第4話 フリージア・フォーラントの懇願
「夢じゃ、なかった」
エデラの部屋より、さらに広く豪奢な部屋でフリージアが初めて口にした言葉がそれだった。
ちょうど全く同じセリフを、床で目を覚ました時俺も言った。
部屋が広く見えるのは、物理的は広がりのせいだけでなく、エデラよりはるかにものが片付いているせいかもしれない。
見通しのよい部屋だった。奥へ続く扉と、その脇の棚に無造作に積まれたタオルを見れば、その先が風呂場なのだとすぐに察しがつく。
「風呂貸してくれないか。ほら、皇女様に謁見するにあたって失礼だろ」
「これは正式なものじゃないから……いえ、そんな話じゃないわね。いいわ。その間に、
私も話を整理しておくから」
高慢なお嬢様のように、俺から視線を外すと、フリージアは机に向かった。紙に整理するタイプらしい。
シャワーを浴び、スッキリすると心に余裕が生まれ、どれほど理不尽な物言いをされようと許せる気がした。
フリージアの待つ部屋へと出ると、彼女は紙束へ視線を落としたまま、俺に語りかけきた。
「わ、私はフォーラント帝国第十一皇女、フリージア・フォーラントでっ」
いきなりの自己紹介。
「知ってるけど」
俺のセリフは彼女が用意した紙束の中にはなかったようで、聞こえなかったように、無視して彼女は続ける。
「此度は、我が帝国の要する魔導学園において――」
そこまで言いかけて、フリージアの声は途切れた。紙を握りしめる指は震え、白んでいるのが見てとれた。
俺は椅子に腰を下ろし、腕を組んだ。
「続けろよ。 謝罪か、脅迫か知らないが」
フリージアは大きく息を吸い込んだ。紙面を整えるように手をかざし、そこに書かれた文字を撫でると、後ろに控えるベッドへ、振り返りもせず投げ捨てた。
「正式な口上はやめるわ」
ようやく彼女と目があった。
「――トウジョウ・スズ様」
初日に見せた傲慢さはなりをひそめている。迷子の子供が、親を呼ぶようだった。
「まず、確認を。あなたは、あなたの世界からここへ連れて来られた。意思に反して、同意もなく。……そう」俺が黙って頷くと、彼女は唇を噛んだ。だが一瞬のことで、すぐに解かれた。
再び彼女の鋭い目が突き刺さる。
「それは、私の命令で行われた」
偉い人、謝り慣れていない人。思わず鼻で笑いそうになった。こんなにあっさり認めるとは。
「で?」
フリージアは俺から目を逸らさないまま、椅子から降りた。
そして――皇女様は俺の前で床に膝をついた。俺は椅子に座ったままその光景を眺めていた。
ほっそりとした指先が重なり、美しい金髪が床に流れる。彼女は頭を下げていた。床につくほど。
「あなたを勝手に転移させたこと。あなたの生活を、学業を、大切な人との時間を奪ったこと。……謝罪する」
こんな場面でさえはっきりと、ひとつひとつ言葉を発音するやつだった。ツルツルとした高級そうな床に、その高貴な言葉が落ちていく。
「ごめんなさい」
まっすぐな謝罪で、俺の怒りが行き先を見失う程度には、効果的だった。
「顔を上げろ。それで、続きがあるんだろ」
彼女が別に個人的罪悪感のために謝罪しているわけでないことは、皇女という立場に相応しい気品が教えてくれる。
「元の世界に返す。今は、確実な手立てを私は持っていない」
「……ないのかよ」
アルヴィラが言っていた通り。六ヶ月。半年。奨学金。入学式。伊織と遙。頭の中で、言葉は連なり、何度もこだまする。考えだせば、寝られなくなる。大声で叫びそうになる。だから、意図的に避けていた現実たち。
「今は、ない」フリージアは俺に真実を告げることから逃げなかった。
「あなたを呼ぶために、アルヴィアに相談した。アルヴィラは親戚、みたいなもので……。
帝都の宮廷魔導士も認めるほど、彼女たちは才気あふれていた。だから……彼女たちが提案したこの手段なら、あり得ると、私は援助をした」
自分の胸に手を当てて、彼女は言い切った。
「責任は私にある」もう一度、念押しするように言った。
歯を食いしばって、怒鳴り上げたいのを堪えた。怒鳴ったところで、何も変わらない。努めて冷静に、残る疑問を代わりにぶつけた。
「どうして、俺を呼んだ? 異能とか、それ以前の話だ」
「帝国の存続に重要な皇太子が、病に倒れたの。今死なれれば、この国は継承問題で、維持できなくなる。帝都は火の海になるでしょうね。……たくさんの人が、死ぬ」
彼女は言葉に迷いを見せていた。俺にどこ前話すべきか、いまだに決めかねているのだろう。
「それで、俺が持つ治癒の力がいるのか」
「お願い。皇太子を治して」再び、深く頭を下げた。
「あなたを元の世界に返す方法は、必ず見つける。一生を賭ける。皇女として使えるものは全て使うわ。だから……どうか、助けてください」
エデラのように、無神経なのは腹立たしいが、こうも下手に出られるとそれはそれでやりにくい。この状況で初めてわかったことだ。
「……頭、上げろ」
涙で濡れた頬。よく悟られずにハキハキと喋ったものだ。
「聞け。ここで俺が、物語の中で、どう描かれているか知らない。だが、俺は聖人じゃない。この世界で、帝国が、皇太子がどうなろうが知らねえ。俺の人生のほうが大事だ。でも、――お前は俺に言った。必ず元の世界に返すと」
フリージアは涙の跡をそのままに首をなん度も縦に振った。
一生かかっても、何があっても、俺を元の世界に帰す。
「その言葉を、お前を、俺は信じる。——信じるついでに、さくっと異能だかに目覚めて、治してやるよ。その皇太子」
確証のない約束はお互い様だった。




