第8話 カミリー・カーペントの恩返し
この部屋では、時間の流れが変わるんです。
意図的に設計されてわけではないんです。いえ、これを意図して設計するのは帝国中の魔導士が死力を尽くしても無理でしょう。ここはいわば魔導学園そのものの魔法、セキュリティや研究のためにかけられた魔法たちが複雑機絡まり合い、創発的に生まれた力場なんです。
なぜ私がそんなことを知ってあるのか——それはスズ様相手でも応えることはできません。ただ信じて下さい。ここへ貴方様を連れてきたのは、私が本気で指導をするためです。
とても、とても心苦しですが、ごほんっ、僭越ながら私めが、アラカド・ルイ様の代わりを務めさせていただきますっ
暗闇で、あかりが灯る前の間。彼女はそう語った。
あかりがついても、不気味な空間だった。出鱈目に家具が堆積していて、粗大ゴミのゴミ捨て場というのが一番近いだろうか。
彼女は片手を突き出した。棍棒というには太さも長さも頼りない。錫杖だろうか――を振った。
「うわっ、なにすんだ」「かわすと、信じていましたっ、よっ」
カミリーのツインテールの先が半弧を描き、ゆっくりと重力に従い、俺に突進するように踏み出した。杖の鋒を光らせて。
今度は完全にはかわせず、頬を撫で、ぬるりと液体が流れた。血だ。
カミリーはマシな方、という認識を改めなければならない。
「危機こそが、新たな力の発現に必要なものなのです! お許しを!」
今度は杖を横にもち、宙にいくつもの光る陣を展開した。それは機関銃のように神秘的に光る礫を一直線に放出した。
「くそっ、イカれ女!」
この部屋に入ってきた扉を探すが、すでに消え失せている。
ならばせめて、一旦身を隠してあの女が正気に戻るか――想像できないが――エデラが起きて、なぜかこの隠された部屋に辿り着いて俺を助けるまで、いや、ありないな。
幸いにも遮蔽物には恵まれている。
俺が身を隠した大きな棚は凄まじい勢いで削れている。彼女にそういったものを壊すのに躊躇がなくて残念だ。
というか、あいつは俺のファンなんじゃないのか。それにしては俺を攻撃することに躊躇いがなさすぎる。案外、目に見えている攻撃は魔法による幻とかじゃないのか。
「カミリー!」「スズ様! そこに隠れていたのですね!」
腹に形容し難い重みがかかった。次の瞬間に感じたもの――俺の予想と反して、これは本物のようだった。腹を抱えてうずくまる俺に少女はゆっくりと近寄った。
「大丈夫です!」お前がいうな。「ちゃんと調整はしてあるので……」
近づくと、その不思議な杖が目に入った。見たことのない黒く伸びる杖の先は丸く中を空洞にし、白い石が力学に反して浮いている。濁った乳白色で、高価なものには見えなかった。杖全体としても、無骨なデザインで量産品だと直感した。
だが、一点。円にくぐらせるせるように赤いリボンが結ばれていた。取り合わせとしては奇妙だが、行為としては女子高校生がキーホルダーを着ける様子に似ている。
俺の視線に気がついた彼女は場違いにも、普通の少女のように照れながらいった。
「な、南部戦線では流行ってたんです。ほら、みんな好きじゃないですか……」
過去を懐かしむように、纏う空気を緩ませた。時間稼ぎにはなるかもしれない。
「か、かわいいな」俺の引きつった笑みと上擦った声には気が付かなったらしい。「ですよね! これは、ドリーからで、ジュリエッタにもらったやつ、は、塹壕で吹き飛んで……」
徐々に、彼女の瞳から生者特有の光がついえていく。
俺が知るカミリー・カーペントによく似た他人に、羽化していく。塗り変わっていく。
「あああ! 真っ白、まっしろだったの! ドリーは白色が好きで、みんなで共和軍の国旗を引き裂いた時、1番綺麗な白を取ったの! 私は何色でも良かった! 大事なのはみんなだったから! でも、でも、みんな……死んじゃった……」
その瞬間、俺がついさっきまで隠れていた棚も、その周りにあった家具まとめて吹き飛んでいた。
さっぱりわからない。あいつの壮絶な人生のどこに俺がいたのか。初めて会った日、俺が呼ばれた時、確かに俺のファンだと言ったが、とてもそうは思えないし、そうなる人生にも思えなかった。
「『白月ノ物語』は、ミリィが貸してくれた本でした。ノロマで、弱虫で、でも、誰より優しかったミリィは、本が大好きでした。戦役が終われば、自分で物語を書きたいと、よく言っていました。私は、軟弱なやつだと、笑って、貸してくれた本も、長いこと開きもしないで……私がようやく読んだのは、ミリィが死んで、他のみんなも死んで、一人ぼっちになった時です。……荒唐無稽、魔法の存在しない世界、若者のくだらない日常とくだらない惚れた腫れた。でも、心の底から、私は泣きました。ミリィが夢見た世界。崩壊する戦線にあって、私の心を救ったもの」
家具の乱流の中、カミリーは天を仰いでいた。バサバサと落ちる木片が頬を掠ろうとも、瞬き一つせず。
「帝国に帰り、私は様々な名誉ある表彰を受けました。でも、私はそのどれもがどうでも良かった。私の願いはただ、一つ。この物語の起源を知りたい。すでにエデラから聞いていますよね。『白月写本群』。私を救った物語は、あなたの物語の翻案だったんです――『白月ノ物語』は。だから、私は。スズ様に、あなたへの恩がある。戦場で、あなたは私を、私たちの心を救った」
ごちゃごちゃに壊れた家具を丸めて、子供が作る泥団子のように、天井高く掲げると、少女は俺の頭上目掛けて落とした。
呆れた恩返しだ。




