ジャケ先生の患者たち
時折、自分のやってることが……世界に重要な仕事なのか、ただの世話焼きおばさんなのかわからなくなる」
日本のとある心療内科「荒巻カウンセリング」の主治医である私は、そうつぶやいた。
「そんなことないですよ、ジャケ先生。お疲れなだけです。お菓子でも食べて休憩しましょう」
そう言って笑顔でどら焼きと番茶をすすめてくるのは小林笹目。
十代後半にしかみえないが、実は四十代という驚異の童顔である。
どら焼きを持っている彼を見ると某アニメのダメ少年を思い出す。
「笹目くんは相変わらず、言うことが正しいけど、顔を見るといらっとするね」
「そう言わんでください。これでも長い付き合いじゃないですか」
そうなのだ。
彼とは、彼が実際に十代だったころからの付き合いである。
出会いは成り行きにすぎないが、その後も彼はとある体質により、なんども私の世話になり、いつしか「ジャケ先生」などと気安く呼び、あまつさえ診療助手という立場で「荒巻カウンセリング」に居着いてしまった。
「番茶をのんだら、患者さんの相手をしてあげてください」
「今日は何人?」
「そうですね、まぁいつものメンバーですよ」
「新規がいないだけマシか」
「そうそう、新規が出ちゃぁ困りますよね」
「なんか君が言うとむかつく」
私の一言に「はいはい」と笹目君は軽く受け流す。
十年来の付き合いは彼をたくましくしたらしい。少々私に対する物言いが軽くはないだろうか。これは近いうちにお灸を吸える必要がある。
ともあれ、仕事だ。
私は荒巻 鮭。通称「ジャケ先生」。
本名ではない。かといって私がつけた偽名ではない。質の悪い上司命令の名づけである。
ここ、「荒巻カウンセリング」の主治医である私には仕事がある。
まぁ、カウンセリングとついているからに、心療内科的な仕事であることは想像にかたくないであろう。
しかし、ここは特別な患者がやってくるのだ。
さてと、仕事に取り掛かろう。
どら焼き片手にカルテをめくる。
どら焼きの油のシミができた。
-患者①椎名 佳代-
46歳。職業;会計士
「こんにちは、どうですか調子は」
「だいぶ日常に戻れてきた気がします」
「それはよかった。お仕事もだいぶ落ち着かれましたか?」
「ええ……仕事内容の方は…」
「というと?」
椎名さんは、突如わっと顔を手で覆った。
「ダメなんです! ど~~~しても!」
「落ち着いて。大丈夫です。思ったままに言ってみてください。誰もあなたを責めたりしません」
「いえ! 先生! 私本当に嫌な女なんです!!」
「そんなことありませんよ」
「いえいえいえいえ! 私、私、私……もう46です! 結婚なんて正直あきらめてます! でも、だからってこんなこと!」
椎名さんは見た目はできる女風のパンツスーツの似合う女性である。
しかし、彼女は見た目ほどきつくない。
むしろ自分の心に根付いてしまったある認識に対して、罪悪感を覚えるほどに優しい。
「私、職場の男性陣に申し訳なくて……」
「それはあなたのせいじゃ…」
「でも、でも、でも」
椎名さんは搾り出すように、言葉を吐いた。
「男性は声も顔もいいのが、当たり前だなんて!! そんな認識がぬけないんです~~~~!!!!」
わっと彼女が泣き出すので、笹目君がそっとティッシュを差し出す。
私は彼女が落ち着くまで、カルテをそっと見直すのだった。
-カルテ-
・42歳で異世界にトリップ
・世界観:イケメンだらけの騎士世界
・帰還:周囲の騎士がふたまわり以上年下だったため辟易・消耗し現代への帰還を要請。
・以後経過症状:元の世界の男性感への偏見。
診断「要以後観察」
◆
-患者② 東雲 結衣-
「こんにちは東雲さん。そちらの様子はどうですか?」
パソコン画面には、日本人形のような美少女が、げんなりした表情でうつっている。彼女はぶはぁっと重いため息をついた。
「相変わらずです……。ちょっと油断すると契約書にサインさせられそうになったり、舞踏会に連れて行かれたと思ったらお披露目パーティーと気づいて、バルコニーから逃走する羽目になったり」
バルコニーから逃走、と私はカルテに付け加える。
彼女の背景にみえる豪奢な洋風の扉には、取っ手にデッキブラシがはさまっている。
「失礼ですがお時間は大丈夫そうですか」
「扉がやぶられないうちは平気だと思います」
彼女は青い顔で扉を振り返った。スピーカーに小さく「開けてくださいっ」「ユイ様!ご無事ですかっ」と複数の声がさざ波のように聞こえる。
「無視してください」
「了解しました」
「ジャケ先生、私、まだ帰れないんでしょうか……」
「手続きはもうずいぶん前に完了済みなんですがねぇ……。なんせ、あなたの場合はトリップ先の干渉力というか、執着がすごい。無理に引き剥がそうとすれば次元が歪んで大惨事になりかねません」
「そうなんですよねー……。はぁ、こんなこと言いたくないけど。私そんなつもりで世界を救ったわけじゃないのに。早く帰りたいだけなのに」
「お気持ちは分かります。こちらとしても最善を尽くしますので、とりあえず東雲さんは今までと同じように、なるべくそちらの世界の事柄には関わらないように、できるなら信頼できる仲間に味方になってもらえるよう説得を」
「はい、ジャケ先生だけが頼りです。お願いしま」
彼女が言い終わる前に、デッキブラシの折れる音がスピーカーから響き渡った。
そして、わらわらと人が入り込む姿と「ぎゃぁ!!」という美少女に似つかわしくない悲鳴を最後に通信が途絶えた。
