星間鉄道
規則的な音と振動を感じて目が覚めた。
一瞬どこにいるのかわからなかったが列車に乗っているようだ。淡いオレンジ色の明かりに照らされた車内は、昔の列車のようなレトロな造りでなんとなく懐かしい感じがした。
―あれ…? なんでこんなとこにいるんだっけ?―
そんな疑問がぼんやりと浮かんだが、答えの出ないうちに声をかけられた。
「相席、かまわないかしら?」
少ししわがれた女性の声で聞こえたその言葉にはっとして、慌てて答える。疑問は何処かへ飛んでいってしまった。
「え、あ…はい。どうぞ」
「ありがとう。」
白いものが混じった茶色い髪と紫の瞳を持ったその老婦人は、軽く礼を言ってから私の向かいの席に座った。
皺の刻まれた顔には柔らかな笑みをたたえている。
―なんでわざわざ相席なんて…? こんなに空いてるのに…―
疑問が顔に出ていたのか、女性はクスクスと笑ってそれに答えてくれた。
「娘のところに行ってきた帰りなの。でも一人だとつまらなくて・・・・・。おしゃべりにつきあってくれないかしら?」
聞いてくれるだけでもかまわないわ、と続く言葉にひとつ頷いて返す。
「ええ、是非。この通り暇をしていまして、さっきまで寝ていたくらいなんです。」
「あらまぁ、あまり座ったまま寝るのはよくないわよ。」
「わかってはいるんですけど、こうもすることがないとどうにも…。」
呆れたような言葉に苦笑で返すと、老婦人のほうも苦笑してしまった。
その時、いきなりガチャッと音が響いた。
「おおっ!! 人がいた!! いやぁ、よかったぁ。乗ってたのは俺だけじゃなかったんだなぁ。」
驚いているところに聞こえた大きな男性の声に、思わず固まってしまった。すぐに我に返り、慌てて声がした方を向けば、大柄な男がドアから厳つい顔を覗かせていた。
見た感じは中世ヨーロッパの『田舎のおじさん』といったところだろうか。ぼさぼさの赤茶色の髪と髭に琥珀色の瞳をしている。厳つい顔とは裏腹に、纏う雰囲気は穏やかなものだ。
「そんなに人がいないんですか?」
「おうよ、ここまで何両か通ってきたが誰にも会いやしない。いい加減不安になったところでやっと人に会えたわけだ。」
気になったことを聞いてみればそんな答えがかえってきた。
―何両も続く列車なのにそんなに人がいない? どういうこと?―
「私たちもさっきまで一人だったのよ。こんなに立派な列車のに使う人は少ないのねぇ。」
「そうみたいだなぁ。」
考え込む私をよそに二人はそんなのんきな会話をして笑っていた。
「よいせっと…。俺は仕事の休暇で田舎に戻るところなんだがあんたたちはどこ行くんだ? まだ先ならちょいと付き合ってくれや。」
通路を挟んだ席に座りながら赤毛の男性がそういうと、老婦人が楽しげに了承した。
「ええ、こちらからお願いしたいくらいだわ。おしゃべりは多い方が楽しいもの。私は娘のところから戻ってきたところなの。ふふっ、久しぶりに会ったら孫が3人も増えてて驚いたわ。でもとっても幸せそうだったから安心したわ。」
「私はこれから行くところです。古い友人から久々に会おうって手紙が届きまして…。」
―あれ、そうだったっけ? …ああ、うん。そうだった。―
自分の口から出た言葉に一瞬違和感を感じた。その後、なんでそんなことを忘れていたんだろうかと思う。
いつの間にか感じた疑問は流れていた。
「ここ数年は会ってなかったんですけどね。久しぶりだから何を話そうか迷ってるところです。」
「ふふっ。それは楽しみねぇ。思う存分話してらっしゃいな。」
「あー。俺もそんな奴いたなぁ…。どうしてやがるかねぇ?」
私の言葉に老婦人は微笑んで楽しげにそう言い、赤毛の男性は懐かしそうな眼をして宙を見上げていた。
