第7話「選べないプロポーズ」
シュヴァルツ侯爵の失脚。それは、長きにわたってヴァイスハイト家を覆っていた暗雲が、ようやく晴れた瞬間だった。父の濡れ衣は晴れ、ヴァイスハイト家の名誉は完全に回復された。その夜は、公爵邸でささやかな祝勝の宴が開かれた。
広間には、今回の勝利の立役者たちが集まっていた。レオニダスと彼のギルドの仲間たち。森から駆けつけてくれたシルヴァン。そして、ギルド『白銀の獅子』の頼もしい冒険者たち。種族も身分も関係なく、誰もが笑顔で勝利の美酒を酌み交わしている。この光景こそ、私がギルドを立て直して、本当に実現したかったものなのかもしれない。
「イザベラ、本当に、よくやってくれたな」
父が、感極まった様子で私の肩を叩く。
「お前の起こした奇跡は、我が家の誇りだ」
「私一人の力ではありません。ここにいる、皆のおかげです」
私がそう言うと、レオニダスが「へっ、当たり前のことをしたまでだ」とそっぽを向き、シルヴァンが「君の努力が、我々を動かしたのだよ」と微笑んだ。そんな仲間たちとのやり取りが、たまらなく心地よかった。
***
宴もたけなわとなった頃、私は少し夜風にあたろうと、一人でテラスに出た。ひんやりとした空気が、火照った頬に気持ちいい。空には、満月がこうこうと輝いていた。
すべての戦いが終わり、これからは、ギルドの運営に集中できる。そう考えながら、安堵のため息をついた、その時だった。
「――イザベラ」
背後から、静かな声がした。振り返ると、そこに立っていたのは、王族の正装に身を包んだアルフォンス王子だった。彼は、護衛も連れず、たった一人でそこにいた。
「アルフォンス殿下。どうして、こちらに?」
「君に、話がある。そして、謝罪をしなければならない」
彼は私の前に進み出ると、深く、深く頭を下げた。
「すまなかった。私は、シュヴァルツの嘘に惑わされ、君という人間の本質を見ようともしなかった。君を傷つけ、君の家族を危機に陥れた。私の過ちだ。どうか、許してほしい」
その真摯な謝罪に、私の心にあった彼へのわだかまりが、氷のように溶けていくのを感じた。
「もう、いいのです。顔を上げてください。殿下もまた、侯爵に利用された被害者なのですから」
「ありがとう」
顔を上げた彼の瞳は、熱を帯びて、まっすぐに私を見つめていた。
「君の活躍を、私はずっと見てきた。君の知性、行動力、そして何より、種族を問わず人々を惹きつけるその心。私は、いつしか、君という人間に心から惹かれていた。イザベラ、もう一度、私にチャンスをくれないだろうか。私の妃として、この国を、共に治めてほしい」
それは、あまりにも真剣な、プロポーズだった。かつて私を捨てた王子からの、心の底からの求婚。私の心は、静かに揺れた。
しかし、私が何かを答える前に、テラスのもう一方の入り口から、新たな人影が現れた。銀色の髪を月光にきらめかせた、シルヴァンだった。
「……話の途中だったかな。邪魔をするつもりはなかったのだが」
彼は穏やかな表情で言うと、ゆっくりと私の隣に立った。そして、アルフォンス王子に一礼した後、私に向き直った。
「イザベラ。君は、森の外の世界を変えた。君の周りには、いつも人が集まり、新しい何かが生まれる。だが、それは時として、君の心を疲れさせもするだろう」
彼の翡翠の瞳が、優しく私を見つめる。
「賢者の森で、私と共に、穏やかな時を過ごさないか。そこには、争いも、陰謀もない。ただ、静かな探究の日々と、永遠に近い穏やかな時間がある。君となら、森はもっと豊かになるだろう。私と、生きてはくれないだろうか」
それは、アルフォンスとは全く違う形の、静かで、しかし深い愛情のこもった誘いだった。都会の喧騒を離れ、彼と二人、永遠の森で暮らす。その甘美な響きに、心が惹かれるのを否定できなかった。
アルフォンスとシルヴァン。二人の傑出した男性が、私を挟んで、静かな火花を散らしている。どう答えればいいのか、戸惑う私の耳に、さらに別の、不器用な足音が聞こえてきた。
テラスに現れた三人目の男は、レオニダスだった。彼は、気まずそうに頭を掻きながら、私の前にずかずかとやって来た。
「……なんだ、てめえら、揃いも揃って。イザベラを困らせんじゃねえ」
悪態をつきながらも、彼の耳が少し赤い。彼は、私の前に立つと、ごそごそと懐から何かを取り出し、ぶっきらぼうに突き出した。
それは、獅子の牙を丁寧に磨き上げ、素朴な革紐で繋いだ、手作りのペンダントだった。
「……やるよ。お守りだ」
彼は、私の顔を見ずに、ぼそりと言った。
「俺は、小難しいことは言えねえ。永遠の時だの、国を治めるだの、そんな大層なことも約束できねえ。だがな、イザベラ。俺の隣が、お前の居場所だ。お前が戦うなら、俺も隣で戦う。お前が笑うなら、俺も隣で笑う。それだけだ。……俺の、番になってくれ」
獣人族にとって、それは、生涯を共にする相手への、最高の求婚の言葉だった。不器用で、まっすぐで、何よりも力強い彼の想いが、私の胸を激しく打った。
エルムガンド王国の第一王子、アルフォンス。
悠久の時を生きるエルフの賢者、シルヴァン。
荒々しくも頼れる獅子の獣人王、レオニダス。
三者三様の、真摯なプロポーズ。それぞれが魅力的で、それぞれが私にとって、かけがえのない大切な仲間だった。誰か一人を選ぶなんて、できるはずがなかった。
私の心は、嵐の中の小舟のように、激しく揺れていた。
私は、ゆっくりと首を横に振った。
「……アルフォンス様、シルヴァン、レオニダス。あなた方の気持ちは、本当に嬉しいです。でも……」
私は、三人の顔を順番に見つめ、そして決意を込めて言った。
「今の私には、選べません」
「私には、まだやらなければならないことがあります。このギルドを、この国を、そして、すべての種族が手を取り合って生きていける未来を、確かなものにするという、大きな目標が。今は、そのために、私のすべての力を使いたいのです」
それが、私の偽らざる本心だった。恋愛よりも、今は優先すべきことがある。
私の答えに、三人は驚いた顔をしたが、やがて、それぞれが納得したように、静かに頷いた。
彼らは、私のそんなところを好きになってくれたのだから。
この夜、私は誰の手も取らなかった。
だが、最高の仲間たちに囲まれているという確かな温もりを、胸に抱いていた。
私の戦いは、まだ終わらない。そして、私の人生の選択も、まだ始まったばかりなのだ。




