参・愚かな攻・遥かな護・5
「あれ、アシト。生きてたの」
少年はアシトを見て驚いたようだった。彼はとうに死んだものとみなされているらしい。二週間以上も連絡がなければ当然か。
「……シュマリ」
呟くように同僚を見て、アシトは眉を寄せた。二種類の背の羽。
「あ、これ? かっこいい? 僕は二匹やったからね。セミとクワガタ。結構強かったよ、特にクワガタは。でも、そいつらの力を手に入れたら……羽虫は急に弱く感じたね」
シュマリと呼ばれた少年は、にまりと笑う。
「トンボの女なんて、女の子に気をとられてたから一瞬だったよ」
「トンボ……?」
目を細めるアシトに気が付かず、シュマリは上機嫌で続ける。アシトよりかなり口数が多い。喋るのが好きなようだ。
「そう、トンボ。アントキと戦ってたんだよね。見てたら強かったからさ。あのアントキが瞬殺だよ? これは不意をついたほうがいいと思ってたら、近くの人間に気を取られたからさ。そこを……」
シュマリは腕を振る。そこに仕込まれているのは彼の武器だ。アシトが剣、コルガが爆弾、アントキが刃物を持つように。
「ざっくりと、ね。いやぁ、一番簡単だったな。でも、人間の女の子に行っちゃったんだよね……力と羽が。一体どういう法則なんだろう? 分からないよね。セミとクワガタも一回ほかの羽虫に行ったしなぁ……」
まいったよとシュマリは頭をかいている。何の変哲もない人間の少女が虫たちといることにも驚いたが、彼女が雷の力を放ったことにも驚愕した。
「あの子……なんなのかな。雷落としてきたけど……恐かったよ、さすがに。あれ、当たったら死んでただろうし」
頷くシュマリは、アシトに視線を向けた。
「アシトも力を手に入れたんだね。クワガタと似てるけど……ああ、一匹カブト逃がしたな、ひょっとして、それ?」
アシトの背にはカブト族の羽がある。ラクラレンが託した力。彼はシュマリに答えず、辺りを見回した。人間の少女の姿はない。
「……その子は、どこへ行った?」
「え? ああ、トンボの羽はえちゃった子? チョウの羽虫とあっちのほうに飛んで行ったよ。ほかの羽虫殺して力を奪ってから追いかけようと思うんだけど、アシトはどうする?」
訊かれてアシトは手にしていた剣を見下ろした。背に羽があるために背負えなくなった剣。
チョウの女を殺した剣。
「……追いかける……」
リンカとチニュが逃げたほうを見て、少年は呟いた。
「あ、そう? じゃあ、任せようかな。僕はほかの羽虫をやっとくよ。そっちはアシト、頼むね。あと、一応人間の女の子は連れて帰ったほうがいいんじゃないかな。なんだか彼女は特殊な気がするし」
シュマリの言葉に答えず、アシトは地面を蹴った。羽を広げ、空へと飛び立つ。力を手に入れた瞬間に、その力の使い方も飛び方も理解できた。そうやって虫族の力は脈々と継がれてきたのだろう。
自然にあるがままに、受け取った瞬間、そのままに使える力。
「……人間が……持っていいものじゃ、ない、のか……?」
アシトの呟きは、風に溶ける。彼は首を振った。どうすればいい?
……どうしたら、いい?
