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92、逃亡の神獣大会 ~剣が折れてしまった~

「な、何!?」


 後ろを振り返ると、唖然とした表情で立っているカイナの姿があった。おお、初めて無表情意外の顔を見た気がするぞ。


「い、いいだろう! ならば君を、全力で捕えてみせよう!」


 鋭い目つきはそのままに、カイナは先程より愉快な雰囲気を纏って俺を追いかけてきた。


 うむ、美少女に追いかけられるというのは、中々悪くないものだな。


「勝負から一転! 何故かかけっこが始まりました!」


 司会の獣人も何か乗り気である。加えて観客も乗り気である。おいおい、ここの観客ノリが良いな。


「はっはっは! 捕まえてみるがいい!」


 ガゼルのように、俺は広い闘技場内を駆け巡る。ああそれと、一応言っておくが、四つん這いとは言ってもそんなに格好悪いのをイメージしないでほしい。そう、格好良く、四つん這いで走っているのだ。……格好良い四つん這いって何だろう。


 まあ良い。とにかく、何かこう、腰を超低くして、手を使って、ターンしたりしながら、逃げる、みたいな感じ。


 闘技場だって無尽蔵に広い訳ではないのだから、やはりターンは必要である。


「ちっ、先程よりも速くなっているな」


 そう漏らしたのはカイナである。どうだ、驚いたか。


「さっきまでの神速はどうした、カイナ!」


「っ!」


 俺の挑発がいよいよ聞いてきたのか、カイナは多少のしかめっ面をした。ただその意識の殆どは、俺を捕まえるという所にある。まだ油断はできない。


 少しでも逃げるスピードを落とせば、カイナに捕まってしまう。


「逃げるだけでは勝負にならないぞ!」


「何だ、それは捕まえられない言い訳か?」


 俺に一撃浴びせようと必死になるカイナに向けて、またしても煽りのセリフを吹っ掛ける。やっぱり俺、性格悪いのかな。


「まともに戦え!」


「嫌だね!」


 最初の段階では、俺はカイナに向き合っていたので、カイナの速度は実に驚異的なものであったが、こうして逃げることだけに専念してしまえば、案外大したことはない。それに加えて、俺には未来眼がある。カイナの追いかけてくる軌道は先読み可能だ。


「これまでにない展開となって参りました! やはりニューカマー、キエル選手、侮れない!これまでその神速によって数々の勇士達を倒してきた『漆黒豹』を翻弄? しています!」


 司会者と同期して盛り上がる観衆。よし、良い雰囲気だ。


 せっかくの大会である。楽しむのは大事。


「さてさて、その速度、いつまで保つかな?」


 数度目のターンの後、俺はカイナの真横を通り過ぎながらそう言った。そう、ターンの時には必ず、俺はカイナに接近を許してしまうのだ。しかし先程も言った通り、俺には未来眼があるので大した問題にはならない。


「それは君も同じだろう。その鹿のような細かい動きも、いつまで続くかな」


 二刀を携えた狩人が俺に迫りくる。


「何を言う、豹が追いかけてくる限り、ガゼルは逃げるしかないのさ!」


 逃げるしかない。


 逃げるしかない。


 逃げる鹿ない?


 いや馬鹿を言うな。


 俺は今、逃げている。


 ガゼルはパンサーから逃げる。


 それは極々普通の、当たり前のことだ。


 だから、俺は逃げている。


 が、それだけではない。


「ふっふっふ」


「ちっ」


 世の人は、忘れてはならない。


 敗者の側にいる者が、いつまでもそこに居続ける訳ではない、ということを。


 弱者の側にいる者こそ、本来恐れるべき対象であるということを。


 下にいるからこそ、できることがある。


 油断大敵、というだろう。


 正にその通り。


 強者にとって最大の敵は、油断なのだ。


 相手が劣っていると考えてしまえばその途端、どれ程優れたものであろうと、油断を生む。競い合う者同士のように、本気を出すことはできない。


 いわば油断とは、弱者の側に与えられた反撃の一手なのだ。


 弱者の反撃。


 それこそ、最大のカウンターである。


 そして、もしその弱者が、偽物だとしたら。


 弱者を演じている、ただの偽物だったとしたら。


 その反撃こそ、最大の武器となる。


「そこだ!」


「何!?」


 ターンと同時に、いや、一瞬タイミングをずらして、俺はカイナに切りかかった。腰に差した借り物の模擬刀で、横薙ぎ。彼女の腹部あたりを狙って、一閃。


 だが、流石は『漆黒豹』の二つ名を持つ者か、俺のそのカウンターを読んでいたのか、ギリギリではあるものの、それを跳躍によって回避する。


「ほう、とうとう攻撃してきたか」


「流石の反応速度だな」


 カイナの言葉に一言返しつつ、俺は再び逃走に入る。


 逃げながら反撃。


 結構使い古された手ではあると思うのだけれど、それなりに効力はありそうだ。特に、両者とも著しく速い場合は。(別に自画自賛ではない)


「ふふふ」


 とそこで、突然カイナが足を止めた。


「どうした? ばてたか?」


 俺もつい、足を止める。しかし特別、彼女がばてたようには見えない。


「いいや、そうではない。こんなに動いたのは久しぶりだな、と思って」


「良い運動になったかな?」


「そうだな。こんなに動けば、もう十分かもしれない」


「十分?」


「そうだ」


 突然の謎発言に、流石に俺も構えてしまう。何だ、裏ワザでも使うのか。


「これは保険としてかけておいただけなのだが、君になら使っても良いかもしれない」


「何?」


 そういう不穏な発言はやめてもらえませんかね。ついビビっちゃうだろ。まだ二形態も残ってるとか言われたらビックリしちゃうだろ。


 だからそのピンチの前振りみたいなのはやめて――


「ぐっ!?」


 弾き飛ばされた。


 見事に、闘技場の端から端まで。


 それ程までに、異常な力だったのだ。


 異常。


 それは単に、速度が異常だったというだけの話ではない。


 勿論、速度も今までより格段に上がっていたが、それでも未来眼があったからギリギリ確認はできた。


 だが、それよりも異常なのはその攻撃力だ。


 何とか攻撃の予兆が確認できた為剣で防ぐことはできたものの、その桁違いの攻撃力に俺は予想だにしないレベルで吹き飛ばされることとなった。


 ただ幸いなのは、しっかり着地できたということである。これでもし俺が派手に転がって気絶でもしていたら、確実に敗北決定だっただろう。


 しかし幸いなことだけではない。一つ挙げられる不幸な点としては――



 剣が折れてしまった、ということかな。



 別に武器が折れたら失格というルールはないから、これで負けにはならないのだけれど、それでもこれは、大分絶望的だ。


「た、大した破壊力だね」


「――これで決めるつもりだったのだが、よく防いだものだ」



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