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序・それは確かな希望の榾火

  焚き火のようなぬくもりを。

     灯火のような導きを――どうかわたしに与えてください。



 生まれつき、魔女と罵られた。

 彼女は確かに他にはない力を持っており、ほかの人間から見たならば、確かに同じ人間とは思えないような存在だったから。

 それでも、彼女は確かに人間で、傷つけば血を流し、心ない言葉には涙を流すこともあり、楽しいことがあれば笑った。

 でも。

 たとえば、人を己の力で傷つけたとき。

 たとえば、意図せずに誰かの物を壊してしまったとき。

 彼女は例えようもない罪悪感を覚えた。

 自分がいたから、こんな力が自分にあるから。こんな力を持って生まれたから。

 遡ればどこまでも自分の存在が悪いのだと彼女は思うようになる。

 悪いことなど何一つない。ただ、彼女が他とは違うものを持ち合わせただけで、彼女自身の罪ではない。

 けれど人間は弱い生き物で、己と違うものを見たならば恐怖してしまう生き物で。

 その年、村はとんでもない凶作に見舞われた。

 それすらも、彼女の罪だと、

 

 お前が。

 どうして生まれてきた。

 全部お前が悪い。

 まだ十になったばかりの彼女に、大人たちは口々に言ってのける。

 お前さえ、いなければ――。

 

 一体何が変わったというのだろう。

 彼女がいなくても村は凶作に陥っただろうし、彼女の力など作物の豊作、不作には何の関係もないものだ。人間は自然には勝てない。それが世界の理で、誰もがどこかでそれを理解しているはずなのに、村の人間はそう思おうとしなかった。

 大人たちの声は高まっていく。責任はどこだ。誰にある。

 いいや誰にもないのだよと、言ってくれる者はその場にいなく、彼女はこう考えざるを得ない。

 嗚呼、わたしがいるからなのだと。

 わたしのせいで村は凶作になったのだと。

 幼い子供まで飢えるような村。それが彼女のせいだというのならば、なんと自分の存在は罪深いものなのだろう。

「ごめんなさい」

 小さく彼女は言った。目の前で彼女を睨みつける大人たちを見つめながら。

 

 認めた。

 認めたぞ!!

 この魔女が!!

 

 大人たちが彼女の言葉を聞いた瞬間、小さな女の子は責任の存在する場所になってしまった。この凶作は、お前が招いたものなのだ。

 

 お前が村にいたからだ。お前が変な力を持っているからだ。お前が。お前が。お前が。

 殺せ。

 

 誰かがそう言ったような気がする。それは誰だったか、彼女には分からなかったけれど。

「死ねば、いいですか」

 彼女はポツンとそう訊いた。それでいいのか。それだけでいいのか。

 小さな自分の命だけで、それで何もかも償えるの?

 そうしたら、みんな幸せになれる?

「わたし、死ねばいいですか」

 この場で自分の力を放って死んでしまえばいいのだろうか。

 首をかしげる彼女に、大人たちは(おのの)いた。彼女の力がどんなものなのか知っているからだ。

 尋常な力ではないもの。その持ち主。彼女がその気になればこんな小さな村など跡形もなくなるのではないか。

 

 村から出してしまえばいい。

 

 また誰かが言った。彼女を指差して誰もが言う。

 

 出て行け。

 そうだ! 出て行け!!

 お前さえいなければ皆幸せになれる!!


 それが子供に向ける言葉だろうか。まだ護られるべき存在である子供に放つ言葉だろうか。

 彼女はそのことにすら気がつかず、ただ頷いた。

「そうします」

 彼女が持っているものなど何もない。彼女のものは彼女自身の身体だけ。

 そのまま村を出た。石でも投げられるかと思ったが、村人の誰もが彼女を恐れて見送っただけだった。石など投げたら彼女の力でこの世から消し去られるかもしれない。

 村人の視線には怯えだけがある。誰もが彼女を恐れている。

 その視線は彼女が幼い頃から受けていたもので、彼女はそれ以外の瞳を知らない。

 母親は彼女を生んだ瞬間に彼女の力を受けて死んでしまった。父親は彼女を捨ててどこかへ行ったきり戻ってこない。今まで彼女の面倒は村の人々が交代で見ていた。

 でも、受け入れてくれたわけではない。

 だからこそ、村にはいられない。

 小さな女の子は悲しいまでにそれを理解している。

 ここはわたしがいていい場所じゃない。

 とぼとぼと歩きながら彼女は泣いた。

 泣きながら歩いた。父はいない。母もいない。頼るものもない。どこへ行けばいいのか分からない。どこへ行けば許されるのかも分からない。

 たった一人の小さな女の子。

 罪でなく、罰でもないのに自分の存在を忌まわしい存在だと信じきっている、幼子。

 彼女は歩いた。歩くことしかできなかったから。どこまで行けばいいのか。

 世界の果てまで行けば自分は許されるのだろうか?

