壱・とてもとても幸せな日々だった・3
そのままリンカはナンナと二人、キアラの修行を見物し、時には話をして、笑いあいながら時間は過ぎていった。
そろそろ昼で、リンカのお腹がぐぅっと鳴るころ、キアラはようやく修行を切り上げた。
「食事しに行こう」
「ごはんー」
「お腹がすいたわね」
三人で連れ立って歩く。リンカを間に挟んでいる間は、キアラもナンナも飛ぼうとはしない。『妹』に合わせて歩いてくれる。
小さいころ、リンカが自分には羽がないと泣いたことを覚えているのだ。飛べない。雷を生み出す力はあるのに、羽がない。それが悲しい。
里の皆が困り果てた出来事だ。人間に虫族の羽をつける方法はたった一つだけあるが、それをするわけにはいかない。他に方法はないものかとナンナは真剣に探し、キアラは真剣に『妹』の説得を開始した。
方法はある。でもそれをすることを本当に望むか? と。
聞いたリンカは首を横に振った。その方法は、羽を得られてもリンカの大事なものを失うものだったのだ。そのすぐ後に疲れた様子のナンナがやってきて、ごめんなさい、他に方法はないようなのと、リンカに泣き出しそうな表情で謝ったとき、リンカは羽を求めることを止めた。
そのかわり、二人はリンカと歩くときには飛ばなくなった。
その気持ちだけで、もう充分すぎるほどだ。
ナンナと手をつなぎ、キアラと腕を組み、リンカは嬉しそうに笑う。
ここにある、幸せ。
確かなものを感じて上機嫌のリンカに、声がかかる。
「まーたお二人にべったりしているのですわね、リンカ!!」
射るように聞こえてきた声に、リンカは正直に顔をしかめた。
天敵、現る。
「あら、チニュ」
のほほんとナンナが笑いかけると、声をかけられた少女は照れくさそうに微笑んだ。
「ご機嫌いかがですか、ナンナ様、キアラ様」
黄色い体色のハチ族の少女だ。髪は金髪で瞳は赤く、一目で気が強そうな印象を受ける。年頃はリンカよりも大分上、二十歳くらいに見えるが、実年齢ではそう変わらない。
「機嫌は良くてよ? リンカと一緒だもの」
ナンナはおっとりと答え、その答えにチニュはあからさまにムッとした表情になった。可愛らしい顔を、ムッとした表情のままリンカに向ける。
「いい加減にお二人にご迷惑だということくらい理解したらどうなのです?」
「そんなことないもん! キアラもナンナも嫌がってないもん!」
べーっと舌を出してリンカはキアラの腕にすがりつき、ナンナの手を握り締める。
「あらあら」
「……始まったな、いつものやつが」
ナンナは微笑ましいと言いたげで、キアラは少しだけ口元を笑わせて肩をすくめた。
少女二人はお互いに睨み合っているが、それはどこからどう見ても小動物がピィピィ言っているような印象で、可愛らしいとしか思えない。
「まぁあ! また呼び捨てにして! お二人とも里の重要人物なのですよ! ちゃんと敬称をお付けしなさいとあれだけ言ったでしょう!?」
「いいんだもん! キアラもナンナもわたしにはしなくていいって言ってくれたもん!」
「どこまでも無礼な娘ですこと! キアラ様がお優しいことに甘えて、ナンナ様のお言葉にまで甘えるなんて!」
「いいの! わたしキアラとナンナの『妹』なんだから!」
「〜〜〜っ!! 許せませんわーーーっ!!」
要するに、チニュはリンカが羨ましいのだった。キアラとナンナを尊敬して、敬愛の域にまで達しているチニュである。それがある日突然、連れてきた人間の女の子に二人はかかりきりになり、その上リンカを『妹』のように可愛がる始末。それまでナンナの後継として次の姫長に決められていたチニュは、リンカの存在に心からムッとした。
……ヤキモチである。ナンナを取られたような気がしているのだ。ナンナだけでなく、ナンナの親友のキアラも幼いリンカにかかりきりだったせいで、余計だ。
小さなリンカはキアラとナンナ以外の虫族には全くと言っていいほど反応を返さなかったため、一応、チニュも心配してはいた。早くあの子が元気になればいいのにと思ってもいた。
が、それとこれとは別である。しかも元気になった今も、リンカは二人をほとんど独占しているようにチニュには見えるので、なおさら腹が立つのだった。