リンカは涙を拭った。泣いてはいられない。護らなくては。岸壁の一部を雷で砕き、その中にチニュを下ろす。空からも地上からも死角になっているここならば、まず見つからないだろう。
「チニュ、ここにいて」
「リンカ……わたくし……わたくしっ、どうしたら……っ!!」
泣きじゃくる彼女の肩を叩いて、リンカは潤もうとする瞳に力を入れてこらえる。
「長、でしょ。チョウ族の、ナンナの力を継いだんだから、何をすればいいのか分かるでしょ。チニュは、死んじゃダメ。人間に捕まってもダメ」
「……あ、あなたに言われなくても分かってますわ……!!」
リンカが泣くのをこらえているのを感じ取って、チニュは唇を噛んだ。彼女がこらえているのに、自分が泣き喚くわけにはいかない。
「わたくしのほうが……先に長になったのですからねっ」
「そうだね、そうだったね……がんばらなくちゃ、ね……」
「行ってくださいまし。わたくし、一人で隠れていますわ。大丈夫です。ですから、ですから……ちゃんと、戻ってくるのですよ!!」
「うん」
頷いて、リンカは羽ばたいた。疾風とまで呼ばれたキアラの力を継いだ彼女は、風よりも早く、切り裂くように空を行く。
許せない。キアラを殺したあの少年。彼はキアラだけでなく、ゼンダとネーディアも殺して力を奪った。放っておけばほかの虫族たちも殺しつくすだろう。力を得るためだけに、そんなバカみたいなことのために、命を狩りつくすだろう。
力を欲するために、他を殺す愚かなヒト。
「……返してもらうから」
強く呟く。人間になんてあげられない。力も羽も、虫族のものだ。
どんな使い方をするのか分からない人間なんかに渡せない。
自然と共にある力なのだから、自然を歪める人間になど、渡せない。
「キアラ、ナンナ……わたし、がんばるからね。見ててね。力を、貸してね……」
胸の首飾りに手を当てて、リンカは誓うように呟く。
あの人間たちと戦わなければ、『虫の里』は滅びる。あの優しい虫族たちは世界から姿を消すだろう。
そんなのは、イヤだった。一緒に過ごして幸せだった。たくさんたくさん護ってもらった。
抱えきれないくらいに大切なものを貰った。少しでも何か返したいといつも思っていた。
出来ることがあるのならば何だってやろうと、思っていた。
ナンナ、キアラ、ゼンダ、ネーディア……優しい虫族。
「大好き」
二度と会えない大切なヒトたちのために、自分は戦おう。
祈るように願う。
願うように祈る。
迷うように望む。
望むように迷う。
泣きながら。
笑いながら。
苦しみながら。
怒りながら。
チニュは祈った。
リンカは願った。
アシトは迷う。
虫族の少女は何を祈る。
人間の少女は何を願う。
人間の少年は何を迷う。
そうして彼女たちと彼が望むのは、何?
隠そうともしていない気配に、アシトは降り立った。確かに見た目では分からないだろう場所に、チョウの羽持つハチの少女はいた。気配に敏感なアシトでなければ気がつかなかっただろう。ほかの者ならば気が付かなかっただろう。
「!!」
彼を見て、少女は目を見開いた。アシトは狭い場所を見回す。捜していた人間の少女の姿はそこにない。
「……リンカならおりませんわ」
チニュはアシトの背のカブト族の羽を見ながら、気丈に言う。彼はラクラレンを殺して羽を奪ったのだろうか。ナンナを殺したときのように。
そうして今、彼女も殺そうとしているのだろうか。
「彼女は皆を護るために戻りました。わたくしはリンカの帰りを待っているのです」
アシトは答えない。手には剣が握られている。ナンナを殺した、鉄の剣。
「わたくしはリンカが帰ってくるのを待たなくてはなりませんの。約束しましたわ。ちゃんとリンカはわたくしを迎えに来てくださる」
チニュは震える手で、自分の胸元をおさえる。
「ですから、あなたに殺されるわけにはまいりません。あなたがわたくしを殺そうとするのなら、わたくしは抵抗いたします」
あの人間の少女は戻ってくると頷いた。大丈夫だとチニュは彼女に告げたのだから、待っていなくてはならない。
「……信じているのか。彼女は人間だ。お前たち虫とは違う」
アシトの声に、チニュは今にも泣き出しそうに、それでも胸を張った。
「可哀想なヒトですわね、アシト。わたくしはリンカを待っていると言いましたわ。その言葉が、全てです。リンカのことは……大嫌いですわ。でも、帰ってくると、約束しましたもの」
可哀想なヒト。チニュもまた彼をそう思う。
「死ぬわけにはまいりません。人間に捕まるわけにもまいりません。わたくしは……リンカを待たなくてはなりませんから」
そう告げる彼女に怯えはあっても迷いはない。アシトは剣を握り締めた。
何故だろう。虫と人間なのに。
どうしてこんなにも、彼女たちは通じ合っているのだろう……?
そう思いながら、彼は剣を振り上げた。