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BTT  作者: 黄黒真直
3/5

Q.2 : 無限について、1万文字以内で考察しなさい

細かいところは読み飛ばし、大まかな雰囲気を掴む方が、楽しめるかもです。

 1つの球体をいくつかにバラし、それを組み立てなおすと、もとの球体と全く同じものが2つできる。

 この信じられない定理は、「定理」であるにもかかわらず、「パラドックス」と呼ばれることもある。間違いなく「真」であるのに、「偽」としか思えないタイプのパラドックスだ。

 果たしてどんな証明が飛び出すのか。そしてそれは、高校生レベルで理解できるものなのか。

 しかし黒板に向き直ったピエが書いたのは、一見、バナッハ=タルスキの定理とは関係なさそうな単語だった。

「ヒルベルトの無限ホテル?」

 シーの言葉に、こくり、とピエが頷く。

「有名な話だし、聞いたことあるんじゃないかな?」

 とピエは尋ねたが、メンバー誰一人として、得心したような顔をしない。聞いたことがないようだ。

「……これは、無限にまつわる一見突飛な話。だけど、割と理解しやすいと思う。

 あるところに、インフィニティと言う名前のホテルがありました。ホテル・インフィニティにはその名の通り、無限の部屋がありました」

「待て」止めたのはリンだ。「そんなホテルはあり得ない。どうやって建てるんだ」

「むー、そう言われても。例え話だと思って聞いてよ」

 ピエは数学屋だ。ゼミの内容も9割数学である。だから、無限などと言うロマンチックな内容も、あっさりと受け入れられる。

 一方、リンは生物屋だ。徹底したリアリストであり、現実的なことしか受け入れない。

 ……だからピエがゼミ担当のときは、リンは突っかかるか、置いてけぼりになるかの、どちらかのパターンになることが多かった。

「とにかく、そういうホテルがありました。そしてホテル・インフィニティはいつも大変な人気で、今日に至っては満室でした」

「無限に部屋があるのに?」と今度はシー。

「無限に部屋があるのに」とピエは頷いた。

「……。まあいいわ。続けて」

「ところが運悪く、もう1人突然のお客様がやってきて、一晩泊めてくれと言いました。フロントのボーイは、あいにく満室となっておりまして、と断ろうとしましたが、そこにオーナーのヒルベルトが現れて、言いました。

『大丈夫です。ただいま1室、お空け致します』

 ヒルベルトは館内放送で、宿泊客達にアナウンスしました。

『お客様に、ホテルよりお願い申し上げます。大変申し訳ありませんが、これより、1号室にお泊りのお客様は2号室へ、2号室にお泊りのお客様は3号室へ、3号室のお客様は4号室へ……のように、お客様の客室番号に、1を加えはお部屋へお移りください』