「お友達と疎遠になってしまうのは残念だけど仕方ない時もあるわ。その分、会えたときに楽しい時間が過ごせれば、それはきっと素敵なことよねぇ?」
「おお、確かにそりゃあ嬉しいねぇ。どれ、こっちから連絡入れてみるか。」
「うーん…。場合によりけりな気もしますけど…。」
楽しく過ごせるなら、確かにそれはとても素敵なことだろう。
でも喧嘩したり、敵対して疎遠になってしまったなら、会うことすらも辛いものになるだろうとも思う。
「なぁに、そんときゃあれだ。仲直りすりゃぁいいんだ。」
「一度切れてしまった縁なら、もう一度結び直せばいいのよ。」
―ああ、そっか。そうなんだ。―
そんな楽観的な言葉で、なぜか納得している自分がなんだかおかしかった。
「ああ、やっと笑ってくれたわね。」
「え?」
―私はそんなに笑ってなかった?―
不意にそんなことを言われて一瞬呆けてしまった。そんな私を見て、二人は何処か満足げな顔で笑っていた。
「ふふっ、そんな顔をしないでちょうだいな。」
「あんた、笑っててもなーんか硬かったんだよ。」
「あー…。そんなに硬かったですか?」
自分では普通に笑っているつもりだったのだが、硬いと言われると心当たりがないわけでもなく、なんとなく気恥ずかしくて俯きがちに訊ねる。
「硬かったわねぇ。」
「ああ、硬かったな。」
「あ、う…。すみません。」
再び言われて少し落ち込む。別に悪いことをしたわけでもないのだが、自然と謝っていた。
「あらあら。こちらこそごめんなさいね。あなたが自然に笑ってくれたのが嬉しかっただけなの。」
「謝るこったねぇよ。初対面なんだから仕方ねぇわな。」
そう言って二人は苦笑していた。
その後は打ち解けて、ずっと他愛もない話をしていたと思う。
気がついたら私は、眠っていたらしい。二人の姿もなく、私はまた一人になっていた。
車内の照明は落とされ、窓から星明かりがさしている。
―あれ…? 夢…だった?―
冷えた空気を感じて、そんなことを思う。
二人と一緒にいた時間はそれなりに長かったはずなのに、自分の記憶以外にその証になるようなものがないせいで現実味がなかった。
―そういえば、なんで走ってるんだろう?―
寝台車でもない列車の照明が落とされているのだ。普通なら終業して車庫に収まっているところではないだろうか。
回送電車でも照明はついているし、見回りの際に私は起こされているはずだ。
そこまで思い至って怖くなった。この列車はなんなんだろうか、と。
―なんで私は列車に乗ってるんだっけ?―
―なんで誰もいない?―
―友人って誰?―
―なんで駅に止まらない?―
―なんでなんでなんでなんでなんで………?―
忘れていた疑問が恐怖とともに溢れだして来る。
それに耐えられず、私はそのまま気を失った………。
◆◇◆◇◆◇
次に目が覚めたとき、私は病院のベッドの上にいた。
聞けば私は列車事故で数日間意識不明だったらしい。
そう聞いたときに思い出したのは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」だった。
あの列車が銀河鉄道ならあの二人は死者だったのだろうか。
それでもあの時感じた暖かさは本物だったと思う。
もし、あのまま彼女たちとともに行けたなら、私は幸せだっただろうか。
……ある意味ではそうだっただろうし、ある意味ではそうではないだろう。
今、私の手は暖かい手に包まれている。
その暖かさはいつも私を支えてくれていたものだ。
ずっと忘れていたこの暖かさを思い出せただけでも今は良しとしよう。
―願わくばいつかまた、あの人たちに会いたいものだ。でも、今は…。―
もう少しだけ眠るとしよう。この暖かさのもとで。