまって。信頼を仇でかえしてしまいました」
マンションで暮らすのに、ワガママを言って瀞を連れて行ったのは僕だ。亜希さんも保月もそのことに最後まで異議を唱えなかった。
すると亜希さんはクスリと笑った。珍しい優しい微笑みだった。
「若様、先ほどお聞きになりましたね?怒ってないのかと。これが別の男だったら、それは殴り飛ばしていましたわ」
バイオレンス。
この母娘のこういう言葉は口だけではないので要注意だ。
「でもね、娘が心から愛して愛された相手をどうして責めれるのかしら。もう少し順序というものを考えてほしかったけれど。その辺は、周知されてから旦那様に叱られてくださいな。でもそうね。ご存知だったかしら。娘は産まれる前から貴方に恋をしていたの」
ねえ、恭弥様。
僕を呼ぶその声は、瓜二つの母娘でも全然違っていた。
※※※※
「あーまだかな、あー!まだかなあ、もう!」
「なんでお前が緊張してるんだよ」
別に自分も緊張してないわけではないけれど、なんか僕の代わりに緊張しまくってる麻人がそばにいるおかげで冷静になってしまった。
瀞が出て行った次の日、僕たちは瀞に会うためにホテルにいた。
柑奈の家は、学校から電車を2本乗り継いだところにあった。日帰りにしてもよかったのだが話し合いがその日のうちにまとまらない可能性も考えて、柑奈の家の近くのホテルにチェックインした。
ら、なぜか麻人と三人娘もついてきた。
水戸さんたちは、進んでクッション役を引き受けてくれて三人で柑奈に行って話し合いの算段をつけてくれている、はずである。
そして、恭弥と麻人は留守番だった。
「麻人、三人が出て行ってまだ30分も経ってないから」
「わかってる!けどだな、」
と、ドアがあいた。カードキーは水戸さんが持っていってたはずでカツカツとヒールの音がしてヒョコッと水戸さんが顔を出した。
「ただいま」
「愛華!どうだった?瀞の様子は?」
「うん、あのね。瀞さんはいつも通りだった」
「で、会うって言ってたか?」
「麻人、会うのはお前じゃないんだってば」
水戸さんに詰め寄る麻人の頭を軽く叩く。
すると水戸さんは視線を泳がせて頬を人差し指で掻いた。
「う……ん、会うって言ってたんだけど、だけどね。ちょっと、あの……」
「落ち込んでた?帰ってくるの早かったもんね。怒ってた、とか?」
言いにくそうにする水戸さんに声をかけると、さらにえっと、と目を泳がせた。
「あのね……」
「いいよ、愛華。私が自分で言うから。恭弥様にご足労頂くこともございません。保月瀞、参りました」
「瀞さん来ちゃった」
来ちゃった、って……
水戸さんの後ろから出てきたのは、会いたいと願った瀞だった。
いつも無彩色の服を男の子のように着こなしていた瀞。タンクトップを三枚重ね着して、黒のロングスカートにミュールという女の子らしい恰好をしている。背が高いのにミュールなんて履かれると恭弥の背に並びそうだった。
「ってちょっと待てぇー!お前ヒール履くんじゃねえよ!」
「麻人黙って」
瀞は、一度たりとも麻人を見なかった。恭弥を見ていた。
恭弥は着ていた上着を脱いで瀞の肩にかける。
考えていたことはたくさんあった。言いたいことも謝りたいこともたくさんあった。
でも、顔を見たら全てすっかりぬけてしまった。
「瀞、ごめん。半袖しか今もってなくて。身体冷やしたらダメだよ、もう一人だけの身体じゃないんだから」
「ふふふ。着のみ着のままできてしまいました」
「ダメだよ、ヒールで来たら。靴も僕の履いたらいいけどさすがに大きいから転んだらどうするの」
「ふふふ。目の前にあったものをひっかけて参りました」
「出て行くなら僕にちゃんと言ってよ。大切なことは意地悪しないでちゃんと伝えるって約束したじゃないか」
「ふふふ。女は隠し事の一つや二つ持っているものです」
いつも通り、笑いながら軽口をかえす瀞。
そうだね、君は怒ってないし狼狽えてもない。ちゃんと僕と違って先を見据えてるから、きっと子供を一人で育てることもできるだろう。
君は強い。
だけど、僕は君がそばにいないと生きていけないし。
君は強いけれど、ふとした瞬間になにかをやらかしたりして危なっかしいし。
君がたまに一人で泣いてることを知っている。いつも誤魔化して教えてくれないけれど。その涙を分かち合えることができたなら。
「僕と結婚してください」
やっぱり瀞がそばにいないとダメなんだ。