 まもなくして全員の移動が終了すると、ヒルベルトは新しく来たお客様に言いました。

『さあお客様、どうぞ、1号室へご案内致します』」

「いやいやいや、待て待て待て」

 リンが右手を前に突き出した。左手でこめかみを押さえる。

「そんなバカな話があるか?」

「どして? だって、部屋は無限にあるんだよ?」

「だが満室だったのだろ? だったら、最後の部屋に泊まっている客は、どこに移るのだ? その客の客室番号に1を加えた部屋は、そのホテルにはないはずだ」

「じゃあ逆に聞くけど、最後の客室番号って、何番?」

「それはもちろん……1万だか1億だか知らないが、大きな数だ」

「じゃ仮に1兆だとしたらさ、部屋の数は1兆室ってことだよね。……それって、無限じゃないよね」

 リンはしばし黙り込み、考え込んだ。

 部屋数は無限にある。つまり、最後の番号なんてない。それが無限と言うものだ。

「……そもそも、無限の部屋数なんてものはあり得ない」

「うーん……」ピエは少し悩む素振りをした後、「じゃあ、この話ならわかるんじゃない?」と黒板に向き直った。

 いったい何を書くのかと、部員たちはピエの肩越しに、書かれていく文字列を眺める。ピエが書いたのは、見覚えのある数列だった。

 π=3.14159265358979……

「ご存知、円周率π。これは、無限小数であることが知られています。……これはいいよね?」

 リンは頷く。他のメンバーからも、異論は無いようだ。

「円周率の小数点以下の各位と数字の関係を、次のように書く」

 ピエは再び、黒板に数列を書いた。今度の数列は、表の形をしていた。

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 …

 1 4 1 5 9 2 6 5 3  5 8  9 7 …

「上の行が小数点以下第1位、第2位、第3位…を表し、下の行がそれぞれの数字を表す。で、ここで考えてもらいたいんだけど……」

 ピエはリンを見て言った。

「円周率は、小数点以下が無限に続く。これは各位を『部屋』と見なせば、無限室の部屋に無限個の数字が1つずつ収まっている状態と言える。これは理解できるよね?」

 リンは渋々頷いた。ピエは無垢な笑みを浮かべると、先を続けた。

「ここで円周率に0.1をかける。すると、こうなる」

 0.1π=0.314159265358979……

「そしてこれを、さっきと同じように書き表すと、こうなる」

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 …

 3 1 4 1 5 9 2 6 5  3 5  8 9 …

「あっ」とマフが声を上げた。「1号室の数字が2号室に、2号室の数字が3号室に移ってる!」

 ピエは満足気に頷いて、後を続ける。

「しかも、その空いた1号室には、新しいお客様の3が入っている。無限室の部屋が全て埋まっていたにも関わらず、新しいお客様を迎えることが出来た。……これが、ヒルベルトの無限ホテル」

 どうよ、と言わんばかりにピエは胸を張ってリンを見る。リンは淡々とした表情のまま、「円周率の話はわかった」と答えた。

「だがホテルは認めん」

 頑固だなぁ、とピエは思った。

「とりあえず、またホテルに話を戻すね?

 ……ホテル・インフィニティは今日も大盛況。今日は、1号室を除いて、全ての部屋が埋まっていました。オーナーのヒルベルトは大満足。

 しかしそこに、ヒルベルト宛ての電話がかかってきました。それはヒルベルトの雇い主、リンデマンでした」

 ちなみにリンデマンとは、ヒルベルトを教えた大学教授であり、πが超越数であることを証明した人物だが、部員たちは知らなかったようで、特になんら反応を示さなかった。

「そう、ヒルベルトは雇われオーナー、いわば名ばかり社長だったのです! リンデマンは、この書き入れ時の季節に1室でも部屋が空いていると、ホテルの従業員全員を減俸にするほどのドケチな人でした。そのリンデマンが、なんと今日、ホテルの視察に来るというのです!」

 ピエのテンションは徐々に上がり、言葉が芝居じみてきた。が、部員たちはいまいち乗り切れてないようである。

「で?」とリン。「ドラマ部分はいいから、数学の話をしてくれ」

「むー、数学嫌いのリンちゃんのためにやってるような物なのに。

 とにかく、リンデマンがやって来ると聞いて、ヒルベルトは震え上がりました。なんとか、今すぐ満室にしなくてはいけません。そこでヒルベルトは一計を案じ、館内放送を流しました。

『お客様に、ホテルよりお願い申し上げます。大変申し訳ありませんが、2号室のお客様は1号室に、3号室のお客様は2号室に、4号室のお客様は3号室に……のように、お客様の客室番号から、1を引いたお部屋へお移りください』

 まもなくして、お客様が全員移動し終わりました。そしてタイミングよく、リンデマンがやって来ました。彼を出迎えて、ヒルベルトは堂々と言いました。

『ご覧ください。本日も、ホテル・インフィニティは満室です!』」

「待て待て待て!」

 両手を前に突き出して、リンが「タイム」をかける。

「おかしい。最後の部屋はどうなった。最後の部屋から1つ前の部屋に移った客がいるはずだ。だから、最後の部屋は空くはずじゃないのか?」

「だ・か・らー。最後の部屋なんてないんだってば。部屋数は無限にあるんだから」

「えーと、ピエちゃん」マフが言った。「もう一度、円周率で説明してくれる?」

「わかった」

 頷いて、黒板に向き直った。チョークを取ると、先ほどの表の下に、次の数式を書いた。

 10π=31.4159265358979……

 そしてその下に、先ほどと同じような表を書く。

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 …

 4 1 5 9 2 6 5 3 5  8 9  7 9 …

「これでわかった?」

 とリンを見る。

「……。確かに、もともと2号室にいた4が、1号室に来ている。それでいて、無限の部屋は全て埋まっている」

 むむむむむ、とリンは頭を抱え始めた。

「今日のゼミ、私は理解しきれる自信がない」

「難しく考えずに、『そう言うもんだ』と思って受け入れてよ」

 何故ピエにはこんなことが受け入れられるのか。リンにはその精神構造が、全く理解できなかった。

「ここで重要なのは、2つ目の『部屋を埋める話』。無限の部屋があるとき、いくつかの空き部屋があっても、他の部屋が満室なら、そこに泊まっているお客様を移動させることで、ホテルを満室にできる。このことを覚えておいてね」