医師が患者に感情移入することはあまりないが「大変だな」と思わずつぶやいてしまった。
-カルテ-
・17歳で異世界にトリップ。現在25歳。現在未だ未帰還。
・世界観:異世界の神に選ばれ救世主となる。
・帰還:未だならず。申請許可済。ただし元パーティーメンバー等、国に女王になることを熱望され、世界の干渉が強く、帰還処置がとれない。
・以後経過症状:トリップ先への不満。失望。うつ病の気有。
診断「要以後説得」
◆
-患者③ ユーリエ・アレンドール-
「お久しぶりですね」
「久しぶりー、ジャケ先生!」
「お元気そうで何よりです。お仕事の方は順調ですか?」
「うん!28歳、元気にフリーターしてまーす。今は3つ掛け持ち中」
「ほぅ、それはなにより。では、月に一度の通信をはじめます。冷静な対応をお願いします。ま、期待してませんが」
「ひどーい、大丈夫だって! これでもあたし、結構大人になったんだよー」
「分かりました。でも期待しません」
そして五分後、やはり期待していない結果がそこにあった。
まぁある意味期待通り、予想通りである。
「だーかーらー! あたしにはもうこっちの生活があるの!」
「何を言うか! そなたの役目は私とともにこの国を支えていくこと!」
「それがキモイっての! 私とともにってなによ! あんたはただ単に聖女と結婚した国王って伝説が欲しかっただけでしょうがー!」
「ユーリエ! そなたが聖女であることの事実は変わらぬが! それとこれとは関係ない!」
「じゃぁ、聖女でなくなったあたしでも愛せるわけ!? 国の政治とかちんぷんかんぷんのあたしでもいーわけ!?」
「そうではないだろう! そなたは聖女であり、私の妻である以上、国のことも勉強し、私の妻にふさわしくなるべく努力を……!」
「あーもー! マジうざい! 何度言ったらわかるの! あたしそういう女じゃないの!」
「そなたは怠けておるにすぎん! 国を思うならまずこちらに帰って!」
「帰るかバカ亭主! さっさと離婚してよ!」
それから約二十分。上記と同じような会話が幾度となく繰り返され、結局はなにも決着がつかないので、通信を一時的にきることにした。
患者の息があらいので、笹目君が番茶を出した。
礼を言いつつ、ぐいっと片手で飲み干すさまは男らしい。
「今日も決着は付きませんでしたねぇ」
「あーもー、あのバカ男め……。ねぇ、先生。無理やり離婚できないの??」
「何度も言っていますが、異世界ならではの強制的な婚姻ならともかく、あなたの場合は一時的とは言え合意して婚姻されてますからねぇ。そうなると、いろいろ制限がはたらくので、双方の合意がないと難しいところです」
「めんどくさー……。ああ、だいたいあの時はあたしも舞い上がってておかしかったのよー……。王様とか関係なく、男はやっぱ男でしかないしー……聖女とかよばれていい気になってました。ごめんなさい。だから別れさせてー!」
「はいはい、気長に頑張りましょう。離婚裁判っていうのは長い目でみるものです」
-カルテ-
・18歳で異世界にトリップ。現在28歳。本名は藤沢百合恵。
・世界観:異世界の聖女として召喚された。悪魔を浄化する能力を得て国を救い、国王と結婚。
・帰還:20歳で帰還申請。しかし互の合意がないため現在離婚調停中。
・以後経過症状:特に問題なし。
診断「とにかく離婚」
◆
-患者④ 菱垣 レイ-
「お元気そうですね、レイさん。旦那様はご不在ですか?」
「ええ、主人は今日サバトに呼ばれております」
「そうですか、相変わらずお忙しいのですね」
「ええ、まだまだ働き盛りですもの。でも私の方はだいぶ……」
「異世界とは言え、あなたの体は普通の人間です。それは仕方ないことです」
そうですね、と彼女は淡々と頷く。
漆黒の衣装に身を包んだ彼女の美しい顔には、もう深い皺がいくつも刻まれている。
筋張った手の甲。衰えた肉体。だが、彼女はいつも幸せそうに笑う。
「先生、いつも気にかけてくださってありがとうございます」
「いえ、私にできるのは僅かな事です」
「それでも、こうしてお話ができるだけ、私にはありがたいことです」
「……お気持ちはもう変わらないのでしょう」
「ええ、人としての寿命がもうすぐきます。それでも最後まであの方のそばにいます」
「……わかりました」
「死後の処理はおまかせいたします。主人にもそのことは伝えておりますので、どうぞよしなに」
婦人は美しいお辞儀をした。
彼女の背後には無数の闇が広がり、多くの魔が彼女を取り囲んでいる。
その中で、彼女は微笑んだ、それはとても幸せそうな笑顔だった。
-カルテ-
・20歳で異世界にトリップ。現在60歳。
・世界観:魔界を滅ぼす女としてトリップする。しかし魔王と恋に落ち、魔王の花嫁として生きていくことを希望。
・帰還:永久滞在申請済。
・以後経過症状:特に問題なし。(備考:人としての肉体的限界有)
診断「お幸せに」
◆
「ジャケ先生、本日もお疲れ様でした」
「お疲れ様、笹目くん」
「お疲れ様のところ申し訳ないのですが、異世界弁護士協会の理事、星野ロミオ先生から通信がはいっております」
「今、居留守ですって伝えてください」
日本の一角で、「荒巻カウセンリング」というクリニックを開いている。
見た目は20代のボーイッシュな眼鏡女医さん。
通称:ジャケ先生。
職業:異世界弁護士協会弁護士、第一級理事星野ロミオ部下、日本勤務。
今日も私はいそがしい。