 子供の足ではたかが知れている距離を歩いて、それでも村は見えなくなった。

 やがて日が暮れる。

 彼女は森の中に入っていた。夜の森は暗く、獣がうろついている。再び泣き出しそうに瞳を潤ませて、くたびれた彼女は座り込んだ。

 おなかが減った。何か食べたい。周りを見回す。

 ほとんど何も見えないような暗闇しか、ない。

 恐い。彼女は涙を流した。誰もいない。人の気配などどこにもない森。

 誰か呼びたかった。誰を呼べばいいのかそれすらも分からなかったけれど。

 幼子のすすり泣く声を、夜の森だけが聞いている。

 ややあって。

 かさり。

 草を踏む音がして、彼女は顔を上げる。かすかに耳に伝わるのは獣の息遣いだ。

 少しずつ増えてくる。獣にとって彼女はこの上もない美食だろう。小さな子供の柔らかい肉。食わせろと言いたげに近寄ってくる。

 彼女は背後の木にすがるようにして立ち上がった。

 獣の気配はすでに周囲を囲んでいる。幼子の足では逃げ切れないのは確実だ。

 捕まれば喰われる。喉笛を噛み千切られ、腹わたから食われるだろう。獣はそうやって獲物を喰らうのだ。

 涙で潤む視界と、恐怖に震える細い足。尋常でない力の持ち主でも、喰われるのは怖かった。村から出たことのない彼女に、獣と戦った経験など皆無だ。なによりも、彼女は幼い。

 護られるべき子供だったはずなのに。

 ここに彼女を護る者はいない。いや、生まれた瞬間から、彼女を護ってくれる人などいなかった……!

「いや……」

 弱く首を振る。

 死ねばいい。脳裏に宿る声。それは彼女自身の声だった。

 死んじゃえばいい。だって誰もいないんだもん。わたしには何にもないんだもん。

「やだよ……」

 視界に、獣が映る。牙をむき出してこちらに襲い掛かる、瞬間。

 ゆっくりとゆっくりと彼女に迫る牙を、彼女は目を見開いて見ている。

 死ねばいい。

 声がする。

 本当に? ねえ本当に、死にたいの。

 声がする。

「いやだ……!!」

 泣きながら、彼女は首を振る。ほんとうは、ほんとうに。

 死にたく、ない!!

 紫色の光が幼子の身体を取り巻いた。優しい夜の闇を引き裂くような光が放たれる。

 何度も幾度も炸裂した紫色の雷光は、彼女に襲い掛かってきた獣全てを焼き払っていた。

 一撃が弱かったのか、いまだビクビクとケイレンしている獣もいる。それも遠くないうちに息絶えるだろう。

 これが彼女の力、村人が恐れる破壊の雷。

 荒く呼吸をしながら、彼女は獣に近寄った。焦げ臭い。

 息をしているもの。していないもの。

 彼女が奪ったもの。

 いのち。

 やらなければ殺され喰われていたのは彼女のほうだ。何の武器も持たない幼子に抵抗の術があるわけもない。彼女が助かったのは彼女自身の力があったからだが、彼女は助かったことを喜んでいなかった。

 彼女の手で、彼女の意思で、奪った命。

 なくなった命。もはや二度と戻ってこないもの。

 ゾッとして彼女は小さな手のひらを見下ろす。自分が殺した、獣。

 大きな獣だった。狼と言うのだということも彼女は知らず、ただ獣だとしか思わなかったが。

 群れを成して襲ってくる獣を、たった一人で自分は撃退してのけた。

「こわい」

 呟く。あんなふうに力を使いたかったわけじゃない。ただ、跳ね除けようとしただけだった。けれど彼女自身の意思とは逆に、具現した力は獣たちを容赦なく撃ち、殺してのけた。

 コントロールできない自分の力を彼女は恐れている。

「こわいよう……」

 たすけてという言葉は喉の奥で凍り付いている。誰が彼女を助けるというのだ?ここには彼女以外誰もいないというのに。

 幼い子供は絶望に震えている。

 そのときだ。まだ息のあった獣がか細く鳴き声を上げたのは。

 きゅうん……。

 それは弱く、あまりにも弱く、命の終わりを告げる声。

「――ッ!!」

 彼女は口元を覆い、言葉を失った。

 罪を、突きつけられたような気がしたのだ。

 お前が殺した、と。

 恐怖のままに走り出した。森は暗く、無慈悲なほどに真っ暗闇で、先など見えない。

 まるで彼女の心の中のように、暗闇が続いている。

「あああ、ああああああっ、うわあああああっ!!」

 声を上げていないと身体が心が張り裂けてしまいそうだった。悲しいのか苦しいのか、怒りなのか嘆きなのか。

 それともただ、自分に対する恐怖なのか。

 彼女は走り続けた。疲れて疲れて、草の中に倒れこむまで。

 心臓が苦しい。このまま破裂してしまえ。

 息が苦しい。このまま止まってしまえ。

 自分の力は恐ろしいもの。命を簡単に奪ってしまうもの。

 いのち。一度なくなってしまえば二度と戻らないもの。

 それが大切なものだということを彼女は知っている。

 簡単に奪ってしまってはいけないものだと、彼女の心は言っている。

 なのに、殺してしまった。

「うあああん、あああああっ」

 苦しい息の中でなおも彼女は泣いた。泣いて泣いて涙が枯れるかと思うくらいに、泣いた。


 気がつけば、夜が明けていた。いつの間にか眠っていた彼女は、腫れた目を隠さずにのろのろと起き上がった。まぶたが重い。体中が痛い。

 彼女は立ち上がる。ふらつく頭でただ、考えていたのは。

 これ以上、自分が生きていてはいけない。

 罪、罪、存在が罪。生きていることさえ罪ならば。

 この身に、罰を。

 パシン。彼女の周りに紫の光が灯る。それは徐々に強くなっていく。

 誰かが許してくれることも無く、自分の心さえ自分の存在を許せないのなら。

 罰を。命を奪った償いを、(あがな)いを……。

 彼女はぎゅっと目をつぶった。紫の雷光が、この上もない力を持って、彼女の頭上に炸裂する。強力な力は、あっけなく彼女の意識を薙ぎ払っていった。


新しい話です。よろしければ感想・批評等残していただけると幸いです。

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