 納得半分、疑心半分。やや眉をひそめた様子で、部員たちはピエのセリフを聞いていた。

 ピエは再び黒板に向き直ると、今度は図形を書いた。ロボットのように、綺麗な円を描く。

「ではシーちゃんに質問」

「えっ、はい!」

 シーはシャキッと背筋を伸ばした。ピエはシーに、チョークを向けた。

「円の定義は?」

「円? ええと……ある一点からの距離が、常に等しい点の集合?」

「さすがシーちゃん、その通り! なんでも知ってるねー」

 シーの得意分野は化学だ。だが化学に限らず、色々な分野の基礎知識を身につけているし、一を聞いて十を知れるだけの頭脳を持っている。部員の中では、部長のマフを凌ぐ一番優秀な人物だ。

「さて」とピエが仕切り直す。「いまシーちゃんが言ったとおり、円……というか、平面図形はすべて、点の集合と見なすことができる。でも考えてみて。『点』は点に過ぎない。大きさを持たず、位置しか示さないその存在がいくら集まったところで、『線』を作ることは出来ないはずだよね?」

「……言われてみればそうだが」とリン。「だが現実に、線はある。どういうことだ?」

 ピエは頷いて、説明した。

「点が集まって図形が出来るのは、点が無限に集まることで図形の位置を指し示しているから、と解釈するの」

「えっと、つまり……」

 とコウが言った。コウは天文が好きな娘だ。リンと同じく、現実を見て、現実的なことを受け入れるが、宇宙創成のようなロマンチックなことにも理解があるタイプだ。

「位置を示す点の集合が線だとすると、線は『連続的な位置を表すもの』ってことですか?」

「その通り! 一応、比喩で説明しようか? 点は、位置を表す。例えば、『理科室を出て左に曲がり、真っ直ぐ進んで突き当たった場所』と言えば、ラウンジの位置を、つまり点を表すことが出来る」

 こくり、とコウは頷いた。

「そして、『理科室を出た場所』『左に少し進んだ場所』『さらに左に少し進んだ場所』『さらに左に少し進んだ場所』……そして『突き当たった場所』と言えば、ラウンジまでのルートを、つまり線を表すことが出来るでしょ? つまり、連続的に場所を表現することで、線を表さすことが出来る」

 全員、その様子を頭に思い浮かべているようだ。

「だけど、その表現する場所と場所の間に、少しでも隙間があると、線は点線になってしまう。実線にするためには、点のサイズがゼロでなくてはいけない。大きさがないからこそ、連続的な線を表すことが出来る」

 リンは明らかに、思考放棄した顔になっていた。椅子の上で、足と腕を組んでいる。

「まあ、いい。わかった。そこからどう話が展開するんだ?」

「点が無限に集まって、円となる。では、いまここで、円から1点だけ抜いた図形を考えて見る」

 ピエはそう言って、黒板に図を書いた。ぐるりと大きな円を描いたが、円周上の一箇所だけ、穴が開いている。

「くどいようだけど、円周上に点は無限にある。でもこの図では、1点だけ抜けている。この抜けた部分を『1番』とする。そしてその隣、反時計回りの方にある点の位置を『2番』、その隣を『3番』、その隣を『4番』……と言う風にしていく」

 1点が欠けた円周上に、1番、2番、3番…と番号が振られていった。ちなみに、この図の隣には、先ほどの円周率の表がある。

「ここで思い出して欲しいのが、さっきのホテル・インフィニティ。リンデマンが視察に来るとき、ヒルベルトは巧妙なやり口で部屋を満室にしたよね?」

 リンは渋々頷いた。一方マフは、「話が見えた」と言わんばかりにニヤリとした。

「と、言うことは! この1点が欠けた円にも同じ操作を施せば、完璧な円を作ることが出来るわけですよ!」

 すなわち、2番の点を1番に、3番の点を2番に、…と移動させていけば、空いた1点を埋めることが出来る。

「では、この方法を利用して、1つの円から、2つの円を作ります」

「ちょっと待って」

 えーと、とマフが唸った。マフは物理屋だ。中学や高校で習うような、いわゆる「理科」も好きだし、宇宙論や量子力学なんかも大好きだ。当然、それらに関連する数学についても、かなり詳しい。

