四・シアワセとそうでないものの、差・4
なんとか二種類の羽を羽ばたかせ、風から逃れようとするシュマリの身体の下で、アシトが竜巻に手を伸ばす。
巻き込まれる寸前で、彼は手を止めた。
「シュマリ」
もがく同僚に、彼も声をかける。
シュマリの糸で、顔の半分と腕を切り取られていたラクラレン。
半分死に掛けている身体で、それでも仲間を、リンカを心配していたカブトの長。
アシトはその力を受け取った。彼の腕に、巻きつくように炎が上がる。
「お前が殺した、カブトの力だ――」
炎が、風に絡みつく。
違う力なのに、持ち主の意思に応えるように、二種の力は互いに支えあいながら吹き上がり、絡み合っていく。
透明な風を、赤とオレンジの炎が支えるように噴きあがった。
蛇のようにうねる力が、シュマリを銜え込んだ。
「っあああぁああああっ!!!」
身体を焼く熱さに絶叫し、シュマリはそれでも振り払うように意識を集中、ゼンダの力を使って強引に風を阻む。それは根元にいたアシトを巻き込むように発動したので、察知したアシトも飛び離れ、炎も消えてしまった。
シュマリは地面に下りる。彼の背のクワガタの羽が焼け焦げ、風に引きちぎられて見る影もなくなっていた。
セミの羽も焦げて千切れかかっている。
「くっそ……やってくれたね。痛いよ……羽虫の羽のクセに、痛みもありやがる……最悪だ……身体は痛くないのに……」
長いこと忘れていた明確な痛みの感覚に、シュマリは顔をしかめている。
「羽、かえして」
リンカはまっすぐにシュマリを見て言う。
「いやだよ」
シュマリはにやりと笑ってリンカを見た。腕をだらりとたらしたまま。
指先がほんのわずかだけ、ピクリとする。
「!」
察知できたのは、培ってきた勘と言うしかない。アシトは咄嗟に飛んでリンカを突き飛ばした。
わずかに地面が盛り上がり、そこから飛び出したのは硬質の糸。
目で捉えることも難しいような極細の金属の糸が、アシトの左肩を貫いた。
「腕、もらった!」
シュマリが叫び、ぐっと腕を引く。
ぶつん。
嫌な音が、した。
リンカは口元を覆った。ぼたぼたと落ちるのは真っ赤な血だ。
「アシトっ!!」
少年の肩からは大量の血が流れ落ちている。肩の肉が半分近く切り裂かれ、左腕がぶらりと力なく垂れ下がっている。
咄嗟に糸を剣で跳ね上げ、腕を落とされるのは防いだものの、傷は深く左腕は使い物にならないだろう。
「あーらら、失敗ー。肩から先落としてやるつもりだったのに……アシト、反応良すぎだよね。でもやっぱその子かばったか。はは、予想通り」
シュマリはアシトの行動を予想してリンカを狙ったのだ。リンカもアシトをかばうようにして戦っていたが、アシトがリンカをかばう確率のほうが高いと見越していた。
アシトはシュマリの性格と実力を知っているからだ。
「神経やられたでしょ? あはは、腕使い物にならないよね? 五体満足、その上二人がかりでも僕にかなわなかったのに、左腕使えない状態でどうやって勝つつもりかな?」
シュマリの哄笑を受けながら、アシトは立ち上がった。右腕の剣を構える。
「アシト、動いちゃダメだよ!」
止めるリンカに小さく言う。
「逃げろ」
「え」
「おれが引き付ける。逃げろ」
勝ち目がなくなった。アシトはそう判断している。五体満足でもこちらの攻撃を捌ききったシュマリを、この状態で倒すのは無理だ。出血が止まらない。遠からず動けなくなるだろう。いくら投薬で身体能力を上げているからといって、この出血で死なずにいるのは無理な話だ。
だから、リンカだけは逃がそうと思った。カブトの力もシュマリに奪われるだろうが、リンカが殺されるよりはいい。彼女が連れて行かれるよりはいい。
なにより、虫族の誰もが彼女の幸せを望んでいる。彼女が生きることを望んでいる。
「お前の姉たちに頼まれている。お前だけは逃がしてやってくれと。だから、逃がす。逃げろ」
シュマリを睨みつけながら、少年は言う。
リンカの返事を待たずに駆け出した。傷を負っているとは思えない速さだ。アシトもまた改造を受けている身、痛みは薄い。刻々と出血し続け、さすがに身体に寒気が走ってはいるが、まだ動ける。動けるうちは戦える。
「うわ、アシト、カッコイイ。そんなに惚れてるの? まぁ、確かにあの子可愛いけどさ」
シュマリは笑いながらアシトの攻撃を捌いている。攻撃してくるつもりがないようだ。手負いのアシトが力尽きるのを待っているようにも思えた。
「カッコイイなぁ、彼女をかばって死ぬつもり? あはは、でも、彼女のほうは逃げる気ないみたいだよ?」
シュマリが言った瞬間、リンカの身体がアシトの視界に飛び込んできた。
「!」
彼女は迷いなくシュマリに蹴りを叩き込み、背の羽で飛びながら手刀、コブシで連撃を加える。空中で舞い踊るような動きだ。シュマリはそれらを全て捌ききったが、さすがにアシトから気が逸れた。
彼女が狙っていたのはそれだけだ。すぐさまアシトに抱きついて羽ばたき、シュマリから距離をとる。
「おい……!」
止めようとしたアシトを、地面に降ろしてリンカはシュマリに向き直った。
「アシトのばか。きらい」
背を向けて呟き、彼女はシュマリに走っていく。アシトは唖然。逃げろと言ったのに、何故逃げない?
「あっはっは、アシト、立場ないねー。ねえ君、僕と一緒に来てくれる気になったの?」
「ならないよ!」
叫んでリンカは手刀を打ち込もうとする。シュマリは首を傾けてかわし、お返しとばかりにリンカの腹にコブシを叩き込もうとする。身体を反転させてかわしながら少女は裏拳をシュマリの背中に打ちつけようとし、二つに分けた髪の片方を掴まれた。
「捕まえたー。髪の毛長いと、こういうとき不利だよね」
リンカはひるまない。すぐさま足を上げてかかとでシュマリのすねを蹴った。足を上げて余裕でかわす少年に、地面を両足で蹴り上げ、髪が抜けるのもかまわず宙で回転し、膝で頭を狙う。
「おわっ!」
さすがに距離をとるシュマリは、リンカの動きにあきれたようだった。彼女の髪は片方ほどけて、可愛らしい顔には血が流れている。頭皮が裂けたのだ。
「大技だなー。あーあ、けっこう髪抜けちゃったよ? 痛かったでしょ。血が出てるよ。綺麗な髪してるのに、執着ないの?女の子の命でしょ」
羽で滞空している彼女に、にんまりとする。
そこに、アシトが駆け込んできた。
「もー、邪魔だよアシト、黙って死んでて。今、僕、彼女と話して――」