第1話
森の奥のさらに奥。人里離れた場所に彼女はいた。
「すみません、誰かいませんか?」
薄暗い洞窟に向かって声をかけるが、聞こえてくるのはこだました自分の声だけ。キースは少し迷い、今度は声を大きくして呼んでみた。
「すみませ……」
「うるさいねぇ、そんなに大声を出さなくても聞こえてるよ」
「え…っ」
とつぜん背後に人の気配を感じ、キースは飛び上がるように後ろを振り向いた。
そこには小柄な老婆がたっていた。しわくちゃの顔に、きっちりと結いまとめられた白髪。おり曲がった身体は真っ黒なローブで隠されている。
「い、いつからそこに?」
さっきまでは確かに誰もいなかったはず。気配もなく現れるなんてまさしく魔女だ。
「ずっといたさ、あんたが気がつかなかっただけでね」
「そんな……、だって僕は洞窟に近づく前に周りを確認しましたよ? 誰かいるんじゃないかと思いましたから」
「だから、あんたが見つけられなかっただけさ」
言いながら、老婆は洞窟のなかへと入っていく。キースは喜びを隠しきれない顔で言った。
「やっぱり本当だったんだ。森の奥にすむ魔女の噂は」
「なんだって?」
嬉しそうな声に、老婆は不機嫌きわまりない表情でふり返った。
「あんた、今なんて言ったんだい」
「え? 本当だったんだと」
「違う。その後だよ」
キースは少し考えてから答えた。
「魔女の噂のことですか」
「噂ってのはなんだい」
肯定もなにもないまま、老婆は続ける。
「どうして私が魔女だと思う?」
キースは首をかしげた。
「違うんですか? だってこんな森の奥でご老人が一人で暮らしているのはおかしいし、あなたのその格好はどう考えても魔女だ」
「格好なんて人の好みだろう。それにこの洞窟の奥に、家族が住んでいるかもしれない」
「え? そうなんですか?」
キースはがっくりと肩を落として言った。
「せっかく見つけたと思ったのにな…」
自らの願いを叶えるため、森に飛び込んだのは三日ほど前のことだ。毎日毎日歩き続けて、ようやくたどり着いたこの洞窟。絶対に間違いないと思っていたのに。
ふと走らせた視線の先に、キースは珍しい花を見つけた。マーガレットのようにも見えるが、花びらの色が違う。ひとつひとつの花の花びらが七色に染まっているのだ。
キースはさらに視線を走らせた。老婆の身体をおおう真っ黒なローブの裾から、オレンジ色の生地が見える。キースは首をひねった。
「お婆さん、あなたは本当にここで家族と暮らしているんですか?」
「あんたに話してやる義理はないよ」
「若い娘さんが一緒に暮らして居るんじゃありませんか?」
「…どうしてそう思うんだい」
「いえ、ただの好奇心です」
「だったらなおのこと、話す義理はないね」
老婆はなめ回すようにキースを見ながら言った。突拍子もない質問の真意を読みとろうとしているようだ。キースは構わずに続けた。
「確かにそうですが、気になります。僕は一度気になると、解決するまでは夜も眠れない性格なんです。どうか教えていただけませんか?」
「あんたが夜寝れなくたって、私は痛くもかゆくもないよ」
「でも教えていただけるまで、僕はあなたの側を離れませんよ」
老婆は何も答えない。
「聞こえないふりですか? それともご老人だから耳が遠いのかな?」
最後のほうの言葉が気に入らなかったらしい。老婆がクルリとふり返った。