「いまピエちゃんは、1点が欠けた円を、完璧な円に作り変えた」

「そだね」

「これは、あたかも点を1つ増やしたような行為。そして、円は無限個の点の集合。だから、『無限の点を増やせれば』円のコピーが作れる」

「まさにその通り」

「……でも、無限個も増やせるの? 増やせる個数には、限界があるんじゃない?」

 ピエは目を見開いた。それから、てか、と笑い、チョークを指揮棒のように振る。

「うん、すごく良い指摘! 確かにマフちゃんの言うとおり、増やせる個数には限界がある」

「でもそれじゃ」とコウ。「無限個の点が必要な円は、作れないんじゃないですか?」

「これは、ちょっとしたトンチだね」とピエが楽しげに言った。「言葉のあや、って言った方が正確かな?」

「どういう意味です?」

「私が言った『増やせる個数に限界がある』というのは、『上限がある』って意味じゃないの。『増やせる個数』と『増やせない個数』がある、って意味なのよ」

「はぁ?」

 リンが組んでいた腕と足を解き、身を乗り出した。

「つまり、2個増やすことは出来るけど、3個は出来ない。でも4個は出来る……とか、そういうことか?」

「うん。ま、そんな単純な話じゃないけど」

 タネを明かすように、ピエは一呼吸置いて、説明を始めた。

「答えを言うと、『可算個の点を増やすことは出来るけど、非可算個の点を増やすことは出来ない』のよ」

「…………」

 ポカンとする部員を背に、ピエは「可算個○ 非可算個×」と黒板に書いた。

「運動会の競技にさ、玉入れってあるでしょ」

「ピエ先輩がやってたやつですね」

 コウがくすくす笑う。先日の運動会、「高校生にもなって玉入れなんて」とやる気のないメンバーが集う中、ピエ1人だけが狂喜乱舞の大立ち回りをしていた。そのおかげで玉入れでは勝利を収めたが、ピエのチームは学校中から失笑を買っていた。

「好きなんだよね、玉入れ」

 素の答えが返ってきた。

「ま、それはおいといて。玉入れって、最後に玉を数えるとき、かごから同時に玉を出していくでしょ? ひと~つ、ふた~つ、み~っつ、って言いながら」

 ピエはかごから玉を出すジェスチャーをしながら言った。

「で、最初に玉がなくなったところが負け、最後まで玉が残ってたところが勝ち、だよね?」

「そうだけど、それが?」

「これってさ、複数のかごに入っている玉を、1対1に対応付けてる様子だと思わない?」

「……は?」

 よくわかっていないらしいリンのために、ピエが黒板に図を描いた。

 わかりやすく、かごは2つ。赤いかごと白いかごだ。かごの上に、赤玉と白玉がいくつか並べられた。

「1番目に取り出した玉に、『1』と書く」

 赤玉と白玉のうち、一番左に描かれた玉の中に「1」と書かれた。

「2番目に取り出した玉には『2』」

 その隣の玉に「2」と書かれる。以下、ピエはそれを続けていった。「3」「4」「5」「6」……「10」まで来たところで、赤玉が尽きた。一方、白はまだ3つ残っている。残り3つの玉にはそれぞれ、「11」「12」「13」と書かれた。

「いまこの2つのかごに入っている玉は、1対1対応出来てない、ってわかる?」

「まあ、そうね」とマフ。「白が残ってるから。白にある11、12、13と書かれた玉に対応する玉が、赤にはない」

「そ。だけどこうすると」ピエは「11」「12」「13」の玉を消した。「1対1対応になるよね?」

「1対1対応と言うよりは」とシー。「ナンバリング?」

「んん……少し違うけど、そう考えても問題ないのかな。んで、昔、ゲオルク・カントールさんが、『2つの集合の要素が1対1対応できるとき、2つの集合の要素の個数は等しい』と定義した。簡単に言えば、『1つ、2つ、3つとかごの中の玉を取り出して、同時になくなったら、2つのかごの玉の数は等しい』ってことね」

「わかりやすいな」とリン。

「でしょ」とピエが笑う。「ではこれを、無限に拡張する」

 リンは頭を抱えた。

「無限って言っても、これは単純な話だよ? 無限にあるものと言えば、自然数。そこで、『自然数と1対1対応する集合は、可算個の要素を持つ』と言うの。これが可算個の定義。逆に、自然数と1対1対応出来なければ、それは非可算個ってこと」

「つまり」とシー。「ナンバリング出来るものが可算個、出来ないものが非可算個と言うこと?」

「『自然数で』ナンバリングするって条件がつくけど、だいたいあってる」

 そして、とピエは黒板の一点をチョークで叩いた。さっき書いた、「可算個○ 非可算個×」だ。

「円に、可算個の穴が開いていれば、その隙間を埋めることが出来るの」

「ちょっと待てよ」

 リンが止めた。

「無限の話はよくわからないが……自然数が無限個ある、と言うことは私にもわかる」

「うん」

「その自然数と1対1対応するということは……対応する側も、無限個あるということだな?」

「合ってるよ」

「なら、可算個の穴を開けるということは、無限個の点を引っこ抜くと言うことだ。無限個の点で出来ている円から、無限個の点を除いたら、そこには何も残らないのではないか?」

