97、暗転の空 ~どうしろと言うんだ~
「ど、どうしたのだ!?」
獣人の青年の慌て様を見た大会委員らしき人物がすぐに駆け寄る。何だ何だ? 厄介事発生か?
「すぐそばで暴走する男が一人現れました!」
「ひ、一人? それくらいなら警備兵で何とかできるだろう――」
「それが! その男は、『クラソルテ王国』から脱走した第一級犯罪人であるようなのです!」
「何!? それは『クラソルテ王国』からの確かな情報か!?」
「はい! 名前はヘリヘス・フォングライクとかいう――」
「な、何!? ヘリヘス・フォングライクだと!?」
その声に乗じてあからさまに動揺する人が数名。何だろう、そのヘリウム何とかっていう奴は。
「まずいことになった……とにかく、一般人は避難させよ! 相手は第一級犯罪人、史上最悪の男、ヘリヘスだ!」
観客の中で、その名を知っている者が約半数、知らない者が半数と言った感じで、かなり困惑している。ある者はその名に怯え、ある者は周りの態度に疑念を抱く。
勿論、俺もそのヘリウムさんのことは知らない。
数秒後、状況を大体飲み込んだ観客達が非難に移る。俺としてはこの建物内にいる方が安全のような気がするのだが、そこは色々とあるのだろう。何かめっちゃ近くにいるとか何とか言ってたし。
「こ、これは、一時大会は中断でしょうか……? とにかく! 皆さんは急いで退避して下さい!」
司会者の獣人も状況を理解し、行動に出た。よし、俺も逃げるかな。
「あらら。これは、勧誘どころではなくなってしまいましたね。しかし、この騒ぎを収めたら、また話をしましょう」
現状は大騒ぎだというのに、レレスは全く動じていない。
「武闘家の中で勇気のある方は、どうか一般人の避難が終わるまでヘリヘスを足止めしていただきたい! 非常に危険な相手であるため、必ず複数人で対処に当たって下さい!」
役員らしき人物が大声でそう伝える。
武闘家達に戦えと、そう伝える。
確かにそれは、力ある者の義務である。
力を持たない者達を守るのが、力を持つ者の義務だ。
皆その志を持っているようで、次々と決起の声が聞こえてくる。
「あのくらいなら、他の人に任せても良いのですが――」
皆が動き出そうとしたその時。
皆がヘリヘスを押さえに向かおうとしたその時。
空が、闇に染まった。
雲が広がる、などという速度ではない。
一瞬である。
一瞬で、元々どんよりとしていた空が、真っ黒に染まった。
直後に、轟く雷鳴。
天から槍が降り注ぐかのように、稲妻が走る。
「な、何だ!?」
「きゃああ!」
闘技場から出ようとしていた一般人や武闘家達が揃って頭を隠す。
しかしその雷鳴はとまる予兆すらなく、一層激しさを増していった。
そして稲妻だけでなく、更なる脅威が押し寄せる。
紫色の生き物が、空から降ってきたのだ。
流星の如く、降ってきたのである。
さらにその着地の衝撃で、闘技場の壁が崩れる。
それは生きる隕石のように、辺りに降り注いだ。
偽勇者の彗星眼
生物名 ドルイド・ゼクス
LV 100
四本脚の小さな怪物である。
それが辺りに降り注いだ。
「ど、どうなっているんだ……?」
思わずそんなことを口に出す。
これは、何の仕業なんだ。
「み、皆さん! まずは自分の身の安全を優先して下さい!」
誰かは分からないが、そんなことを言う者がいた。そしてそれは実に正しい判断だろう。武闘家と言えど、一人の人間である。命は大切にしなくてはならない。
だがどちらにせよ、目の前に振って来た怪物は、倒さなくてはなるまい。
「これ以上建物を破壊させるのは良くないですね」
未だ闘技場のど真ん中にいる俺とレレス。
おそらく一番危険な場所である。
「と、取り敢えず速く逃げないと――」
「いえ、キエルさんには是非、事態の解決をお願いしたいのですが」
俺が退避の方法を考えようとすると、レレスが変わらぬ口調で俺にそう告げた。
「何? 事態の解決? おいおい、俺一人にどうしろと――」
「おそらくこの事態には、二つの惨禍が存在します。一つは第一級犯罪人、ヘリヘスの暴走、そしてもう一つは――絶望を発生源とする未知なる力」
「何故そんなことが分かる?」
「何となくですよ。私は何となく、そういうことが分かるのです。ヘリヘスの方はそれ程問題ではありませんが、あの森の近くを発生源とする惨禍の方は、少々厄介そうですね」
「あの森?」
レレスの目線の先に森は見えない。が、闘技場内にいるのだからそれも当然であろう。偽勇者の千里眼を使えば見えるかもしれないが、今問題なのはそこではない。
「はい。向こうの空に浮いている真っ黒いものがあるでしょう。あれが今回の原因です」
レレスは遠くの空を指した。しかし、いくら闘技場に天井がないからと言って、遠くの空までは見えない。
「見えませんか?」
見えないよ。
そう答えたかったけれど、これはもしかしたら見ておいた方が良いのかもしれない。そもそもの話、何故レレスは見えるのかということは置いておくとして――仕方ない、千里眼を使うか。
偽勇者の千里眼
壁が透けて見えた。
遠くの森が見えた。
遠くの空が見えた。
浮いている、黒い物体が見えた。
「ああ、あれか」
「見えましたか。やはりキエルさんは――っと、どうやら、悪魔の第二波が来るようです」
「悪魔?」
あの怪物のことだろうか。
それがもう一度降って来るって? おい、それはヤバいだろ。
本当にそろそろ逃げないと、俺、命が危ないんじゃないの? それより、宿屋においてきたリィサとルテティアが心配だ。早く二人の所に戻らないと――
「開」
第二波がやってきた、と思ったのだが、その流星が着弾することはなかった。
「な、何をしたんだ……?」
「ただの防御魔法ですよ?」
「いや、防御魔法って」
闘技場の上空一杯の、だぞ?
どれだけ範囲があると思っているのだ。
一人で賄えるレベルじゃないだろう。
それを一瞬で展開したのか?
「それより、キエルさんはヘリヘスの方へ行って下さい。黒い塊の方は私共が何とかしますので。その後で、またお話をしましょう」
完全に布の姿に戻っていたレレスはその性別不明の声でそう呟くと、遠くの森の方へ行ってしまった。
「ま、待て! レレス!」
俺が呼び止める時には、もう既にレレスの姿はない。
「ちっ」
どうしろと言うんだ。
俺にどうしろと。
理想的なのは、ルテティアとリィサの所まで戻って三人で一緒に逃げることだ。それが最も無難な行動である。
俺に他の人を救う理由などない。
自分の身が大事なのだ。
武闘家の志? そんなもの、知ったことではない。
だが――
「動ける人は、殆どいない」
雨が降ってきた。
そんな中、闘技場の内部外部問わず、降下してきた怪物と戦っている。ヘリヘスの元まで行くことのできる者、そしてその勇気を持つ者が、どれくらいいるだろうか。
殆ど、いない。
なら俺は。
俺はどうなのだ。
周りに怪物はいない。
ヘリヘスの居場所も大体分かる。
では、勇気は。
暴虐の大罪人、ヘリヘスに立ち向かう勇気は、俺にあるのか。
そんな立派なもの、あるはずないじゃないか。
ならば、蛮勇で。
偽りの勇気で。
偽善で。
ちょっとだけ、戦ってみようかな。