「いつもいつもいつもいつもっ!! どこまでお二人の邪魔をすれば気が済むのですか、リンカっ!」
「邪魔してないもん!」
つーんとリンカは顔を背ける。実際邪魔はしていない。キアラの修行を見ている間はおとなしくしているし、ナンナと話をするのはナンナ自身の気分転換にも良いのだと分かっている。しかし、そんな正論が通じるのならばチニュはいちいち突っかかっては来ないだろう。
「可愛くないですわっ!!」
「チニュに言われたくないよっ!」
「何ですって!? わたくしはあなたよりずっと可愛らしいですわっ!!」
「そう。良かったね。じゃああっち行ってて」
「なんですのそれはっ!! 本当に不快な方ですわねっ!!」
「これから三人でご飯食べに行くんだもん。邪魔だよチニュ」
「ご一緒させていただけませんか、お二方。よろしいですわよね?」
「えーっ!! やだっ!!ダメ!!」
「あなたには訊いておりません。黙っていてくださいまし」
「ダメ!! ダメ!! ぜぇったいダメーーーっ!!」
可愛らしい口論は、押し殺した笑い声で止まった。
身を折って笑っているのは、リンカの左右の『姉』二人。
「……キアラ、ナンナ、何で笑うの?」
「わたくし、なにかおかしいことでもいたしましたでしょうか?」
ケンカをしていた本人たちは真剣だったのだが、見ている者には和やかで面白い。
「ぷっ……くくっ……いや、すまない、つい……」
「ご、ごめんなさい……ふふっ……」
収まらない笑いに身を震わせている二人を見て、少女たちも勢いを削がれてしまった。
周りを見ると、見ていた皆が笑っている。
「……なんで皆笑うの……」
「……納得できませんわ……」
憮然とする二人だが、彼女たちは自分たちがとても仲が悪いと思っているので分かっていない。どれだけケンカしようともリンカはチニュに対して雷の力を放とうとはしないし、チニュもリンカにお尻の針を刺そうとはしないのだ。彼女は弱く炎を放つことも出来るが、それもリンカに向けられたことは一度もない。
だからこそ、皆リンカとチニュのケンカを見て笑うのだ。
ああ、またやっているよ、仲が良いねぇと。
最初のうちはそれでも心配した誰かが止めていたのだが、最近ではそれも全くない。かえって皆面白そうに見守るようになった。
すっかり里の微笑ましい名物と化しているのである。
「ねぇ、いつまで笑ってるのー? もうご飯食べに行こうよー」
待っていても止まらないようなので、リンカはキアラとナンナの腕を引っ張った。
「まぁ!リンカ!! 無礼ですわよ!?」
「また始まったー。チニュきらいっ」
「わ、わたくしだってあなたなんか大嫌いですわっ」
「ふぅん。じゃあ顔も見たくないよねぇ?」
「も、もちろんですわっ」
「じゃあお昼一緒なんてイヤだよね。じゃあねー」
「っ!!」
はめられたことに気がついて歯噛みしてももう遅い。リンカは意気揚々とキアラとナンナの手を引いて、食堂がある場所へ歩いていく。
「……リンカなんて、だいっきらいですわーーーっ!!」
叫びを背中に受けて、キアラが吹き出し、ナンナは声を押し殺して笑っている。
「か、かわし方が上手になったな、リンカ」
笑いをこらえながらキアラが言うと、リンカは頬を膨らませた。
「お腹減ってるのにチニュしつこいから。いっつもキアラとナンナにひっつくなってうるさいし。かわし方だってそろそろ覚えるよ」
「賢いわねぇ、リンカ」
ナンナはとても楽しそうに言う。
「毎日やってればちょっとは考えるってば……」
「本当に毎日飽きないな」
「飽きてるよ。チニュがしつこいのっ」
「ふふ、仲が良いわね」
「良くないもんっ」
リンカは認めない。あれだけケンカしているというのに、どうして皆自分とチニュのことを仲良しと思うのか分からないのだ。
ケンカと言うよりじゃれ合いにしか見えていないことを、彼女もチニュも気付いていなかった。
「チニュとは仲悪いの、すごく悪いの」
「そうか。そういうことにしておこう」
「悪いのっ」
「そうね。そういうことにしておいて、ご飯食べに行きましょう」
「悪いんだってば!」
頑として認めないリンカの頭を撫でて、キアラとナンナは微笑んだ。