「本当にそうかにゃ~?」

 ニヤニヤ笑いながら、ピエは黒板に向き直った。そして、こんな表を書いた。

 1 2 3 4  5 6  7 8 9 10 …

 2 4 6 8 10 12 14 16 18 20 …

「上の行に書いたのは自然数、下の行に書いたのは偶数。この表から明らかなように、偶数は、自然数と1対1対応できる。シーちゃんの言葉を借りれば、『偶数はナンバリングできる』。だってそうだよね? 1番目の偶数は2、2番目の偶数は4、100番目の偶数は200、って感じで、番号と偶数が1対1で対応してるもんね」

「そう、だな」

「そして、『明らかに偶数は無限個ある』よね?」

「まあ、明らかだな」

「じゃあ、円周上の点に、さっきみたいに1から順番に番号を振ったとする。そしてそこから、偶数番目の点を取り除いたら、どうなる?」

「……」リンは、負けた、と思いながら答えた。「奇数番目の点が残るな」

「そ。私たちは『偶数番目の点』を取り除いた。そして『偶数は無限にある』。だけど、『奇数番目の点が残る』。つまり、無限個の点から無限個の点を取り除いたのに、まだ奇数番目の点が残ってるってわけ」

「…………」

「じゃあこのまま、円の話を続けようか。まず完全な円から、偶数番目の点だけを横にずらす。そうすると、『偶数番目の点だけの円っぽいもの』と『奇数番目の点だけの円っぽいもの』の2つの図形が出来る」

 ピエは、点線で2つの円を描いた。それぞれの上に、『奇』『偶』と描く。

「ここからまた、さっきのホテル・インフィニティに行こう」

「また建設不可能なホテルか」

「今度ばかりは円周率で説明するのは難しいから、これで勘弁して……。

 ホテル・インフィニティは、昨今の不況に加え、シーズンオフであることもあり、今日は全室のうち、部屋番号が偶数の部屋しか、お客様が泊まっていませんでした。

 ところが! 運の悪いことに、今日もまた、リンデマンが視察に来るというのです。

 リンデマンは、シーズンオフだろうが書き入れ時だろうが、全室埋まっていないとスタッフ全員を減俸にするほどのドケチ。なんとかして、今すぐ満室にしなくてはいけません。

 そこで、一計を案じたヒルベルトは、館内放送を流しました。

『お客様に、ホテルからお願い申し上げます。大変申し訳ありませんが、これより、2号室のお客様は1号室へ、4号室のお客様は2号室へ、6号室のお客様は3号室へ……のように、お客様の部屋番号を、2で割った番号の部屋に、お移りください』

 程なくしてお客様の移動が終わると、ちょうどリンデマンがやってきました。ヒルベルトは彼を満面の笑みで向かえ、言いました。

『ご覧ください、ホテル・インフィニティは、今日も満室です!』」

 もはやリンは何も突っ込まなかった。ただ項垂れただけである。

「恐ろしいことに、筋は通ってるわね」とマフ。「nを自然数とすれば、偶数は2nと書ける。だから、『全ての偶数を2で割れば、全ての自然数が現れる』」

「そういうこと」とピエは頷いた。「同じように、全ての奇数から、全ての自然数を作ることも出来る。1を加えて2で割ればいいからね」

「つまりそれって」

 コウは、黒板に書かれた2つの「円っぽいもの」を見た。

「その円っぽいものを、円に出来るってことですか?」

「そう! 偶数番目の点だけで描かれた図形は、全ての点を、2で割った番号の位置に移動させる。奇数番目の点だけで描かれた図形は、全ての点を、1を加えて2で割った番号の位置に移動させる。これで、2つの『円っぽいもの』が、円になる。ところで、この2つの『円っぽいもの』は、もともと1つの円を2つに分けて作ったものだった」

「と、言うことは……」

 シーが息を呑んだ。他の部員達も、狐につままれたような顔になる。

「これで、1つの円から、もとと全く同じ2つの円を作ることが出来た、ってことになるの!」

「……」

 コウは、納得いかない、という表情で、黒板を見た。ピエはほとんど口頭で講義したが、黒板を見ると、論理の痕跡が残っている。ヒルベルトの無限ホテルでは、奇数番目の部屋が空いていても、偶数番目の部屋が全て埋まっていれば、全ての部屋を埋めることが出来る。それと同様に、1つの円を、偶数番目の点の集合と奇数番目の点の集合に分ければ、それぞれの集合から1つの円を作り出すことが出来る。


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