参・愚かな攻・遥かな護・4
リンカは目を疑った。こちらに向かって話しかけていたキアラの声が途中で途切れて、
「キアラ?」
彼女が声をかけた瞬間に、大好きな『姉』の身体が、斜めに、断ち割れて――落ちた。
「――ッ!!??」
リンカの隣で、チニュが声を失っている。
今、何が起きた?
「これで、みっつめ……」
くすくすと笑う声がする。
キアラの下半身が、ゆっくりと倒れた。
「きあら……?」
呆然と、声を放つリンカの視界に、二つに割れたキアラの身体。
「弱いなぁ、羽虫」
近寄ってきたのは、アシトより少し年上に見える少年だった。アシトとは対照的な金色の髪に青い瞳の、人間だろう、少年。だが、彼の背にはセミとクワガタの二種類の羽がある。
「あ、あ……」
チニュが理解する。あの羽は、セミ族の長、ゼンダと、クワガタ族の長、ネーディアのものだ。
「どう、して……」
ふたりとも後継を決めていた。殺されたとしても羽と力は後継に宿るはずだ。
この少年はゼンダとネーディアの定めた後継ではない。では、少年は、後継の者まで殺したのだ。力と羽が継承された瞬間に、後継であったユリアンとリムーブまでも殺して力を手に入れ、そして。
――キアラも殺した。
リンカが目を見開く。キアラ。
もういない。ナンナのように、戻らない。
「――ああぁあああぁああああっ!!!」
少女の絶叫が響く。
理解が脳に届いても、心が認めたくないと叫ぶ。ナンナが死んだときのように。
けれどナンナのときのように、五体満足な遺体ではなく。
それがリンカの心を引き裂いた。
少年がキアラに近付くのを見たとき、感情が爆発する。
「キアラに近寄るなぁあぁああッ!!!」
紫の雷が閃いた。次々と少年の周りに炸裂する。
「と、わ、た、なんだ? 君、人間じゃないの? 羽虫じゃないように見えるんだけ、ど」
何とか避けながら、少年はリンカを見ている。
絶望のあまりリンカの力は定まらない。それでも威力は落ちていないので少年は避けることしかできず、キアラにも近寄れない。
「リンカ、リンカ! 落ち着いてくださいましっ!!」
チニュが泣きながら少女の背に抱きついた。このままではリンカの心が壊れてしまう。小さなときによく暴走したように、力を弾けさせてしまいそうな気がした。そうなれば避難所の皆も巻き込まれてしまう。それで悲しむのはリンカだ。
キアラが殺されてしまったのはチニュも悲しくてたまらない。
どうしたらいいのかも分からない。でも、今このままリンカを放っておくこともできない。
「キアラ、キアラ、キアラ―――返せぇえっ!!」
チニュの声もリンカには聞こえていない。
ナンナのときとは状況が違う。目の前で無残に殺された。その事実が少女の心を打ち砕いている。
穏やかに全てを許して死んでいったナンナとは違う。そんなことすらできないくらいの、瞬間の出来事だ。
キアラが殺された。
それだけがリンカの頭の中に渦巻いている。
「リンカ……お願いです、やめて……っ!!」
チニュは悲痛に叫ぶ。助けてください、キアラ様。心の中でチニュは叫んだ。
このままでは、リンカが壊れてしまう……! 普段ケンカばかりしている少女のために、チニュは泣き出していた。彼女まで失くしてしまったら、チニュは立っていられない。ナンナを失い、目の前でキアラを失った。その上で、ケンカ友達のリンカまで壊れてしまったら。
「キアラ様……っ」
チニュの声。
「キアラ、キアラ……キアラぁああっ!!」
リンカの絶叫。少女は涙を流すことも出来ない。あまりにも心が痛くて、泣くこともできなくなっている。
無慈悲な現実が、彼女たちの目の前にあるからだ。
二つに分かたれてしまった、キアラの身体。
彼女は、長だ。だからもう戻らない。チニュの力でも生き返らない。
ナンナが死んだときと、同じく。
――リンカ。
声がしたような気がした。
「……っ!」
リンカの背に抱きついていたチニュが目を見張る。
光が。
「ああ……っ」
リンカの背に生まれる光に、チニュは声を詰まらせてケンカ友達の背から……ゆっくりと、離れた。
トンボ族の長は、後継を決めていたのだと、チニュは理解する。
何よりも大切に愛おしみ、慈しんでいた『妹』へ、己の力を。
羽が欲しいと泣いていた彼女に、己の羽を。
もしも、彼女より先に自分が死んだとき、彼女の心が壊れないように。
大切なものを、リンカに残したのだと。
「き、あ、ら……」
背中の温かい光に、リンカの瞳から涙がこぼれる。『姉』がいつもしてくれていたかのように、最後の想いで彼女の頭を撫でてくれた気がした。
人間の少女の背に生まれ出でたのは、最強の戦士の、最大の愛情。
可愛い『妹』へ残せる、最後の想い。
『――どうか、幸せに生きて欲しい……』
しゃらり。『妹』の胸元でお日様の首飾りがゆれる。
それはもう一人の優しい『姉』が彼女に送ったもの。
優しい、贈り物。
『――笑ってくれるだけで、いいのよ……』
彼女は思う。
優しい虫族。今まさに人間の手によって滅ぼされようとしている彼らを。
「護る、から……」
義務でなく、責務でなく、心から。
リンカが放ち続けていた雷が止んだ。少女は前を見る。
光は収まり、少女の背には日の光に煌めくトンボ族の羽がある。
少女は人間だ。だが、大好きだった『姉』の力を受け継いだ。
彼女は人間だ。だが。
「ありゃりゃ、そっちに行っちゃったのか。じゃあ、君も殺さないとならないよね……困ったな。人間でしょ? 羽虫は殺せって命令されてるんだけどさ……」
キアラを殺した少年は、どうしようかとリンカを見ている。
考えても答が出ない彼は、リンカの背後のチニュに視線を向けた。
「とりあえず、そっちの羽虫から――」
言葉が終わらないうちに、リンカは身を翻してチニュを抱え、すぐさま飛び立った。
「あ」
間抜けな少年の言葉を背に、全速で飛ぶ。頭の中にはキアラの言葉。
ナンナの力を継いだチニュ。彼女が人間に連れて行かれたら大変なことになる。
そうだ、チニュの力を人間に渡すことは出来ない。連れて行かれてしまったら、里は元には戻れなくなる。
リンカは泣きながら飛んだ。ずっと自分の力で空を飛んでみたかったけれど、こんな形で飛ぶことになるなんて。
飛ぶのなら、キアラとナンナと一緒に飛びたかった。二人と一緒に空の散歩をしたかった。
チニュが力一杯抱きついてくる。彼女も泣いていた。止まらない涙を拭うこともしないで少女たちは泣いている。
大好きな人たち。生きていて欲しかった。力なんて要らないから、後継なんてどうでもいいから、ただ、生きていて欲しかった。
一緒に、生きていたかった……!!
ささやかな願いだった。でも、何よりもそう願っていた。
もう、かなわない願いだ。
彼女たちは帰ってこない。永遠に、戻らない……。